ペット・セメタリー考

リメイク版が2020年2月13日で公開終了ということもあって、2月8日に無理して観に行った。原作小説は未読で映画版をふたつ観ただけであるが、私にとっては思い入れの強い作品である。

オリジナル版(1989年版)はとても大好きな作品で、IMDbでの評価は低い

が、個人的には10点満点で8点か9点以上は確実にあげたい作品である。キング自身が書いているとおり、本作は家族愛が歪んでしまった悲劇を描いた傑作だと私は思っている。

今回観たリメイク版(2019年版)は、オリジナルを観たこと前提に作られている感じが強くする。IMDbでの評価

は、「もっと低いと思ってた」という印象。簡単につぶやきにも書いたが、わたし的な評価は10点満点で5から6といったところだった。IMDbの奴らは割と辛口評価なので、私が5点つけたら彼らは4点以下だろうという感じ。

ジョン・リスゴーが出ているということで過大な期待をしていたせいもあってか、観終わった感想は、ガッカリした方が大きい。

【以下、根多バレあり】


まず、「都会での生活に疲れた夫婦が癒やしを求めて田舎に引っ越してきた」という前提が、リメイク版では最初から感じられなくなっている。ルイスとレイチェルの印象が、役者の外見のせいで、どう観ても洗練された都会生活者には見えないのだ。最初からダサいおじさんと地味なおばさんにしか思えないのがマイナスポイントだった。生活に疲れていたのかもしれないが、最初から田舎の住民のような印象である。わざわざ引っ越してくる意味を感じない。

ついで、冒頭で死ぬ学生パスコウが黒人になっているのは昨今の映画事情の変化の現れだろうか。頭の傷の場所がオリジナルと逆になっているのはいいとして、その後の彼の活躍が少なすぎるのは物足りなさを感じる。まあ、オリジナルでも出演は多かったが活躍したかどうかは微妙なので、そのあたりが理由で削られたのかもしれないが、出てくることに意義があるので、不満が残った。

そして、ジャッド。オリジナルの方がずっとマシだったという印象が強くなった。ジョン・リスゴーがどんな怪演をしてくれるのかと期待していたのだが、たいしたこともせず、語り手としての役割もイマイチで、話の深みが消えてしまった。

とくに、ミクマク・インディアン(あえてこう表記する)の言い伝えや、その後の飼い犬やティミーの件が、さらりとことばだけで流されて、絵による描写が無かったのはマイナスポイントだと思う。あの再現があったからこそ、後の悲劇への想像がふくらむのだ。

おそらくはレイチェルの姉のゼルダの描写を増やすために削られたのだろうと推測するが、ものの数分のことなんだから、なんとかならなかったものかとは思う。

オリジナルに比べてリメイクが評価できるのは、娘エリーの演技力と飼い猫チャーチの可愛さ(笑)くらいか。

あの女の子の表情はすごい。とくにルイスに髪をとかされているシーンのアップはなんともいえないものがある。役者は12歳だったらしいが、9歳の女の子としての可憐さとか幼さも併せ持っていて、なんとも素晴らしい女優だった。もちろん、後述のシーンは笑ってしまうしかないのだが。

そして、飼い猫のチャーチ。オリジナルは不気味さを出すためにロシアン・ブルーにしたのだと思うが、終始無愛想で可愛げのない子だったのに対し、リメイク版では長毛種の愛想が好い子で、“変身”後の「シャー!!」のシーンも、なんかほのぼのとしてとても可愛かった。

この2点はオリジナルよりもリメイクの方が私は好きだった。

さて、冒頭にも書いたとおり、リメイク版はオリジナルを観ていることを前提に作られていることを強くうかがわせる。

まず、冒頭の重傷学生が黒人であることでインパクトを与えようとした。

そして、本作のメインテーマである家族の死。誰もが「あ、ゲージ!」と思ったところで、まさかのエリーである。まあ、ここまではよしとしよう。

さらに、“変身”後のエリーがジャドの家に来るシーンで、ベッドを蹴るところ。あれはオリジナルを観てないと意味がわからない行動だろう。このへんの演出をどう受け取るかは視聴者の気持ちひとつだとは思うが、私は、ニヤリとはするものの、「これが初見だったらどう思うんだろう?」という疑問がわいた。こういう楽屋落ち的な演出はむずかしい。そして何もしないまま、ジョン・リスゴーは退場してしまった。期待ハズレもいいところ。

さて、レイチェルが車で帰ろうとするところ。なぜゲージを乗せてくる? これはラストの演出のために必要だったと制作陣は考えたのだろうが、オリジナルでの演出の方が私は好きだ。

最初の葬儀でのルイスと義理の父親との確執がなく、そうであればなおさら生き残ったこどもを実家にあずけてひとりだけで急いでも好かったのではないかと思う。その方がラストのあとの余韻も残るし。

そして問題のクライマックス(笑)。なぜ娘にあんなことさせる! ここがゲージではなくエリーを殺した理由なんだろうが、あそこまでモンスター化させる意味があったのだろうか? あれじゃギャグだ。コメディだ。

小さなこどもの再度の死とか、妻への愛情、そういったものがすべて消し飛んでしまう演出にはガッカリして、乾いた笑いしか出なかった。娘が母親の死体を引きずって行くシーン、あれ、どうやってエリーは知っていたんだろう? 狂ったルイスがやるからこそ意味が大きかったのに、エリーはミクマク・インディアンの土地に埋められた記憶はないはずだし、その理由もわかってなかったはずなのに。

で、ラストの車のシーン。あれは完全にゾンビ映画のもので、家族愛の悲劇ではない。

オリジナルを観ていることを前提にミスリードを誘い、変な解釈を加えた結果、失敗作となったリメイクだった。

救いは、モンスター化する前のエリーと、終始可愛いチャーチだったな。

以上。


ここまで御注視いただき、ありがとうございます。まだ対価をいただくほどの作品を挙げていないのですが、ご好意はありがたくいただきます。