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『砂、そして泡』


 浜辺に屈んで手のひらに乗せたものが、さらさらと零れていくのは綺麗な砂だけとは限らない。また、星の砂のような、時を経た珊瑚の欠片だけとも限らない。けれども、海水浴客たちが放置していった塵のみというだけでもない。
 ハルが砂浜にしゃがんだのは、微かな声が足元から聞こえたからだった。
 『見つけて、ここにいるよ。見つけて』
 それらは手のひらに乗せた途端、指の間から滑り落ちた。そして幾つかは風がさらっていってしまった。それは、小さな亀の子供たちだった。
 亀?その生き物は卵から孵り、真夜中の暗い海に向かってひたすら浜辺をまっしぐらに進むのではなかったか。そして、手のひらに無数に乗るほどのこんな大きさではなかった筈ではなかったか。過去に映像で見た光景をハルは思い浮かべる。そして、亀の声は人には『聴こえない』筈だと。
 ハルは戸惑った顔で振り返る。停めてある車に向かって、大きく手を振り、彼を呼ぶ。
 「どうしたの?海はもう飽きた?」
 車に凭れ、煙草をふかしていた男はずっとハルを見ていたから、直ぐに駆け寄って来て笑う。
 「ハルが海が見たいって云ったんだよ。こんな時期はずれの、寒い海に」
 「ねえ砂がしゃべったのよ。しかも、正確には、これは砂じゃあない」
 ハルはもう一度手で掬い取り、「ほら、見て」と、男の眼前にそれを差し出す。
 「砂だよ。間違いなく」
 「…でも、さっきは」
 口ごもったのは、それは確かにただの砂だったからだ。だから違う言葉を発する。
 「ねえ、亀は好き?特に、うんと小さいの」
 「かめ?甲羅のある亀かい?」
 「そう」
 「どうかな、あまり考えた事はないけど、嫌う理由もないな」
 「じゃあ好きでいて」
 男は不思議そうに首を捻り、そのまま頷いた。

 干潮の時間は終わったのか、波が徐々に足元まで近づいてくる。沢山の飛沫をあげ、そして白い泡が砂浜に残る。風が吹き飛ばし、泡は砂を横に駆ける。小さな白い亀が波間を走るみたいに。海に向かってではなく、もっと違う場所を目指しているみたいに。
 亀だって、海以外で走りたいと思っているのかもしれない。
 ハルも陸だろうと海だろうと、ともかく走っていたいと強く思い、彼の顔を見上げた。けれども、その視線はパーキングエリアのコンクリの地面に落とされていて、ハルには遠く見えた。
 その場をいきなり駆け出し、泡を追いかける。ブーツに海水が飛び散るが、どうだってよかった。背後で男が呼んでいるが、止めて欲しくはなかった。
 漂着したであろうごっとりとした木屑に足を取られ、ハルはその場にうずくまる。
 追いついた男は、ぶるりと震えた身体に上着を巻き付けた。脇に腕を差し入れハルを立たせ、抱きしめる。
 「どうしたの、ハル」
 「恐い。私を見ていてよ。見つけてよ」
 ハルは男の胸に額をあずけて泣いた。
 はらはらと落ち、泡と混じった涙は、きっと海と同じくらいの塩分を含んでいる。
 「すっかり冷えちゃったね」
 男が泣く理由を問わないのは、夏ははるか昔に終わっていたし、二度と同じ海は見れないからだった。
 二人は黙ったままだ。お互いの体温を、忘れないようにする為に。
 そして砂の声も、聴こえない。


あれ、冬の浜辺の写真が無いぞ🥲
スマホから消えちゃった。

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