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『道に在る塊』




 

 中途半端に積った雪が寒々とした風景を更に凍えさせている。
 こんもりと積った雪道であったなら其処には何がしかの暖かみが感じられたかもしれない。
 真っ白な分厚い絨毯、などと夢見がちな事を想うわけではない。質量がどうのという事柄でも無く、寧ろ真綿に包まれている様な、と更に子供染みた意味でそう感じたのかもしれない。
 そんな曖昧な思考をぼそぼそと告げると、呆れた表情を隠そうともせずに彼女は云う。
 「まぁ、なんとなくは分かるけど、雪は毎年見飽きているでしょ?」
 確かに。ここは紛れも無く北国で、『雪かき』という言葉は比喩でも何でも無く、多大な労苦を伴う作業として使用される土地だ。雪を溶かす、その為だけに存在する融雪機なんて物までもがある土地だ。
 マンションならば管理人が無表情にやってくれるであろうその雑事も、無駄に大きな玄関周りの一軒家だと、面白味の欠片も無い厳しい労働でしかない。面倒だと放って置こうものなら、雪で埋まって外に出る事が大変厄介になる。謂わば、其れは義務的な肉体労働なのだ。
 尚且つ、日も出ていない真っ暗な時刻にやって来る除雪車という存在。
 煩い音を撒き散らすだけでは足らぬとばかりに、大きな氷と化した塊を道脇に、そして玄関先に綺麗な直線を配して何の躊躇いも無くその痕跡を残していく。出掛けようと玄関の扉を開いた朝、転がるそれらを好意的に受け入れる者は果たして居るだろうか。
 彼らのお蔭でどれ程道路がつるりと平坦になり、どれ程に歩き易くなっていたとしても。
 つまり、痕跡とは大抵が鬱陶しいものなのだ。

 彼女はそれきり言葉を発せず、目の下の隈を少しでも和らげようとするかの様に、指先でそこを押さえている。その小さい指は微かに震えていて、赤い色をしていた。
 手袋は持っていないのだろうか、生憎自分も持ち合わせてはいない。冷たい指で触れても血行はちょっとも良くならないのではないか。風邪は全く治っていないのではないか。
 そう慮ると、片頬を歪め、地下鉄の中で落とした気がする、とどうでもよさ気に目を瞑った。そして矢庭に歩みを止め、その場にしゃがみこみ、ごめんお願いだから、と膝に顔を埋めた。
 決意が固まったらしかった。
 彼女が時折示す、控えめなサインに気づかないふりをしていたが、実のところはかなり前に判っていた。
 別れと云うのはこうして呆気なく、中途半端な道端みたいな場面で訪れるだろう事も本当はとっくの前に気が付いていた。そして自分が、何の躊躇も無く頷くだろう事も。
 除雪車が残した塊みたいなモノすらもきっと二人の中には残らない。
 「さよなら、元気で」
 彼女の中には自分の痕跡は欠片も無くなるだろう。それに何故か安堵する。
 自分と云う存在は、既に通り過ぎてしまったのだ。
 空からは雪の降りそうな気配さえ無い。故に、視界は決して白くなど無い。勿論、黒くも無い。
 絵筆を執りもしない自分は、何かに色を塗りたくる事も出来ないし、したくもない。
 今ならどんな色が相応しいのだろうと首を傾げたが、実際のところ色などに別段拘りがある訳でも無かった。
 道は変わらず薄汚れた色で溢れていて、店先の傾いた看板に滑稽さを見出す事も出来ない。それが酷く残念だった。寒さの所為で感覚も麻痺したのかもしれない。
 何となく振り返り、遠くに映った彼女らしき後姿は風景に溶け込んだ誰かでしか無かった。
 そして、自分もまた道に在る景色の一つとして、何ら違和感無く其処に埋没しているのだろう。

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