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同色の血が染み込んだ境界線#3
あらかじめ
この文章は2022年3月沖縄を歩いて旅をした際の記録です。
#3は僕のバイト先がある街です。
家と仕事の往復地である街を旅の通過点として訪れた時、街の眺め方、歩き方はどう変化するのだろう。僕は馴染みのある街を当てもなく散歩したら何を感じるのだろう。何をどのように写真に収めるのだろう。
漠然とした問いの答え合わせの散歩に出ました。
この街についての概要はこちらから
音楽で溶化されたゲート通り
上記のリンクより概要を見てくれた方、また沖縄県民は言うまでもなくこの街については何とんなく理解してくれたかと思います。
説明じみた難しい表現をせずこの通りを伝えるのであれば
”ハメを外せる街”とでも言いましょうか。
週末にもなると米軍と彼らに対し商売を行う店でこの通りは活気に帯びます。
ライブハウスにミュージックバー、音楽やお酒に関係するお店が立ち並ぶので。
一つ向こうの通りに行かねばコンビニもなく、タトゥーショップの方が多いです。極め付けには、路地から非合法な香りが漂うのもこの街の顔です。
簡易的に非日常が味わえるのでローカル好きでニッチな観光客には
ぶっ刺さる街です。
ストリートフォトを撮る写真家である僕にとっては食いしん坊にとっての高級バイキングみたいに興奮するんです。
選びきれないほどの料理に心を躍らせるし、いくら食べても帰る頃には未練がつきものです。あれもこれも食べれればよかったと。
撮っても撮っても撮り足りない。
”撮り尽くす”なんて言葉が存在しない果てのない旅路なのです。
毎日は無理だけど生きてる限り撮り続けたい。
そう思う街なのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1654808666002-mISCvDepai.jpg?width=800)
足棘音
![](https://assets.st-note.com/img/1654808919769-0unGo4EUd7.jpg?width=800)
無題
![](https://assets.st-note.com/img/1654808971731-mOXZIRoVdr.jpg?width=800)
no war ocean
僕が歩くこの街、僕が見たこの街
少し話はそれますが「良い写真」とは一体何なのでしょう。
これらの漠然的な問いには当然の如く無数の答え、別解に溢れグラデーションが生まれる事を前提として問題提起をしているのですが、いやもはや答えすら欲していませんが仮説を立てて眺めた方が僕は楽しいのであえて定義すると
”らしさ”が内在しているか。
これをとにかく大事にしてシャッターを切っています。
さらに分解すると、撮る人の”らしさ”写ったものの”らしさ”ですかね。
とはいえ、らしくない写真=いい写真ではない。
とも思わないのでこれまた難しいですが、ひとまず話を進めましょう。
いわば写真や絵、音楽と何でもそうですが
長く続けていれば製作者らしさって色濃くなってゆくものだと思います。
筆のタッチ感で「あの人の絵だ。」と気付いたり。
言葉選び一つで「あの人が作詞したのかも。」など
無数の作品を指先でサーフィンできる現代において
強烈なアイデンティティ探しに苦しむことも今になってよくある話ですが
だからこそ記名性の高い創造物は魅力的に感じるのでないでしょうか。
”らしさ”とは記名性でありクリエイティブやアートの本質にも感じます。
だから僕の写真は僕らしくあって欲しい。
写真に写った貴方が貴方らしくあって欲しい。
一種の祈りです。
![](https://assets.st-note.com/img/1654849925700-bspy8L1kbS.jpg?width=800)
路地裏
![](https://assets.st-note.com/img/1654850306822-n0IPwgzMHO.jpg?width=800)
無題
![](https://assets.st-note.com/img/1654850132666-ucnudqMuvH.jpg?width=800)
gate1
ズレる準備はできましたか。
僕にしか撮れないコザがある。
貴方にしか撮れないものがある。
貴方にしか奏でられない音がある。
貴方にしか描けない絵がある。
貴方にしか伝えられない言葉がある。
僕は自由なこの街からそう教わった。
”らしく”在りましょう。
人とズレた分だけあなた”らしさ”です。
街に告げられた人となり
このコザの街のゲート通りの先には一本の線があります。
![](https://assets.st-note.com/img/1654850977911-hbvWcdoCkd.jpg?width=800)
共解線
沖縄本土に引かれたアメリカ軍事基地領土と日本領土を区別する線です。
基本的には僕は線の向こうには入ってはいけない。
そういうルールらしい。
でもこの線がなければ、線の先にある基地がなければ今のコザの姿はない。
基地の有無に対する意見ではない。事実だ。
歴史を遡れば基地の有無に対して安易には言及できない。
僕には受け入れること、伝えることしかできない。
僕にとって対立を意味する境界線は
共存、理解、愛の価値を教える共解線だった。
受け入れる準備はできましたか。
最後にこの曲を聴いてください。
それじゃあまた。
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