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一筆書き1000 自己紹介(終)

記憶力はそこまで悪くないと思っている。多分。ひょっとしたら記憶力が悪いエピソードを"忘却"しているだけなのかもしれないが。「嫌なことを忘れる」というステップはあまり踏んでいないのかもしれない。そういうことはいつまでも覚えている。気分が落ち込んでいる時に寝たらいくらか気分が良くなるが、それは嫌なことを忘れたからではない。飲酒も忘却の手助けにはなってくれない。ただ酔って気持ち悪くなっている記憶が追加されるだけである。おそらく、私は嫌な記憶に対して忘れる以外の方法で太刀打ちしているのだろう。それは記憶、気持ちを整理して、無害なものに変化させるという方法である。ちょうど肝臓がアルコールに対して行なっているそれと一緒である。心の肝臓が周りよりも強いということだ。みんな吐きたくなったら私に吐いてね。
死にたいという気持ちには全くならない。メンタルが強いのは先述の通りであるが、理由はそれだけではない。すっごく誤解を生む言い方をすると世界は自分を中心に回っていると考えているからである。「人は死んだらどうなるのか」というのは死という現象が不可逆なものである以上答えが今までもこれからも出ないものである。それなりに仮説を立てることで死の恐怖を乗り越えようとしてきた。宗教とかね。先に言っておくと私は既存の宗教は信仰していない。日本人って大体そんな感じよね。私の仮説はというと自分以外は全員プログラミングされたNPCであるというものである。要は出来のいいゲームの中で生きているということだ。どうして自分だけなのかはデカルトが『方法序説』で難しく説明してるよー。自分が死んだらどうなるかというと世界ごと消えちゃうのである。怖いねー。つまり私と世界は一蓮托生ということになる。世界ごと消えてしまうので自分の死を悲しむ人は生まれない。少なくとも私が認知できる存在の中では。こうなった場合どうなるかというと自分の死に意味を持たせることができないのである。人生最大のイベントである死に意味付けを行えないのはなんとも寂しい。そう考えると私は誰よりも死を怖がっているのかもしれない。
ここまでの文章を読んでいて気づいた人もいると思うが私は社会において器用に生きるということができていない。ひねくれ方が尋常でない。なのでこの文章や私が書いている別の文章を読んで「この人は大丈夫だ」なんて決して思わないでほしい。心配するべきです。

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