臨界点突破

僕が直近でうんこを漏らしたと実感した時は、何ヶ月か前に自宅で、これ「おなら」じゃね?と思い、いつもの2択を盛大に外した時だ。中学生がなけなしの小遣いで好きな子に渡す出店のペンダントぐらいの汚物がパンツについていた。もちろん、僕の中学校生活の恋人は、右手だったわけだが。
大容量のうんこを漏らした時は、20歳の時だろうか。地元の友人とようやく飲めるようになった酒を飲み、上機嫌に。やきとりとレモンサワーでお互いに幼い頃の思い出にひたった後になけなしの給料からお会計を済まし、最寄駅から自宅に2人で帰る途中であった。
「木村健悟」の「イナズマレッグラリアート」が僕の大腸を直撃した。家まではあと1km以上ある。中高で鍛え抜いたチキンレッグがあれば、なんとか間に合いそうだ。経験と知識の蓄積はなにより、ピンチにこそ生かされる。
20年生きてきて、失敗もあった。小学生の時は、家につくギリギリでうんこをパチパチのジーパンの裾からコロコロと落としたこともあった。オノマトペを多用すると当時の臨場感は伝わらないが、地元は雪国だったので次の日の朝に自宅の付近で固まっている昨日のチョコボールの残骸を見て、幼少期の僕はそれなりにショックを受けていた。昨日の自分の愚かさを象徴するオヴジェクトが家の前に転がっていた。
高校生の時は、朝起きたら遅刻寸前で急いで朝の準備を済ませ、トイレに向かう暇もなく自分の部屋で2択を外した。というよりも外したことにも気づかずに学校に向かってしまい、部屋には新鮮な汚物が転がっていたらしい。母に家に帰ったあとに怒られたことを覚えている。
このころから、ショックを受けるのをやめ、自分という人間に1つのあきらめを付けたのだと思う。
こんな経験から、僕は自分のもよおし加減を把握し、リミットはあとどれくらいかおおかたの予想をすることができた。
この腹の痛さだと、僕に与えられた時間は4から5分。普通に走ってトイレに滑り込めば、十分間に合うレベルだ。「大丈夫さあ、前に進もう」とBOYSTYLEのココロの地図の歌詞を口ずさみ、友達に別れを告げ、大きな一歩を踏み込んだ瞬間だった。
100の内の80の塊魂が、「ベンデービス」のクロップドパンツに投下された。流石、作業着メーカーの老舗である。しっかり全てを受け止め、地表に付着することはなかった。
不意をつかれた僕は、急に足を止めると、友達に怪しまれるので、そのまま汚物をズボンに引き連れて、後ろ重心の全力疾走。カウンターを待つ選手は常に後ろ重心、相手を呼び込んで拳を当てる。などと、冗談を言ってる暇もなく、走ってる間に第二波が僕を襲う。
走ってる間に限界がきた。時刻は午前0時。空いている店もない。せめて、人目につかないように「ほっともっと」の裏口に特大爆弾おにぎりを投下した。
情けなくて、涙も出なかった。走りながら酔いも醒めて、家の水道でひたすらパンツとズボンを洗った。
いつになっても変わることのない。反省もしない。わがままな人生を生きていると思う。
僕は我慢ができない人間だ。便意ぐらい我慢できないものなのか、と思うのだろうが、無理だ。いままで我慢してきたことなんて、一度もない。意志も弱いし、信念もない。
ただ、我慢すると体調を崩すし、ストレスのもととなる。我慢もしていないのに発熱と喉をひたすら壊した年末だったが、すでにバキバキにおならを連発しながらタバコを吸っている。
「エウレカセブン」の6択を21回連続外して、2択すら当たんないのに、これは無理と席を立った僕に誰が優しい言葉をかけてはくれませんか?

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