今年のコナン脱出「黒鉄の海中研究所からの脱出」を全然楽しめなくてしょんぼりしています(ネタバレなし)

どうしても今年のコナン脱出の話をしたくて……書きます!!!
全然楽しい感じの話ではないので、よろしくお願いします!!!

!注意!
ネタバレ禁止公演ですのでもちろん本筋のネタバレはしませんが、公演のシステムの概要などには触れますので、全く情報を入れずに挑みたい!みたいな方は見ないことをおすすめします。
公式サイトに載っていること、開示されている情報まではこの記事で触れています。

※公式サイト内の「遊び方」にけっこう詳しく公演の流れが書いてあって、ここに書いてあることまでは開示OKと判断して記載しています。
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参加公演


リアル脱出ゲーム×名探偵コナン 「黒鉄の海中研究所からの脱出」


「脱出ゲーム」なのに脱出ゲームじゃないじゃん!

脱出をさせろ!!!!!!!!!!!!
100歩譲って脱出はできなくともせめて謎解きをさせろ!!!!!!!!!!!!!!!!

全然謎解きじゃなかった。もちろん脱出ゲームでもなかった。
かといって推理ゲームでもなかった、気がする。

謎解きでも脱出ゲームでもないなら、タイトルに「リアル脱出ゲーム」だなんてつけないでほしい。

伝統あるコナン脱出でそれは難しいのかもしれないが、それならこのシステムをコナン脱出で使うのは諦めてほしかった。
そのくらい、「これぜんぜん脱出ゲームじゃないじゃんよ~」って公演中ず~~~っと悲しかった。

2021年の「緋色の捜査網からの脱出」あたりからコナン脱出は「観客参加型」にかなり力を入れているように思えて、
2022年の「追憶のハロウィンからの脱出」では「配役つきチケット」なんていって、実際の公演内でセリフがある「役割」をつけたチケットも売るようになった。

正直自分はコナン脱出の「観客参加型演出」はそこまで刺さらずどころか、どっちかというとタイムロスや集中力が削がれるマイナス要素と感じていたのだけれど(脱出ゲームで体感できる自分自身の物語体験自体はとても好きだが、何事もほどほどがいいと思う派)、
それでも今年もコナン脱出に行こうと思ったのは、単純に「脱出ゲームが好きだから」に尽きる。

でも、今年のコナン脱出は、ついに「脱出ゲーム」ではなくなっていたし、「謎解き要素」もほぼほぼなくなっていた。かなしい。


脱出ゲームでなかったら何ゲーだったのか?

作業ゲーである。

まったくたのしくない、淡々とした作業を60分ひたすら「やらされている」感覚。(世の中にはあの"作業"がが好きなひともいるだろうけれど、自分はずっと苦痛でたのしくなかった)

補足しておくと、いつもの謎解きだって全部が全部たのしいわけじゃないこともある。苦手なタイプの小謎が解けない自分にイライラすることも、まあ、よく、ある。

それでも最終的に「今日も楽しかったな」で今まで総括できていたのは、たとえ途中にイライラする謎があったとしても、
公演を通していろいろなタイプの謎で満ちていて、一か所どこかで躓いたとしても、60分間ずっと苦痛であった公演なんていうのは、今までなかったからだ。

けど、今回の謎はそうではなかった。

ず~~~っとおなじ作業を、ず~~~~~~っと繰り返して、一つの作業が終わって次のステップへ進んだら、先ほどまでと同じ作業に再度、取り掛かる。

それを60分、ひたすらに続ける。苦痛だった、ひたすらに。

チェックポイントを何度かクリアし「さすがに次は違う手法のお題が来るだろ~!?」と思ってたらまったく同じ「作業」をやれと指示されたときは心がぽきりと折れて、
あーこれ、たぶん大謎までずっとこの調子だ……と悟り、なにもかものやる気をなくしてしまった。つらみ。

そして、作業の反復ということは、公演中、チームごとの自由時間がまったくなかったのも悲しかった。
あるじゃん……行き詰ったときに「あ…もしかしてさっきの部屋…もう一回行くってこと!?」「なるほど天才!?」みたいな。あるじゃん。こそこそ移動するやつ、あるじゃん。ワクワクするじゃん。

実際に閉じ込められるルーム公演のようにがっつり探索はしないけど、このホールにあるものはすべて活用して脱出する。
自分は、ホール公演のその絶妙な自由度が好きなので、今回それがまったくもって封じられていたのも悲しかった。

ていうか公式サイトには「コナン脱出は推理したり暗号を解いたりします!」って紹介されてるけど今年に関しては推理も暗号もほとんどなかったと思うのですが!?!?!? 看板に偽りありじゃないですか……。

6人卓はどう考えても設計ミスじゃない???

作業がつらくても、自分だけとか、自分ともう一人くらいの小さいグループだったら耐えられたかもしれない。
でも今回は6人でひとつのグループだったので、それもしんどかった。

というのも、今回の公演は紙も鉛筆もほとんど使わず、ひたすらにタブレットを操作しながら、耳につけたイヤホンから聞こえる音を頼りに進めていくのだけど、
その肝心のタブレットは、6人が同時には操作できないのである。

今までもタブレットを使用する公演は多数あったけれど、答えを入力するだけとか、映像を見るだけとか、そういう使い方であったので、まあなんとか6人でひとつのタブレットを「見る」ことはできた。
席によっては映像が見づらいな~と感じることもあっても、自動で流れる映像を「見る」ことは可能だった。

でも今回の公演は、タブレットを能動的に「操作」しないと話がまったく進まないので、「誰か」が常にタブレットを触って動かしていないといけない。

常に、である。60分間常に!
ずっとタブレットを操作する担当の人がいて、ほかの5人はその人の操作を元に流れてきた音をずっと聞いているだけ。

公演の大半の時間を、手を動かすことなくひたすらに音を聞き続けなくてはいけない人が多すぎて、どう考えても1チーム6人は多すぎる。

そして、このタブレット操作がちょっとでも楽しいものなら声を掛け合って「じゃあ次は交代してやりますか♪」とか「次、私もやってみてもいいですか?」って言いながら代わりばんこでできたかもだけれど、
前述のとおり、タブレット操作はずっと単純でつまらない作業かつ、ちょっとコツがいる操作性だったので、わざわざ代わりたいとも代わってあげたいとも思わないし、誰も言い出さなかった。
(自分のテーブルでは、の体験談であるので他のチームはわからないですが)

自分は今回の公演の適性人数、1~2名じゃないですか?と感じたんですが、当初は6人でどういう分担でやらせる予定でいたのか設計者の方に聞いてみたい。

初心者の方々に申し訳が立たなかったお気持ち表明

コナン脱出にけっこう参加してきたけれど、だいたい毎回「今回が初脱出ゲームで…」と言う方がいらっしゃるくらい、「コナン脱出」は脱出ゲームの入り口になっている印象のある公演だと思う。
だからこそ、初心者の方にも「脱出ゲームって、おもしれー!」と感じてもらえる2時間にしたかった。

自分自身、2016年に初めて脱出ゲームをしたときのことを今でもよく覚えているのだけど、
その時は同卓の猛者の方々にすごく親切にしてもらって、初心者でも解けそうな謎を配分してもらったり、大謎を前にしたときは右も左もわからない素人の自分の発想とか意見をしっかり聞いてもらえたこととかがうれしかった。
今でも彼らのことを思い出し、ああいうことを自分もできたらいいなとずっと思っていて。

なので、何をやったらいいかわからない…といった様子の人には、小謎を配ったりとか、「これ、たぶん会場内にヒントがありそうなので探して写真撮ってきてもらっていいですか?」とか声掛けしたりとか、「前の資料の中に見落としていることがないか、さっきまでの問題おさらいしてもらってもいいですか?」みたいに提案したりとか、様々、やれるときにやってみてはいる。

もちろん、その時々のテーブルの雰囲気やメンバーを見つつ、出しゃばりすぎないようには意識しているけれど、「誰も置いてけぼりにしたくない!(自分も置いて行かれたくないです!)」という気持ちは常に持って挑んでいるつもりである。

でも今回は、それがまったく……まったくできなかった!!!
ていうか、やる余地が欠片もなかった!!!!!!!!

たしかに前説で「情報共有と役割分担が大切」って注意されなかったから、あれ?とは思ったのだけど。
まさかここまで「情報共有も役割分担も一切できない」公演だとは思ってなかった。

ひとりがタブレット操作に付きっきり、あとの5人はイヤホンでひたすらリスニング。
なにかを会場に探しに行くこともほとんどなく、配られた資料を読み返すこともなく(そもそも配布される紙資料がほぼない)。

そもそも、音をずっと聞かなくてはいけないので、テーブルがとても静かで、疑問や発想を発言しようという空気になかなかならない。自分が喋るとリスニングの邪魔になるからだ。
なので、お互いに、相手がいま何を考えていたり、なにか疑問に思っていることがあるのかどうかが図れず、テーブル内の6人の進捗度共有がまったくできない。

そんな状況で、たのしくテーブルを回すことなんてできなかったよ~ッ!

今回も、自分と友人以外はおそらく4人とも全員脱出ゲーム初めましての皆さんだった。
でも、なにもできなかった。せめて少しでもたのしい空気にしようと思って、唯一自由に喋れるチェックポイントに向かう道中に意識して喋ったりしてみたけど、全然だめだった。
(がんばって喋りながら、ああなんて滑稽なんだ~…とさらに悲しくなったりもした。これは完全に自業自得である)

無念、無念すぎる。
自分が公演を楽しめなかったのももちろん残念だけれど、一回しかない「人生で初めての脱出ゲーム」で同卓の皆さんにあんな体験をさせてしまったことが、本当に無念すぎる。
もっとなにかできたんじゃないかと、公演終わって数日経ったいまも勝手に悔やんでいる。

帰り際、去っていく同卓の皆さんの背中に、今リバイバルで昔のコナン脱出やっててそっちは面白いんでぜひ吉祥寺寄って行ってくださ~い!って声かけそうになったけど耐えた。
(後から聞いたら同卓の友人も同じ声掛けをしそうになったらしい。わかります。)

公演のためのシステムだったのか、システムのための公演だったのか

今までの公演は、「こういう公演にしたくて、こういう体験をしてほしいから、こういう謎を作りました」というような意図を感じられたけれど、
今回の公演は「このシステムを触ってみてほしいから、こういう公演を作りました」に見えてしまって、それがどうもダメだった。

自分がSCRAPの脱出ゲームにハマった理由は、目の前の謎を解いていくと、いつの間にか物語に入れていて、いつのまにか「自分だけの体験」をできる不思議な空間にいられたからだった。
それはたぶん、物語の設計図を引いていく中で、ここでこういう気持ちになってほしいから、ここでこういった謎を散りばめましょう、といったように、公演の軸がまずあって、それに沿って謎や伏線が作られていったから、我々もすんなり世界に入り込めたのだと思っている。

それが、今回は残念ながら「システムありき・アプリありき」に感じた。
「音がメインのおもしろいアプリ開発したので、これを活用できる公演作りませんか?」みたいに、
まず「セキュリティ・オルカ」という崩せない軸があって、それに合わせて物語を組んでいったのではないか?というか。

実際のところ、卵が先か鶏が先かというのは消費者の自分には関係がない話ではあるのだけれど、
いろいろな脱出ゲームをやってきて今回はじめて「もしかしてこの公演……手段と目的が入れ替わってる~!?」と不審に思ったので、こういう表現をした。

何が言いたいかというと、つまるところ、今回の公演は「がんばって作った、新しい自慢のシステムを見せびらかしたいだけの場所」に感じてしまったのである。

新しいシステム作ったから見て見て~。タブレットで操作できるんだよ!ほら、動かすと音の大きさ変わるの!すごいでしょ!みたいに、
「システムを見せる」「システムに触らせる」ことが主軸となっていて、それに物語を付け足していったから、公演が終わった後に「…だから、何?」という気持ちになったのではないかと、いま振り返ってみると感じる。

「何のためにこの謎を解いているのか」というのは、意外と自分が大切にしていることなんだなというのを、今回の経験で逆に知ることができたのはちょっとよかったのかもしれない。

その他、感じたこと

・公演後、こんな話って言われてたっけ?と疑問に思って公式サイトに記載されているストーリー読み返したけどぜんぜん違うじゃ~ん!(盗まれたデータ……とは……偽りの音……とは……)

・公演中、追尾の操作性が面倒すぎて、莫大な金かけてるんだったら自動追尾システムくらいつけられるだろ!ポケモンスリープだって音がでかくなったときだけ録音できる機能あるぞ!?とキレてた

・ていうか最新セキュリティシステムなら声紋くらい特定してくれ

・ラストミッションに至る経緯があり得ないくらい暴論すぎて一瞬何を言われたかわからず「は?」って声出た。そんなこと言ってたらすべての脱出ゲームの否定になりませんか!?

・大謎(謎ですらないのでなんと呼んだらいいのか)のオチ、あまりにも拍子抜けで乾いた笑いが出た

・ストーリーのオチも「えぇ……」ってなった。驚きというより引いたときに出る「えぇ……」が自然と出た

・そもそもストーリー上の「我々」の参加動機が弱すぎませんか?(追い詰められているわけでも、命の危機があるわけでもなく……金なのか……金は大事だけどさ……)

・個人的には、「犯人特定」がゴールなのって、脱出ゲームと相性が悪い気がする。犯人突き止めるよりも爆弾解除したい。
犯人を特定してすっきりするのって、犯人のことよく知っているからこその感情じゃないですか?お前が犯人だったのかー!みたいな。(ミステリー三原則もそういうことでしょ!?)
去年の「追憶のハロウィン」のように自身にも名前があって、周囲の登場人物たちと密に関わる公演であるならまだしも、そうではない公演で犯人を特定したところで、そんなに大きな感情の動きはないように思ってしまう。

・全体を通して『名探偵コナン』とのコラボである必要性をまったく感じなかった。他の作品でも、オリジナル作品でもなんでもいいのでは

・ついでに言えば、「音」をテーマにする必要性もぜんぜん感じなかった。
 たとえばこれが、互いに顔が見えないネット上の話とか、電話でしか話せない相手だったりしたら「音」がカギになるのもわかるのだけど、実際に会って顔も見える状況なのにどうして音情報だけを抽出するのか?監視カメラの映像を使えば一発なのでは?音だけでは逆に不便では?とずっと疑問だった。
(実際に事件が起きちゃったんだから、実験中の乗っ取られたシステム使うよりすでに広く使われている監視カメラで追った方がぜったいに信用性高いと思うんですけどコナンくんは言い出さなかったので……)

・いちおう原作はミステリー作品なのにミステリーのお約束をあり得ない方向に破る暴挙に出ていて「そりゃないよ~!?」って思ったし今も思っています。(どこがどうというのはネタバレにあたるので伏せますが……そりゃないよ……)

終わりに

60分間の戦いののち、解説のタイミングで「でも本当に……これでよかったのでしょうか?」と問いかけられ、会場がざわつき、大謎の本当の答えが提示され、会場から悲鳴が上がる…………。
そんなテンプレをまったく無視した今回の公演の解説タイムは、とにもかくにもまあ、静かだった。

各テーブルの皆さんが、解説の時間になにを思っていたのかはわからない。
でも自分は「なんだったんだ…これは…?」の疑問で頭がいっぱいだったし、解説を聞いても悔しかったり誇らしかったりの感情がまったく生まれなかった。

こんなに静かな解説ある?ってくらい静まり返っていたあのホールの空気、ちょっとしばらく忘れられないかもしれない。

「SCRAPは脱出ゲーム以外やるな!」ということを言いたいわけではない、まったくない。
いろんなエンタメに手を広げていることは知っているし、いろいろチャレンジして、新しい世界を作り出そうとしてくれていることも知っているつもりだ。
その結果、また面白いものが生まれたらうれしいし、遊んでみたいなとも思っている。

でも、できあがったものが脱出ゲームじゃないなら「今回は脱出ゲームじゃないです」と言ってほしかったし、
それがおもしろい公演だと思っているなら「今回は脱出ゲームじゃないけど、でもおもしろいからオススメっすよ」と自信をもって言ってほしかったのだ。

そしたらこっちだって、「脱出ゲームじゃないならやめとこうかな」とか「脱出ゲームじゃなくてもおもしろいなら行ってみようかな」と判断することができたはずなのに。

今回のコナン脱出を「脱出ゲーム」としてリリースするなら、この先SCRAPが出すすべての「脱出ゲーム」に対して、
「看板には脱出ゲームと書いてあるけど……ほ、本当に脱出ゲームなの?」と懐疑的にならなくてはいけないのかも?と思ってしまっている。それはとってもしんどい。

これからもSCRAPのことを好きでいたいし、たくさん脱出ゲームで遊びたいから、いろいろ考えてしまった。
来年のコナン脱出はチケット買うの慎重になるかもしれないです。そういう体験でした。

でもこの日は失意のまま原宿に移動して「にじさんじ脱出」で遊んだら涙が出るほどおもしろくて感動し、まだまだSCRAPだいすきだ~!になりましたのでしばらくは大丈夫かもしれません。ありがとう、にじさんじ脱出。
(にじさんじは本当に最高だったのでまた語りたい)

長くなりすぎた!当日のアンケートに書ききれなかった思いを吐き出しました。読んでくれてありがとうございます。すっきりした!

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