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vagabondage

令和4年5月1日。EOT第9章 「嫌OT」が開催されました。

未来永劫この日付が、「ああ、あの日のことね」となったらいいのに。

優勝しました(ちなみに、第4章と第5章は不参加です)。

今大会から優勝者に贈呈されることになったトロフィーが、物理的にもその手応えを感じさせてくれました。命みたいな重さ。愛おしさも相まってまるで赤ん坊のようじゃないですか。つくづくも実感っていうのはダイレクトに五感から伝わってくるものなんだと。こいつが道を外さないように、私は手塩にかけてその事実を一生育んでいかなくてはならないんだと思った。

優勝を目標として掲げるのは過去の成績からしても本当におこがましいことだと思っていて、とにかくEOTで印象審査の大喜利をしたいという一心で必死に回答をしていた気がします。すなわち本戦進出が目標だったということだけど、これはもういつからかずっとそうだった。 

 「嫌だお題」って究極のフリーお題みたいなとこあるじゃないですか。なんとでもなりようがあるし、大体の思惑を当てはめることができてしまう。フリーとは言っても広すぎるということはなくて、私は逆に一本道でしかないとも思っています。これは回答の組み立て方として。要素として開ける引き出しはひとつで済むし、そこに自分らしいエッセンスを加えて整えていく作業は実際かなり捗りました。

 予選で信じられないくらいペンが進んでたんですよね。過去を振り返っても3問で14答というのは個人的には立派な数字だと思います。1問目で少し危うい気はしたんですが、残り2問でしっかりリカバリーできていた感触はありました。結果を見たら3問トータルの成績が綺麗に三分割してたのは驚きましたけど。ボーダーの目安としてあまりにも分かりやすく、バランスの良いリザルトであったなと。まあ一本を9回も取れてたらさすがにこれはグッと本戦が近づきます。いつものように躓いて固まる時間が通してほぼ無かったことがひとつ。それこそ嫌だお題でしか成し得ない展開であったとも思います。

明らかに過去に経験がないほどの達成感を得て予選を終えることはできました。客席に戻った後、「おかえりなさい」「お久しぶりです」等々の言葉を長い付き合いの面々から浴び続けてたんだけど、100でその意味を理解していたので深く椅子に腰かけて自分自身を労う時間がありました。予選は後半一番最初のブロックだったので、残り4ブロックを祈るような気持ちで見ていたのも正直あります。器の小ささが見え隠れするなんとも嫌らしい部分。それでも畳み掛けるような回答の応酬には素直に圧倒され、手を叩いて笑っていました。

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しゅごしゅぎさんが頭ひとつ抜けて1位通過したのはもう疑いようのない事実だったけど、クールポコ。が最後に待ち構えていた瞬間まで守り続けていた座だったのかと贅沢にも恨めしくスクリーンを見つめていました。余談だけど、後半ブロックで51ポイント獲得しての2位通過って、第6章のギャルさんと全く同じなんですね。これまでの大会で光を放った眩しい面々と一時でも肩を並べられた瞬間は本当に嬉しかった。この後の写真撮影ももちろん初めてのことで、お互いの健闘を称え合いながら和やかに進む時間がとても良かったです。ここは感情の部分に突き刺さってくる実感だった。

本戦。念願の印象審査へと。その一番最初の相手が人望刃という、嫌でも新旧対決みたいに映る構図に悲鳴を上げそうになりました。予選を人望刃にしかできない戦い方で同ブロックのネイノーさんに肉薄してた姿が印象的だったから。確実に実力と実績を兼ね備えて今日という日を迎えていた相手にどうしたものかという怖気は感じていたと思います。

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パンツ見んな。

「こんなヘリコプターは嫌だ」というお題に、本当に意味が分からないんだけど小さくガッツポーズしてしまった。なんで勝利がよぎったのかは分からないんだけど、かねてからヘリコプターを面白いものとして捉えている自分が急に有利な位置にいるという思い込みがスパークしちまったんじゃねえかな。一答目でしっかり伝わった、という意味でウケた後に調子に乗ってカスのDA PUMPをやったらしっかりゼロウケで帰ってこれたのはむしろ大きい。「野に咲き、風に揺れている」はたぶん一日を通しても自身のベスト回答だったと思います。立て直すには十分な一発ではなかったかな~と。ね。

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わざわざ絵回答にする意味は無かったかのようにも思うんだけど、後々各方面に聞いてみたら間の抜けた回答をより増幅させる決め手にはなっていたらしい。あんま視覚の情報からウケをもらえる人ではないのでね私は。

壇上を降りるとき、前列のほうにいらっしゃったKouさんがあの満面のエビス顔で拍手してくださってたのにかなり“来て”しまった。その後ろではおーはらさんが親指を立てて祝福してくれてて、またその後ろではわんだーさんが朗らかに笑ってくださっていました。全視界が良好すぎる。予選から隣に座っていたデリトマさんもずっと励まし続けてくれてたり、この日の私はあらゆるものを取り込んではちゃめちゃに膨れ上がっていってました。

優勝したという事実を前提とすると、ベスト8でのキャベツさん戦でだいぶ影が差しました。クラシックコンサートお題をモノにできないまましょっぱくも延長へ。続くお題もサンリオというかなり絶望的な転げ落ち方をしそうな流れにありました。「豆板醤の瓶」だなんて私の中でも手癖の最たるものだと思うし。だったらクラシックコンサートでもう少しなんとかできただろっていう悔いはずっと今も残っています。

ベスト4はぺるともくんと。それでもここまで来たならという思いはあったし、勝機を見出すとしたらやっぱり一発勝負のタイマンでしかありえないよなとは思いました。結果として、第9章の中では通して最も好感触だったお題だったと振り返っています。一答目をかなりまっすぐに打ち返せた自負を持って最後まで程よい距離感のまま突き抜けることができたかなと思います。ここまでの戦い、いずれもまったく逆の結果になっていても不思議ではなかった。歓喜と、その一方での残酷さとの狭間に揉まれながらも徐々にヒートアップしていくEOT、競技大喜利の魔力は本当に凄い。

先に私の決勝進出が決まって、反対側の山には店長、虎猫という二者択一だけが残されていました。右顧左眄の境地と言えば聞こえはいいですが、微かに虎猫さんとの決勝を思い描いてしまった自分がちょっと良くはなかった。なんとなくそういう流れを意識する空気の中で自ら煽ってしまったりと、単純に店長に失礼なことをしてしまったという反省があります。それでも二人の一戦目がもつれにもつれたのは純粋に感動を覚えました。私的には店長に若干分があるかなと拍手も贈ったんですが、結果は延長戦へと。その延長戦を虎猫さんが満場一致の勝ち上がり方をしてきたのもたまらなかった。

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これだけはマジでよく分からなかったけど(もんがまえ?)。

決勝戦 MA vs 虎猫

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信じがたいことに、2022年のいかつい大喜利大会決勝のメンツ、お題がこうでした。自分のことだけ考えときゃいいんですけど、さすがにこうなると勝っても負けても虎猫さん泣いちゃうじゃん、とかめんどくさい心配をしてしまいました。かくいう私も決勝後の空気感に耐えられる気はまるでしなかったけど。

それでも最高峰の舞台にまで来てなお思考がもうひと回転働いてるような感覚があって、回答中はわりと冷静な自分でいたようには思います。ただ虎猫さんの回答を耳で拾えるほどの余裕はなくて、私はとにかくひたすらに「学校」の引き出しを開け閉めしていました。令和という新時代を迎えた今、壇上では3分答え放題の大喜利PHPが行われている意味の分からない現実に、多くの皆さんを巻き込んでしまいました。

明確に拍手の差が勝敗を分ける結果に、喜びとともに痛みのようなものも覚えました。大喜利に、その勝ち負けに永年生かされ殺されしている虎猫さんが相手だったからかもしれません。案の定、号泣してしまった虎猫さんに歩み寄る自分の立場がよく分からなかった。私自身も感極まってはいたけど、こうなってまで人間力で搔っ攫っていく男には一生敵わないと思う。かろうじて大喜利で勝ったことが「一矢報いた」形になるの悔しすぎるよ。

それでも私を生大喜利という舞台に引っ張り上げて、その入り口で迎えてくれた人だから何をおいても感謝の念は尽きません。本当にありがとう。

MAが優勝、虎猫が準優勝。ベテランが這いずり回って復活を遂げたとか、苦労の先に掴み取ったという見方にはなってしまうかもしれません。それでも、本音を言えば、もっと単純にその日一番面白かった奴が戴冠したっていうシンプルな感想に留めておいてもらえたら嬉しいです。

感情に任せてマイクに乗せた言葉も単純にみんなに届けたかった素直な言葉です。まだまだ、全然足りないって思ってる人たちと再び大喜利で相まみえることができたら。そのときの私たちもきっと同じだけの気持ちを乗っけてぶつかります。

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