制作過程と裏話 その2・あ、魚いた〈夢中のストラット〉

月刊ニュータイプ 2023年5月号掲載
夢中のストラット
その2『あ、魚いた』


〈memo〉
ニュータイプの編集者さんにお声がけをいただき始まった
私のオリジナルストーリーの短編連載、第2話です。

口上回です。

口上って、演劇とか劇団とか歌舞伎とかで、
何かの折に、上演に先立って、演者が舞台上からお伝えするご挨拶だとか、
あとは、アイドルのライブで、曲の間にファンが叫ぶ掛け声だとか
あると思うんですが、
今回イメージしたのは、『男はつらいよ』(山田洋次監督作品)の
寅さんの口上、啖呵売です。

啖呵売は、
大小多様な嘘も織り交ぜ、もっともらしい言い回しでもって
くだらない商品を売ろうとしているわけですが、
ここでのブブの場合は、まぁ多少大袈裟かもしれないにしても
一目惚れの口説き文句のような用途で用いておりますね。

音楽のような規則的なリズムがあるわけではないけれども、
階段を転がり落ちるボールのように
コロコロと出てくる言葉は、非常にリズミカルで、
語りかける調子は落語や漫才にも近い感じがしますし、
瞬発力という点ではラップにも近いものがあって、
聞いてて楽しいですよね。

こう、言葉がするすると流れ込んできて、
だんだん体がノってくる感じがするというか。

発語の根本には、踊るような身体との付き合いがあると
以前、本(確か伊藤亜紗さん著の『どもる体』)で読んだのですが
(お恥ずかしながら未読了)、

歌、ダンス、口上、ラップ、挨拶、会話、つぶやき、感嘆、などなど……
それらを「身体との付き合い」という視点で紐付けると、
意識とは別に、体の方に独自のリズムが流れているのがわかると言いますか、
自分という意識とは別の躍動する存在を感じられる気がすると言いますか、

それによってなんかこう、
「自分ってものは、身体という乗り物に乗っているんだな」
という気がしてくる、んですよね。

体を自由に動かすってめっちゃ難しくないですか?

運動神経の話からの、
スポーツやダンスが上手い下手みたいなことももちろんあるんですけど、
それよりももっと日常的な、
「自分の想像と同じ表情をして対面する」とか、
「健康的な姿勢で暮らす」とか、
「適度な声量で話す」とか、
「疲れていないときには息を荒げない」とか、
そういう仕草レベルのことも、
ふと考えると「体」を動かして成しているんだなと思うと、

なんでうまくできてるんだろう日頃……
いや、出来てなんかいないな……
この肉体は一体、今どう動かされて、空間の中にどう配置されているんだ……
僕の手は、腹は、どこに居ると言うんだ……

という気持ちになってくるんですよね。(迷いが重い)

ダンスや演技をしている人の方が、
自分の体がどんな形をしているのかについて
感度が精密というのは往々にしてあるわけですが、
自分はどちらかと言わずともかなり鈍な方だと思います。

体だけじゃなくて、言葉というものも、
どういうふうに聞こえるのかを客観的に把握して、
それを体得して使いこなすわけで、
そこには精度というものがもちろんあると思うわけです。

言葉なんて、音や抑揚だけじゃなく、意味も操っているわけで。
同じ言葉でも、前後の並びで意味合いが変わったり、
あるいは誰にとってどんな意味になるのかとかも、ときに覆ったり。

固定の絶対揺るがない姿ってものが無いじゃないですか。
外国語だってそうだし。
同じ実体を指していても、姿、「映え」は、ときに入れ替わる。
体だって、毎日栄養も細胞も入れ替わっているわけだし。
現象や条件や感情に一番沿うところに当てがって、
どうにか把握や、表現や、運動などをしているわけで。

そんな柔らかい外郭を操るって、
とても複雑なことしてるなぁって思、っちゃうんですよね。
反射ありがとう、認知ありがとう、言語野ありがとう、錯覚ありがとう、
私の出来ないことを全部してくれてありがとう、
っていう気持ちになります。

体ってなんかそういう、まるで他人のような、
本当はとても遠くて見通せない存在なんじゃないか
って、ふと改めて考えちゃうことがありますね……


そして、私はこう、
頭で考えたものを口を通さずに出力して終えているわけですが、
あいや嘘つきました、この第5話目を書きながら何度も自分で口に出してみて
せっせと推敲していたわけですが、
これがもう全然ダメで。
自分で口触りを確かめてもなんの参考にもならなくて。
口が、筋肉が、表現するところに達してないことを痛感するだけなんです。
抑揚も音色も音量も速さも息継ぎも、何もかも参考にならない。
私の体は身体表現としてはてんで使い物にならない。
(そういえば、月刊ニュータイプで対談させていただいた、七海ひろきさんの新連載『ナナミのキョウミ』で、これに近い話も出たんでした)

ブブは口を通して、体を使って、意味を紡いで、出力しているので、
すごいなーと思います。
意識的にか非か、かなり練習しているんでしょうね。


話はズレるんですが、
今私のお腹には、1cmほどの胆石が1匹おりまして。
健康診断のエコー検査で見つかって、
いま病院に通いながら様子見ているところなんですけども。

以来、たまに激しい腹痛が襲ってくるようになったんです。

「胆石発作」っていうらしいんですけど、
消化液を分泌する「胆嚢」が、
食べ物を食べたことに反応して分泌時に収縮する際、
石がぎゅっと詰まることで、痛みを感じるみたいで。

胆嚢は働き者のようで、例えば牛乳を飲んだだけでも収縮するらしく、
激痛はたまにしか起こっていなかったけど、
収縮自体は毎食後、だいたい2〜3時間後に行われているみたいなんです。

それを知ってから、腹痛の予感が、
微々たる感覚の違いでわかるようになりまして。
激痛の時だけじゃなく、淡〜い、鈍〜い痛みの時もあるんですが、
めっちゃ微々たるやつでも、
「あ、これから大体あれくらいの痛みが、何時から何時まで続くな」
って、前もって覚悟ができるようになったんです。

しかも結構正確なんです。
いや褒められたもんじゃないですけどね。

でも「胆石発作」という言葉を知るまでは、
胆石発作が起こっているなんて、微塵も考えてないわけです。
でも胆石というものは、
1cmくらいの大きさになるまでに、5年とか10年とか掛かるみたいなんですね。
(食事内容がコレステロールに偏っていることだけでなく、
食事時間の不順が習慣化していたりすると、胆石は育つらしいです)
だから、ある程度長い期間、お腹には居たはずなんです。

つまり今までに、
食あたりとか、ストレスとか、疲れとかかな?と思っていたいくつかの腹痛も、
どれかは胆石のせいだった可能性もあるわけです。
なのに全く知らずに過ごしていた。

それが、知ったことによって、今では、
「このあとあれくらいの痛みの胆石発作が、何時から何時まで続くな」
とわかるし、それがわかっちゃうことによって
「じゃ、今からスーパーに行こうと思ってたけど、ダラダラしーてよ」
というふうに、積極的に省エネモードに切り替えることなんていう、
掌握した上での余裕を持った選択が、できちゃうわけです。

台風の被害を未然に防ぐようなことですよね。
無闇に痛みに耐えない。課さない。
こうやって自分の体とのコミュニケーションの解像度を高めていくのだと。

いやぁすばらしいな。これが体との対話か。
意外と自分にもできるんじゃないか。なんて思いながら。
そんなところで自分の成長を感じたりして。


である日、なんかとっても悲しい気持ちの日があったんです。
なんかすごく悲しくて、何にもやる気が出ないし、
なんか、元気がない日というのとも違う、
何か決定的な悲しみを抱いているように感じた日があったんですね。

でも理由がそんなに思い当たらないんですよ。
こんな、いきなり今日に限ってぐんと盛り上がるような悲しみのきっかけ、
別にないなぁ。美味しいものも食べたしなぁ。
なんか大失敗したわけでもないし。
買い物もしたし。掃除もしたし。悪くないなぁ。
なんだろなぁ。あぁ悲しい悲しい。
って思ってたんです。

それが数時間後にふと、「頭痛」だとわかったんです。
頭が痛かっただけ。
……「悲しみ」と全然関係ない。

昔からあまり頭痛が起きない体質だったので、
その感覚が頭痛だってわかんなかったんです。
だから、頭の痛みを感じながら
「私の心に何が起きているんだ?」って、
心の問題かと思って悶々と考えてたんです。

痛みを感じているのに、その感覚の素性を知らないから、
痛点からの情報だということすら認識できてなかった。
そのせいで、間違った世界線に迷い込んでいたなと。

で原因は、低気圧でしたね。
その日はなんか、みんながすごい、低気圧だーって言ってました。

低気圧によって体調が崩れるとかいうのも、
私にとってはここ数年の出来事なもので、思い至らなかったんですが、
にしても、それにしても、
大気が動いたことで、「私とても悲しい」と認識してしまうんだから、

闇雲に生きているなぁと。これぞまさに闇雲であると。
身体との対話なんてできるわけないなと思いました。
これで本当に爆弾低気圧だ台風だと来てしまっちゃったら
大泣きしてるかもしれないですよ。「特大悲しいー」っつって。
こりゃ桶屋も儲かるわけです。

もちろん痛み止めを飲むタイミングは逃しました。
そして低気圧が終わったら、スッと治りましたね。

低気圧認識の精度、ちょっとこれから上げていこうと思います。
敵は低気圧だと、タゲ把握しましたので。
雨の三日も降れば……いや、それは無理だな……
地道にヘクトパスカルを読み解いたほうがいいかもしれないですね。



月刊ニュータイプ、2023年8月号は、本日7月10日発売です。

今回はまた少し凝った構成に挑戦しまして、
多分noteにはそのまま掲載できないので、
何卒本誌をお手に取っていただければ嬉しいです。
夢中のストラットは第5話、フェス回その2です。


それと、本文中で少しだけ触れましたが、
7月号からの続きで、この8月号でも、
七海ひろきさんの連載コーナー『ナナミのキョウミ』に載せて頂いています。
前後編の後編です。

七海さんの興味にまっすぐに取材を行うというコーナーです。
7月号では主にモルカーDSのお話をさせていただていて、
8月号では私個人の制作への考えについてを主に聞いていただいたんですが、
ご好意で、私からも少し何か質問していいとお時間を頂いたもので、
あの宝塚ご出身で、退団後も、プロデュースや声優などに活動を広げつつ
役者や歌手としての活動を緩めない表現者・七海ひろきさんに、
七海さんにとっての「身体で表現する感覚」についてを、
すこしだけ聞いちゃったりなどしました。

感激でしたね……
「身体と向き合って生きている人だ」という感動がありました。

素敵な機会をありがとうございます。
そして新連載の一番最初にお声がけいただき、とっても光栄でした。
こちらもぜひ、本誌で見ていただけたら幸いです。


あと最後に、Threadsを始めましたので、そちらもよろしくお願いします!
500文字まで投稿可能というのを活かして、
noteよりもライトに、そしてよりリアルタイムな制作近況を
アップしていこうと思います。
たまにぼさっと呟いたりもするかな。

@__onohana です。Instagramと連携しています。
https://www.threads.net/@__onohana


ではまた。

ありがとうございます!