神速ラジオは315だった。

神速ラジオは最高だったはなし。
一言でまとめると『新人神速P兼副業探しのシュウカツ生が3ヶ月間救われ続けました』という内容です。


2月中旬、ひょんなことからSideMにハマった私は現実(就活)を忘れるようにのめり込んでいった。
色んなユニット、アイドルに触れていく中で、私がPになることを決意したのは神速一魂だった。SLのドラマパート1を聴いて、正直小さな興味で買ったCDだったにも関わらずマジ泣きした。


「いつどこで出会ったとしても、俺達は必ず相棒になってたさ」


私というオタクはこういう根拠のないけど『きっとそうに違いない!』と思わせる台詞に弱い。
必ず、絶対、永遠、だなんて言葉は幻だと、二十数年生きてりゃすぐ分かる。

「私達ズッ友だょね!」と誓い合った人と今は音信不通、交流断絶だなんてザラだし、高校の友人で今も連絡取ってるのは片手分くらい、中学に至っては一人もいない(これは私が縁を掴み続ける努力をしなかったのが理由だけども)

真っ直ぐな熱血漢の朱雀くんと、熱い頭脳派の玄武くん。彼らがPとして、番長さんとして推していきたいユニットだ。


ジャンルに足を滑らせて少し経ったとき、神速の中の人がラジオをするらしいと聞いた。その時は本当にド素人Pで(今も新人Pだ)毎週SideMのキャストがラジオをやってることはおろかチャンネル会員という制度すら知らなかった。
おっかなびっくりニコニコにクレカを紐づけし、初回放送をさいまえで待機し、とりあえず聞いてみた。

メチャメチャ面白かった。

玄武くんの中の人であるふかまちさんは噂通りふわふわでぶっ飛んでたし、
朱雀くんの中の人であるますやまさんは語彙力のあるPだったし、
三十分ってこんなに短いものなのだなと強烈に思い知らされた。

オフサイドも、入りのゆるっと感をそのままに一通のメールからトークが広がる広がる。サイコミュで一、二通のメールしか読めなかったことも少なくなかったほど。

毎週末が最高で楽しみで仕方なかった。


頭にチラっと書いたけど、私は就活生だ。

毎日毎日、鉄板の上、ではなくアスファルトだの山手線だのの上でストレスを受けまくってイヤになっちゃうよ~な生活だ。

勉強をしろ、真面目であれ、単位を取れと長きにわたって説かれてきた半ば呪いのような言葉に従って、そこそこ真面目に勉強して、まあ羽目を外しすぎない程度に上京してきた関東で遊び、遊ぶ金やオタク費用欲しさにアルバイトもした。

それがなんだ。インターンシップの始まる時期になっていきなり
『自分の強み/弱み』
『個性』
『したいこと』
『将来は』
をしつこいくらいに訊かれる日々。

『学業以外で頑張ったこと』
だの
『アルバイトで得たこと』
だの、
大学のだの字もないことまでねほりんはほりんだ。

今までの呪詛はどこいった、そこそこ真面目に生きてりゃそこそこのレールに乗ってそこそこの生活が保障されてたんじゃないのか。
何が個性だ、日本だけで人口何人だと思っていやがる、そこから埋没せずに飛び出るような奴は余程の天才か余程の危険人物だろうが(それは私の偏見だ)。

ともかく、慣れない自分探しに加えて『品定めされ続ける』しんどさと、一向に見えない将来の不安で毎日が憂鬱だった。
かといって周りも同じ条件で悪戦苦闘してるのに愚痴ってしまうのは申し訳ないし、上にも下にも兄弟がいないので体験談を訊く相手もいないし、両親に弱みを晒せるほど出来の良い人間でもない。

ただただ毎日が憂鬱だった。
そんな時期である。神速ラジオが始まったのは。


毎週金曜日が楽しみで癒しで、それのために頑張れた。
上辺だけのHPから粗探しみたいな真似してESのネタを探したり、知らない土地で迷子になりつつ説明会行ったり、緊張と貪欲さの鎧を纏って面接に向かったり。

しんどかった。
けど、週末には必ず神速ラジオがあった。

私が頑張ればラジオはより楽しく聴けた気がしたし、頑張り損ねたときは「来週は爆進しような!」と励まされた気がした。それだけあのラジオは私にとって救いだったのだ。


因みに、ありがたいことに神速ラジオにて、二回メールを読んでもらった。

一回目は静岡公演前日。ますやまさんお誕生日おめでとうメールだ。

GWのせいで選考が止まり、結果待ちや次の予定の停滞にやきもきしていた頃である。

その日はバイトをしていて放送時間に聴くことが出来なかったけど、自分のメールが読まれたことへの喜びだけじゃなくて、
ますやまさんと朱雀くんの誕生日をお祝い出来たり、
ふかまちさんも楽しそうにしていたりする様子を聴けた嬉しさがあった
(そして静岡両日で私は屍となったのは前記事にも書かれてる)。

二回目は六月中旬。オフサイドのサイコミュだ。

元々そのメールを送ったのは五月末。
上の読まれたメールは送ってから二週後の放送だったから、きっと読まれることはないんだろうなぁと諦め、忘れていた頃である。

東京からの帰りの電車の中で、少し涙目になりながら『内定取れました』と書いたメールでもある。

放送でメールを読まれて、正に蛙を踏み潰したような声が出た。
就活が本格始動するあたりの四月、選考が進んだり消えたりした五月に続き、内定が出てほっとした六月にも神速ラジオが私を応援し、祝ってくれたのだ。

二人に「内定おめでとう」と言ってもらったことはきっと生涯忘れられないと思う。……という永遠は信じない質だが、
これから内定のことを訊かれ思い返すときに、きっとセットで記憶から顔を覗かせる筈だ。


と、こんなメンタル駄目駄目P兼番長さんは、就活直前から終了までアフターケアまでバッチリ神速ラジオに寄り添ってもらったわけだが。
それも終わりだ。

神速ラジオ最終回。彼らがパーソナリティーを卒業する日がやって来たのだ。

正直、前の週からずっとそわそわしてた。
月初めはまだ就活でバタバタしていてそこまで気が回らなかったが、前の週から感じていた「あと一回」の重みは凄まじかった。

神速ラジオ半端ないって。こんなに面白いなんて聞いてないって。別れがつらくなるって知ってたら先に言っといてよ。心の準備ができへんやん。

先週のラジオを聴き終え、毎日カウントダウンしていた。
月曜になってしまうともう週末が目の前の気がして、しんどすぎて神速SLドラマパートを聴いて一人泣いていた。

火曜、水曜、木曜と続いて、金曜日。この日が来てしまった。

奇しくもその日はかの有名な国民的アニメであるくれシンのシンの声優さんが最終回ということもあり、
駆け足で帰宅してテレビをつけて心の中でひっそりとありがとうを述べ、
味のしない夕飯を流し込み、交感神経のせいで気持ち悪さすら覚えながらラジオ待機だ。

待機しながら、きっと、
「色々あったけど早かったね」だとか
「またやりたいね」だとか、
嬉しいことを言ってくれるんだろうと考え、またしんどさに気持ち悪くなっていった。ドエムか。

最終回も我らが神速はいつも通り楽しく、お茶目に、真面目に、明るく色々おはなしをしてくれた。
冒頭の朱雀くんのドアラの鼻歌や沢山のメールについて言及している部分で既に目頭が熱かったのだけど、やっぱり神速にはそういうしんみりさは似合わなくて、最後までバーニンクールで楽しく聴くことが出来た。

「ラジオの収録がもうルーティーンみたいでさ」と二人が話していたけど、聴いてる側だけじゃなくて彼らもこの三ヶ月、小さな『当たり前』を抱いてくれたのかと思うと、
同じ思いを共有していた我々はアイドルとPの関係なんじゃないかって次元の境界があやふやになりもした。

日常、真面目、カレーと(笑)様々なおはなしを聴くことができ、笑って『次』を望みながら、神速ラジオは幕を閉じた。

放送後、しんどい時期を支えてくれたラジオが終わってしまったことに少しだけ泣いてしまったけれど、一人の新米Pとして、また一人の新米番長さんとして、
彼らに「ありがとう」と「新たなお仕事」を与えられるようになりたいと思った。

辛い時期が終わるように、楽しいことも終わってしまった。

だけど、終わりという区切りは新たな始まりの種蒔きなのだ。そうふかまちさんもインサイドレポートのほうで言っていた。

ラジオを聴き終えた「笑み」を、またラジオか、4thか、アニメ2期か分からないけど、どこかの新しい展開で再度笑いを咲かせることが出来るよう、出来る範囲で尽力したいなと思った。


最後に、個人的にふかまちさんの一番好きな言葉でシメさせてください。


好きな食べ物はー??

ドリンクバー!!


おわり。


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