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夏の往復書簡 2020 : 一之瀬ちひろ ⇆ ひがしちか 5通目

ちかさん、おはよう。

先週は、ちかさんから届いたメールを時々思い出していました。畑を耕しながらコシラエルを運営するってどんな感じなんだろう。制作者であることと経営者であることを両立させているちかさんの話はいつもとても刺激的です。
ちかさんのメールを読んだせいなのか偶然なのかはわからないけれど、先週私はいつになく緑に触れて過ごしました。

先週のはじめ、日本に7年住んでいたオーストリア人の友人が今月一杯で母国に帰国することになったから帰国前に一緒にどこかにでかけよう、という話になって、家の近所にある植物園に私の娘も誘って三人で散策に出かけました。夏の一番暑い時期だし、今年はコロナ自粛の影響もおそらくあって、植物園にはお客さんがほとんどいませんでした。実家の巨大なガーデンの世話をするのに子供の頃いつも借り出されたから草花の育て方はだいたいわかるという彼女と、都市に住むことと自然の中に住むことの質の違い優劣のつけ難さを話したり、住む場所を移動する決断をするときの不安な気持ちとすがすがしい気持ちが同居するなんともいえない心持ちや、帰国したら住むことになっている彼女の新しい部屋のインテリアの話などを聞きながら、森の中をけっこう歩きまわりました。町で吹いている風とは感触が違うね、とかいいながら。植物園の真ん中にはいくつかの気候が再現された大きな温室があって、熱帯の部屋に入ると天井からミストが降ってきて着ている洋服が汗なのかミストなのかわからない水分に浸されてぺったりして、何かわからない不思議な解放感を感じつつ、温室の池の中にみたことのない紫色の睡蓮を発見して、すかさずスマホのカメラにおさめたりしていました。
家のすぐ近くにあるのにその植物園を訪れるのは数年振りでした。私はなんでこのことを忘れていたんだろう、と思って、友人と訪問した後その週に3回も植物園に通いました笑。植物園の売店で娘たちとかき氷を食べ、夕方になってもまだ暑い庭園を眺めながら、私も無心で池を掘ったりしたらきっと気持ちいいんだろうなあ、と思いました。

自然についての本といえば、私も最近ときどき読み返す本があります。ジル・クレマンの『動いている庭』と、エドゥアルド・コーンの『森は考える』です。
『動いている庭』は、フランス人の生態学者、植物学者、農園家のジル・クレマンが書いた本で、人間の手によってつくる風景と、自然によってつくられる風景の関係性を、人間と自然の対立という視点ではなく別の角度から考え直そう、ということが書かれています。本の中身はだいたい実質的な庭仕事の方法について書かれているのに、文学のように読めるおもしろい本です。中でも私が好きなのはフランス東部の農業高校の高校生たちがクレマンと一緒に行った実習について書かれているくだりです。彼らは、放置されてただの荒地のようになっていた土地の中にランの花が自生している場所があるのを発見して、そのランの花の群生に沿って小径をつくり、荒地をかわいらしい庭に仕立てるのです。人間が自然に介入するのか、それとも自然の中にその一部として存在するのかということも、きっと畑仕事をしていると自然とわかってくるんだろうな。『動いている庭』はドキュメンタリー映画にもなっていて、映像に映るクレマンの暮らす森の家は小さくてとても快適そうで、一度訪れてみたい場所です。
『森は考える』は、人類学者のエドゥアルド・コーンが、南米エクアドルのアマゾン川流域に住むルナという人々のもとでフィールドワークをしながら考察したことが書かれた本です。おもしろいなと思ったのが、ルナ族の世界観。アマゾンの奥地に住むルナの人たちの暮らしでは、夜中にジャガーの唸り声が聞こえたり満月がとても明るかったりするので、眠りを中断されることが日常的な生活リズムの中に頻繁にあるそうです。そのように日常を生きているから、ルナにとって眠っている間に見る夢は私たちが考えているような現実から切り離されたものではなくて、目が覚めている状態と夢を見ている状態が絡み合って、彼らの世界があるのだって。彼らにとって「夢もある種の実在である」。へえ、と思いますよね。読んでいて、自分の中で絶対に揺らがないと疑いを持っていなかった枠組みがあっさり相対化されるときの、トリップ感のようなものを感じるというか。そういうルナと共に暮らしながら、コーンは「考える」のは人間だけじゃない、ということをいいはじめます。それで最終的に比喩としてではなく、ほんとうに「森は考える」のだと気づく。森が思考するそのプロセスの一部として、人間や動植物の生命活動がある、ということをいう。
だから「コシラエル」が大きな生き物であるのも、当然なのだと思います。
それから、メカスの『リトアニへの旅の追憶』の冒頭のメカスの語りを思い出していました。

1957年か58年の初秋のある日曜日の朝、キャッツキルの森に散策に行った。葉を杖で叩きながら、樹々の中を歩いて登った。上へ上へと、深く深く。そんなふうに歩くのが気持ちよかった。この10年のことを何も考えないようにして歩くのが。そして私は、戦争中のことや、ブルックリンの飢えのことを考えずに歩けることを、自分でも不思議に思っていた。それはほとんど、多分、はじめてのことだった。あの秋のはじめの日に森の中を歩いて抜けながら、私ははじめてアメリカにおいて孤独を感じなかった。地面があり、地球があり、葉や木々や人々がいると感じ、自分が少しづつその一部になっていくのを感じていた。

きっと、森に入らないとわからないいろいろなことがあるよね。エアコンのきいた部屋の中で経験できることには限界があって、経験の限界は思考の広がりの限界でもあるのかもしれない。というわけで、自分の小さな思考のループから脱出する一歩として、今日は娘と一緒に大きな公園の隣に併設された市営プールに泳ぎに行ってきます!

ちかさんも良い一日を。

2020年8月17日 一之瀬ちひろ


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~展示情報~

Coci la elle exhibition “ひらく”
2020年9月5日(土) – 9月22日(火祝)
コシラエルの展示会を開催します。
一点ものやオリジナルプリントの傘、日傘、ハンカチなどコシラエルのアイテムをずらりと展示販売いたします。
http://onreading.jp/exhibition/hiraku/

一之瀬ちひろ 『きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について』展
2020年9月5日(土) – 9月22日(火祝)
一之瀬ちひろによる私家版写真集『きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について』の刊行を記念して、小展示を開催します。
http://onreading.jp/exhibition/chihiro/

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