finalfantasyVII rebirth

前作のintergradeの続きのrebirthについて描いていきます

前作はミッドガルを舞台でしたが、今作はミッドガルから脱してセフィロス(ジェノバ)を追いかけて外の世界で旅します

今作は セトラ や ジェノバ について知り対峙して各々の目的や意義について迫っていくことになる(新羅も含む、アバランチについては前作に含む)

もうひとつ
死ぬことは肉体が滅ぶことが1つだが、真の意味で死ぬのは精神が無くなる時でそれが具体的な体験として表れるのが今作です。そもそもセトラやジェノバなどの根源にそういったものが含まれてることを気付かされます。これは勿論我々が暮らす世界にも同じく通じることで、これが今作の大きな要素のように思います。

忘らるる都にてクラウドとザックスの共闘でセフィロスと戦う場面が非常に美しいな~と感じました。肉体が滅びても記憶として残った人の中に生きていることが描かれているのが美しい。ただ記憶なので脆い。
なので文化や何か物理的なものとして生きている。生きていれば肉体を持つ我々の道を照らしてくれる頼り在る存在になるかもしれない。

セフィロスは殺すときの口癖がある
’’ 死ぬが悲しむことはない、星に帰るだけだ ’’
それに対峙するのがエアリス(セトラ)
’’ 星に帰るだけではない、確かにそこにいたのだ ’’
これは身体的な話で、セフィロスの大義の為の行為には強い違和感が存在するはず。要は身体的に違和感のない行為というものは大義という言葉を使わなくても正しい行為なのだ。

ただセフィロスとクラウドは非常に似ている存在であると同時に違うところがあり、それは仲間の存在。各々の違う境遇があり似ていても違う思想を持ってる仲間たちの存在。この存在がクラウドを病的な方向へ歩ませずいる要石。皆、隣人を愛せよ。
隣人を愛せなくてはセトラの考えが正しいと信じていても、ジェノバの思想へ歩んでしまうだろう。

これらのことから思想が云々ということもあるがそれは扨措き
隣人を愛し、身体的に違和感のない歩みをすることが重要である!
さすれば自ずと正しい道へ歩むことであるだろう、みたいなことだろう

あと様々な文化として過去の人々が生きているので文化は大切にしたいね

ありがとう!FF7Rebirth!

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