見出し画像

共依存の話

母と私は、共依存の関係だ。

一人っ子である私は、母を独り占めできる権利を得る代わりに、母からの重すぎるほどの愛をひとりで背負い続けなければいけない運命にあった。

思えば幼い頃から、母の機嫌に振り回されて生きてきた。母の機嫌を取り続け、常に顔色をうかがってきた。40になる今となってはさすがにそこまでのことはないが、それでもやはり母の機嫌が良いか悪いかを無意識に探っている。そんな自分に気が付く。

これまで私が一人暮らしをしてこなかったのも、母がそれを許さなかったからに他ならない。社会人になっても門限は当たり前にあったし、外泊も許可がないとできなかった。母にとって私はいつまでも小さな子供であり(おそらくそれは今でも変わらない)、守るべき存在なのだろう。

…と、すべてを母のせいにして終わることができればどんなに楽だろうと思う。「うちの親は過保護で子離れできなくて、困るわ」と言えたら。すべてを母のせいにできれば、もう少し楽に生きられたのかもしれない。

母にとって私が唯一無二の存在であると同時に、私にとっても母は唯一無二の存在なのだ。誰にとっても母親は大事な存在であるに違いない。けれど、私の場合はそんなレベルではない。極端な話、母が亡くなった時には後を追って死ぬかもしれない…というくらいに、母は私の存在意義ですらあるのだ。母のために生きている、と言ってもいいかもしれない。

このままでは、よくない。私のためにも、そして母のためにも。そしてたどり着いたのが、40歳からの一人暮らし、である。決意してみたものの、それを母に話すのはとても勇気のいることだった。泣き虫で寂しがりやの母だから、泣くかもしれないと思った。母に泣かれるのは苦手だ。つられて泣きそうになるのは、これもまた共依存だからなのだろうか。色々考え、タイミングをはかり、顔色を窺い…いつ話すべきか、毎日占いを気にしたりもした。

そんなある日、トースターを買い替えるという話が出た。トーストに焼きムラができ、焼くのに時間がかかるようになったからだ。何年も使ってきたトースターだが、壊れてはいない。まだ使える。

「それ、とっておいて」

とっさにそう言ってしまい、すぐに我に返ったが時すでに遅し。まずかったかな、と思ったが、母の反応は思っていたより薄かった。

「一人暮らしするの?」

そう問われ、春の繁忙期が過ぎたら予定していることを話した。運よく父も一緒にいるタイミングで(もしかしたら絶好のタイミングだったのかもしれない)、両親とも反対はしなかった(賛成もされていないが)。

その時はたいした質問もされず、この話題は終わってしまった。後日母から、「一人暮らしを楽しむためにするなら応援するけど、自立しなきゃと無理してするならやめておいたら」と言われた。家にいても家事はできるじゃない、というのが母の言い分だ。そういうことじゃないんだけど…と思ったが、これはまた改めて話し合う必要があると思い、考えておくとだけ伝えた。

共依存から抜け出すのは、そう簡単なことではなさそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?