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アッシュ・リンクスは運命を変えられたのか?

BANANA FISHのメインテーマの一つが魂の救済であることに異論はないと思う。愛とか生とか他にも探せば色々あるけれど、凄惨な人生を生きたアッシュの魂が最期英二の愛によって救済されたこと。あの微笑むような安らかな死に顔。

我々読者または視聴者としては悲しいけれど、アッシュが幸せならこれで良かったんだ。きっとそうなんだ。でも英二は?英二はどうなるの?辛すぎる。ふたりには幸せになってほしかったのに。ああでもこれ以外に結末は…ううっ。

1ヶ月ほど前にアニメBANANA FISHを視聴し、その勢いでコミックスを読了したわたしは未だ癒えぬエンドレスな苦しみの渦中にある。

アニメ放送終了から5年以上が経ち、はっきり言って今さらだろうし、たぶん読んでくださる方などいないのだろうけれど、それでもどうしても書きたいことがあったので、ここに綴らせていただいた。

わたしが書きたいこと、それはアッシュの運命についてだ。

冒頭で述べたとおり、アッシュの魂が救済されたことに異論はないと思う。

では運命についてはどうだったか。

英二は手紙の中でアッシュを「運命から守りたかった」と述べた。「運命は変えることができる」とも。

アッシュ・リンクスは運命を変えられたのか。奥村英二はアッシュ・リンクスを運命から守ることができたのか。

BANANA FISHについて書かれた考察や感想をたくさん拝読させていただいたのだけれど、どうもアッシュは運命から逃れられなかったというのが大半の意見のようだ。

つまりアッシュは英二の手紙を読んで幸福に包まれて死んだが、結局はあそこで死んでしまったのだから運命は変えられなかったのだと。変えられないからこそ運命なのだと。

でも本当にそうだろうか。
もしそうだとしたら、アッシュの運命とは何だったのか。
あの日あの場所でラオに刺されて死ぬこと?
ストリートキッズの抗争の中で命を落とすこと?
それともただ単に短命であること?

結論から言えば、どれも違うとわたしは思う。

ではアッシュ・リンクスの運命とは一体何だったのか。

それは「孤独」であるというのがわたしの答えだ。

どこにも戻れずどこにもたどり着けず、孤独に生き孤独に死ぬこと。それこそがアッシュの運命だったのだとわたしは思う。寒々とした雪の中をひとり歩み続け息絶えるキリマンジャロの豹のように。

作者がインタビューの中で「早く死ぬことが不幸だとは思わない。その人が幸せだったかというのは生の長さじゃなくて生の密度」と語っているように、アッシュ本人にとって早死にすること自体は不幸でも何でもなかった。

では作中においてアッシュが抱いていた苦しみの原点とは何だったのか。それはやはり「孤独」であることだったのだとわたしは確信している。

「いつかこうなることはわかっていたはずだ。守りとおすこともできんくせに。ただ自分の孤独を埋めたくてそばにおいたんだろう。彼はお前が救われるために存在しているわけじゃない!」

英二が撃たれた際、取り乱すアッシュに向けてブランカが放った言葉だ。そして最終話、手紙の朗読の間に挿入された英二のセリフ。

“ぼくは何から君を守りたかったんだろう?”

「以前アッシュとケンカしちゃった時、ぼく謝ろうと思って図書館に行ったんです。彼はひっそりとそこにいました。暴力や争いとはまるで無縁のように物静かで、でも孤独だった。それはもう、たとえようのないくらい壮絶な孤独でした」

“ぼくは運命から君を守りたかった。君を連れさり、押し流す運命から”

アッシュの運命=「孤独」であったことがはっきりと分かるシーンだ。

アッシュの孤独。その人生を振り返るに要因は数えきれない。母親に捨てられたことによる愛着障害、守られるべき時に守られず性的搾取を受け続けたトラウマ、凡人には理解できない天才のみが持つ悲哀、殺人者であるという地獄…。

図書館で英二が感じたというアッシュの壮絶な孤独は、平和な日本で家族や友人に囲まれて暮らしてきた英二からすれば想像もつかないほど、根深く救い難いものだったに違いない。

もちろん英二は英二で、才能あるトップアスリートとして一般人には理解できない苦しみや孤独を抱えていたのだろう。だが英二自身それが小さく思えてしまうほどに、アッシュの孤独は深かった。

少し話が逸れるけれど、英二という人間の本質というか強さをわたしはこの図書館のシーンに最も見い出すことができる。

「なかなか声がかけられなかった」と英二は言った。あのポジティブでコミュ力お化けの英二が近づくのを躊躇うほどの孤独。

そんなものを目前にしたら普通の人間なら逃げる。踵を返してその場を立ち去る。自分には手に負えないと思うからだ。

それでも英二は行くんだね。「何があっても彼を信じよう」という強い決意を抱いて。きっと身体中の勇気をふりしぼったんだろうな。

それだけでも十分すごいのだけれど、その後がもっとすごい。

「気づいてたんだろ?知らないふりなんかするなよ」

英二はいとも簡単にアッシュの心にすうっと入っていく。大したことなどなかったように。いつも通りに。これは英二にしかできないし、恐らくはマックスが語った英二の持つ不思議な力の作用なのだろう。

このシーンで涙する人はほとんどいないと思うのだけれど、わたしは毎回泣く。英二の強さと優しさに。アッシュが感じただろう喜びに。

そしてその場面のアニメの演出がすばらしい。英二がアッシュの前に現れた瞬間、薄暗かった館内に光が射し込むように周囲がぱっと明るくなる。

アッシュにとって英二が光そのものであることを表す象徴的なシーンの一つだ。英二がそばにいるとアッシュは光に包まれる。

アッシュは本当に嬉しかったんだろうな。英二が図書館に入ってきた時から気づいていたのだろうし、なかなか声をかけにこない理由にも、もしかしたら思い至っていたのかもしれない。それでも英二は来てくれた。アッシュの喜びがこの光の演出に表れているのかもしれない。

英二が自分を足手まといと分かっていても、アッシュのそばに居続けた理由。恐らくそれはチャーリーに頼まれて訪れた病室のシーンから始まって、アッシュの過去やトラウマを知っていく過程の中で、英二はアッシュを心に深い傷を負い孤独を抱えた一人の年下の少年としてずっと見ていたことだろう。

そして100%の優しさから、アッシュのそばにいて力になりたいと願った。それがかなわなくなった際には、せめて魂だけでもそばにいることを手紙で伝えた。作中を通して英二はずっとアッシュの孤独を癒そうと努めていた。

そんな英二と出会って、アッシュは生まれて初めて幸せを感じ、本物の愛を知った。
けれど英二の必死の努力にもかかわらず、アッシュの孤独が完全に癒されたかと言えばそうではなかった。
それほどまでにアッシュの孤独は根深かったともいえるし、また別の要因もあった。

自分のことを臆病だと語ったようにアッシュは基本ネガティブな人間だ。親に捨てられ他人から物のように扱われ、当然のことながら自己肯定感が異常に低く自分を愛することができない。

だから英二がくれる真心のこもった言葉もあたたかな抱擁も100%の意味で受け取ることができなかったのだろう。

英二のような人間がなんでこんな自分を気にかけてくれるのだろうとか、それを受け取る資格が自分にあるのかとか、すべてを否定的にとらえてしまう癖がアッシュにはあるのだと思う。

だから英二がどんな想いでどんな決意を持って自分と一緒にいるか、その理由さえ手紙を読むまで思い至らずにいた。
自分は「あいつの人生に関わっちゃいけない人間」なのだと、心の底では英二と生きることを最初から諦めていたから。

人生で唯一願った幸福さえ、最初から諦めざるを得なかったという事実が、アッシュの運命付けられた孤独を表しているようで、ただただ哀しい。


さて本題に戻り、アッシュは運命を変えられたのか。アッシュの孤独は完全に癒されたのか。それは最終話で分かる。

“僕は君を守らなければとずっと思っていた”

すべてを捨ててでも守りたいと願った人が、逆に自分を守っていてくれたことにアッシュが気づくシーン。はじめて本当の意味でふたりの気持ちが通じ合った瞬間だ。

英二を守りたくて、でも守り通すことができなくて、そのことをすべて自分の責任として感じていたアッシュ。でも英二は英二の意志でそばにいてくれた。自分を守りたいと思っていてくれた。

感極まって衝動的に空港へと走り出すが、英二に会いたいということしか頭になく、隙だらけになったところをラオに刺されてしまう。

最期を悟ったアッシュは英二の手紙の続きをひとりで静かに読むために、降りしきる雪の中をふるえる脚で図書館へと戻る。キリマンジャロの豹が歩んだ道のりと重なる。

アッシュにとって図書館は特別な場所だ。暴力や争いとは無縁の平和の象徴であり、本来の自分でいられる場所、英二との思い出がたくさん詰まった大切な場所。そしてアッシュが選んだのはあの日仲直りの際に英二が座ったあの席。

“君はひとりじゃない。僕がそばにいる。僕の魂はいつも君と共にある”

涙を流しながら、英二の乗った飛行機を見上げるかのように図書館の天井を仰いだアッシュは、眩くあたたかな光に包まれていた。

光はアッシュにとって英二そのものだ。その時アッシュは英二の魂が確かに自分と共にあるのを感じていたのだろう。英二の想いがやっと100%アッシュに届いたのだ。

もっと早く気づけていたらと願わなくはないのだけれど、自己肯定感の低いアッシュには難しかったのだろうし、英二の命を危険にさらさないため生きている限りは一緒にはいられないという強い意思があったのだろう。

アッシュは死んだ。誰にも看取られずひとりぼっちで。でも最期アッシュは決して「孤独」ではなかった。

死の眠りが訪れるまでの間、英二の手紙を何度も読み返しながらアッシュが感じた幸福はいかほどだろう。一番大切な人からこんなにも想われていた。愛されていた。19年の人生の中で起こった凄惨ともいえる出来事すべてが帳消しになるくらいの幸福を感じていたのではないか。

アッシュは英二の愛を受け入れることによって運命を変えることができた。また英二は愛によってアッシュを運命から救うことができた。それがこの物語の結末だ。

コミックスにアニメのような光の演出はないけれど、表紙に注目してみてほしい。1巻からずっとひとりぼっちだったアッシュが、最終巻19巻だけは英二とふたりになっている。ああもうアッシュは一人じゃないんだなと安心させられる。

余談だが、キリマンジャロの雪の「神の家」とはアッシュにとって図書館を指すのだろうか。そうかもしれないし、違うかもしれない。もしかしたらそれは英二の故郷、出雲のことではないかとわたしは思う。

 小説キリマンジャロの雪の中で主人公は死の間際夢の中で飛行機に乗り、キリマンジャロの頂上にある「神の家」へと向かう。 

アッシュもきっと夢の中で飛行機に乗り、英二と共に日本へ向かったのだろう。英二の生まれ育った「神の国」出雲に。それこそがアッシュの見ていた楽しい夢の正体なのではないか。

インタビューの中で作者はアッシュの死を「最高に幸福な死に方」と表現したけれど、たぶんその通りなのだろう。

「だって死んでしまったことで永遠に相手を手に入れちゃったわけでしょ。絶対に忘れられないじゃないですか。ちょっとずるいなっていうのもあるんだけど」

作者の言葉は、光の庭のシンのセリフほとんどそのままだ。
「満足だろう?」みたいな。

作者のこのコメントを読んで、アッシュは英二の身の安全のために英二を想いながらも離れて生きる決断をしたわけだけれど、唯一恐れていたのは英二に忘れられてしまうことだったのかなと、ふと思った。

「…そうすれば英二の身は安全だ。日本に戻り平穏な一生を送るだろう。そして君のこともやがて忘れる」

かつて月龍がアッシュに精神的攻撃を与えるために言ったセリフだ。

英二がアッシュのことを忘れることなんてあり得ないと思うのだけれど、それでももし仮にあのままふたりが二度と会うことなく、アッシュが死ぬこともなく、別れていたら…。

英二は家族の元に戻り、復学するなり仕事を始めるなりして日常生活が始まり、周りに友達もいるし、新しい出会いもきっとあって、恋人ができ、結婚して、子どもが生まれて…と人生を歩んでいくうちに、あのニューヨークでの日々がまるで夢だったかのように思える日がくるのではないか。

アッシュのことは大切な思い出として胸の一番奥に大事に仕舞って蓋をし、現実の人生をひとりの大人として社会人として生きていかざるを得なくなる日がきっと来る。家族を持つことになれば、ますます思い出から遠ざかる。

もしかしたらアッシュはそれを唯一恐れたのではないか。自分を忘れることが英二のためだと思いつつ、それでも忘れてほしくないと、どうしようもなく願ってしまう。だって自分は忘れるはずないから。ブランカ同様、今後誰かと親しい人間関係を築くことはもう二度とないだろうから。

だからといって死に際にアッシュがそんなことを考えていたとは到底思えない。だからこれはあくまで結果論だ。アッシュは英二の想いも魂もすべて独り占めしたままこの世から去ってしまった。


そうして光の庭に至るという…(泣)

光の庭におけるシンと英二の関係は何というかちょっと複雑に感じる。シンは英二に対して贖罪の気持ちからそばにいるようだけれど、それだけでもないような不思議な関係。

アッシュと英二が共に過ごしたのが約2年。それよりずっと長い7年もの間シンは英二のそばにいる。

「おれは必ずあんたからあいつを取りもどす」

シンが英二のそばに居続ける理由だ。アッシュの死にとらわれたままの英二を取り戻すこと。英二が幸せになってくれないとシン自身も救われることはないからだ。

そのためには英二とアッシュの間にある絆を越える必要があるのだが、それは不可能に近い。だって月龍の言う通り「思い出と戦っても勝ち目はない」のだから。

それでもシンは忙しい学業や仕事の合間をぬってカメラマンの仕事を手伝ったり、英二の作ったご飯を食べたり、日本語を少しずつ覚えたりしながら英二に寄り添っている。高級住宅地にある自宅にはほとんど帰らず、英二の家で同居しているかのようだ。

それはまるでアッシュの望んだ人生をそのままなぞっているかのようにもみえる。

「おれはあんたのそばにいていいのかな。アッシュの代わりにはなれないけど」

ひょっとしてシンはアッシュの代わりになろうとしていたのだろうか。無理だと知りながら。だとしたらものすごく切ないのだけれど。シンの優しさと切実さが。

アッシュにしろ、シンにしろ、ショーターにしろ、どうしてそこまでと思うほどに英二を大事にするんだね。もちろんそれぞれが抱く愛情の種類は違うだろうけれど。

月龍が英二が人に抱かせる庇護欲について話していたが、きっと英二の純粋さや優しさ、人間的魅力がそうさせるのだろう。英二は最後までBANANA FISHのヒロインだったな(笑)

英二は出会った人たち皆(月龍を除き)に好かれるけど、それは人柄からなんだね。
逆にアッシュが周りを惹き付けるのは強烈過ぎる個性(外見の美しさや際立った才能、頭脳)で、それが彼の不幸だったのだろう。出会った時から本来のアッシュを見て理解しようとしてくれたのは英二とショーターくらいだろうか。

光の庭で苦しんでいる英二とシンを見て本当につらかった。あんなにも優しいふたりがあんなにも長い間苦しみ続けているなんて。天国から見ているアッシュやショーターもさぞ心配しつらい思いでいるに違いない。

だからわたしは英二に言いたい。

あなたの愛はアッシュに届いたよ。
あなたはアッシュを運命から救ったよ。
だから大丈夫。
あなたもシンも安心して幸せになってね。


これがわたしの書きたかったこと。


もしここまで読んでくださった方がいましたら、拙い文章で誠にすみません。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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