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移植からの1ヶ月間③


クリニックから大きな病院に移動中。
もし入院することになったら夫にいろいろ持ってきてもらわないといけないため、スマホのメモに必要な物を書き起こす。

転院先の病院に到着。
はじめましての先生。
再度内診。
さっきまであった胎嚢が見つからない。

診察。
「胎嚢だったような、潰れたような形の物が見えます。残念ながら流産だと思われます。」
「あーそうですかぁ…」
意外と冷静に受け答えする自分。涙は出なかった。

手術や入院の必要はなし。
まだまだ出血が続くので水分をたくさん摂ること、翌日また受診するよう指示され、帰宅。

薬を飲んで何時間も経っているが、まだ効いているのか、それとももう完全に終わってしまったのか、あんなに辛かったつわりの症状が全くない。


夜、食欲が爆発して、カレーうどんをぺろっと食べきった。
食べきってからも吐き気が来ない。
夫は私のことを気遣いつつ、何も言わずいつもどおり接してくれる。


翌日の受診。
内診で見ると、子宮の中にはそれらしい物はもう何も無かった。
医者「残念ですが流産確定と思われます。」
私「うーんそうですか。」
医者「…えーと…まだ凍結胚が…あるんですね~?」(診断書見ながら)
私「あ、はい。あと9個あります。」

なんか先生間があったな?普通は泣き崩れたりとかするところを、あまりに淡々と返答したからかな??
まだ9個あるから悲しんでないんかこの患者…みたいな
ちょっと不思議な顔っていうかドン引きしてたように見えたな
今の自分の感情と、今後どうするべきかは別の話だし。と思いながら先生の話聞いてただけで、悲しくないわけないのよw

自分の中で、流産という結果はもう止めようがなくどうしようもないこと、と割り切っていて、今できることは出された薬を飲むことだけ、整ったらまた次頑張るしかない、と解釈していたからか、病院ではものすごく淡々と会話をし、子宮収縮の薬を処方され終了した。


帰宅。
仕事から帰ってきた夫に一通り経緯と結果を伝え終わったところで、初めて涙が出た。

まだエコーで赤ちゃんの袋しか見えてなかったのに。
一緒にいられたのはたった1か月足らずなのに。

悲しくて悲しくて夫と散々泣いた。
食べられない日々と大量出血があってからおなかがべっこり凹んで、ここにはもう誰もいないということを思い知らされる。
そうか。いなくなっちゃったんだな。

ごめんね産んであげられなくて。

流産は始まったら止めることはできない。
仕方のないこと。
それでも
なんで赤ちゃんは死んでしまったの?
なんで私たちにこんな悲しいことが起こるの?
なんで?なんで?

「赤ちゃん側の問題」「遺伝子異常」「そういう運命の卵だった」
初期流産の原因はこういう言葉が並ぶけど、簡単には納得できない。
仕方がないで片付けられない感情が涙になって溢れてるんだな。
下瞼に涙が待機していて、ふとした時にすぐに涙が出てくる。

こんなに辛くて悲しいことはもう起きてほしくない。
この一回で十分。
何度も経験したくない。


妹にも報告。
LINEしたらすぐに電話をくれて、一緒に悲しんでくれて、自分を責めちゃだめだよと言ってくれた。
妹も二度初期流産の経験があり、その時の話も絡めながら慰めてくれる。

妹、こんなに気遣いのできる立派な大人になっていたのね…
姉ちゃん感動した。

なんか淡々と受け答えしてたら先生ドン引きしてたわって話したら、
「わかるわかる。うちお母さんもそうやし私もそうやお。
どうしようもないことに対して、『まあ仕方ないわよねー』て変にドライに飲み込めちゃうとこある。そういう遺伝なんやない?」
と言われてなんか腑に落ちた。

我が家の女はジタバタしないらしい。笑
おかげで、少し前に進める気がしてきた。


それから生理二日目程度の出血が毎日続き、内容物が全て出るまで一週間と少しかかった。

その間は気心知れた仲間たちと会う約束をしていて、楽しい時間を過ごせた。

流産から一週間後にクリニックに受診。
次の生理の二日目に来院し、hcgが下がり次第、次の移植に向けての治療を開始することになった。


悲しい出来事を忘れたわけではない。
乗り越えられてもいない。
数日経っても、急に泣き出すことは何度もあった。
でも悲しみと一緒に過ごすことに少し慣れた。

ちゃんと悲しんで泣くことには意味がある。
少しの間だけでも家族3人になれたことが嬉しかった。
おちびちゃん、私のお腹に来てくれてありがとう。

前向きに、やるべきことをとにかくやろう。
涙拭いて、また頑張ろう。

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