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価値主義経済、僕の周りにはまだ訪れてないらしい

「価値主義」「資本主義」、この二つの主義が入れ替わる。これから主流になるのは価値主義だ。なんて巷では言われていますよね?

僕も価値主義経済は必ず来ると思ってますし、すでに予兆は十分ありますし。しかしながら、やっぱり生きていくのにお金も大事ですし、極論言うと必須なのも理解している。お金がないと、どうしても人に甘えることにもなるし、しんどい思いもする。

とはいえ僕は現在、無職同然だ。まぁ無職といっても、ライター仕事を必要なときに受注しているという、まあ惨めながらも働いてはいるが、決して立派ではない。

先日、今年に入ってお風呂に浸かってないことに気付き、銭湯に行った。お風呂にはおじさんから若者まで、老若男女、様々人たちが腰にタオルを巻いてお風呂場を歩いている。

そんな光景を見ながら、お風呂に入り、恐る恐る体重計に乗ることにした。なんせニートのような生活をしているので、体重が太っていることを恐れていたのだ。

ニート生活と体重はインタラクティブな関係性にあるという、荒唐無稽な思いを抱きながら、体重計を覗き込むと、やっぱり体重が増えていた。

そんな結果を否定したいのか、体重計を疑った。真実なのに。

お風呂を上がると友人から電話がかかってきた。僕は頻繁にコミュニケーションをとったりしないが、彼からの電話にはでた。その電話に出ると「焼鳥屋さんに行かねーか?」と問われる。

まあいいかと思い、ついていくことにした。

焼鳥の串より遥かに刺さった串

ここは「大吉」、都内や地方どこにでもある大きく展開している焼鳥チェーンだ。品揃えも多く、店自体が狭く、小さく暖かいこの店ながらの小さなコミュニティがある。

そこに着くと友人の友人が居て、焼鳥を食べながらだべっていた。くだらない会話で盛り上がる。地元の友人ならではだな、と思いながら聞いていた。

その友人たちは皆、就職をしていて家族を背負っていたりする。僕は自分の状況と比較しながら気負いする。「これからどうなるんだろう、話に入れない」なんて。

周りと違うことに対し、劣等感を抱きつつも、仕事をする選択権は自分にあることによって、優越感を味わっている自分がいた。そんな風に思いながら「お前、仕事は?」なんて聞かれると、「一応しているよ」、と答える。

そう答えると、「給料は?」なんて聞かれる。実際のところ給料は安い。安くて安くて、労働集約型なのでどうしても消耗している気がする。しかし、今、他のことをすると、もっと消耗する気がするのだ。そんな気持ちで毎日「学ばなきゃ、あの人に追いつかなきゃ」なんて思いながら必死に学んでいてもゴールはまだ見えない。

友人はそんな僕を否定する。「給料、それが差だよ」って。
確かに、確かにそれはわかるんだよ、だけれども否定はしたい。そんなことを言われると、燃やされた落ち葉のように、自分が消えて無くなってしまうような気がして。

本当に悔しいし、でも僕には何もない、技術だって、知識だって。目標ならあるけれど、どうやったら達成できるのか悩むときもある。

こんな生活から早く抜け出したい。
まだ総合的に見ると資本主義で、ある一定層しか価値とは何かに執着していないと感じた。

仕事でココロ踊ろう

Wontedly創業者、仲暁子さんのミッションでもある「仕事でココロ踊ろう」、この言葉に僕は影響を受けている。いや影響ではない、何か、いきなり交通事故にあったような凄まじい衝撃だったのだ。

他にもスティーブ・ジョブズ然り、仲暁子然り、他の偉業を成し遂げている方も含め、皆、仕事でココロ踊っているような気がする。

そんな世界があるんだと気付き、そんな世界に早く近づきたい、羨ましいと、精神的引きこもりになっている僕は思う。

先日の会話からは結局、価値主義っていうのは、仕事に対して言うならば、ココロ踊るか、それとも踊らないか、なんだろうなぁとも感じた。

そこに熱量が生まれるから、価値になるわけであって、熱量がなければ価値にならない。だからこそ、自分にとって必要なことを探し続けなければいけない。

PS・話が支離滅裂ですみません!これはそのときの想いをメモで書きました。

大事に大事に生活費として使わさせていただきます!