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『あの夜を覚えてる』制作後記 ばかまじめな403日間


それは、ラジオの奇跡だった。

オールナイトニッポン55周年記念公演『あの夜を覚えてる』を観ていただいた皆様、リスナーとして参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!ニッポン放送から贈る生配信舞台演劇ドラマというやたらと長い枕詞を抱えた本作は、3月20日に初演、3月27日に千秋楽を終え、23,000人以上の皆様と共に忘れられない「あの夜」を迎えることが出来ました。

申し遅れましたが本作の企画・プロデュースを務めた小野寺正人です。この作品の成り立ちを頭の先から尾っぽの先まで知っている立場として『あの夜を覚えてる』ができるまでの、ばかまじめな403日の制作の日々を振り返ります。

(このnoteの目的は、一つは『あの夜を覚えてる』の制作の裏側を知ってもらうことですが、それ以上の目的は、本作を一緒に作りあげたスタッフ陣の紹介にあります!本当に素晴らしいチームに支えられて作られた作品でした。是非スタッフの皆んなを知っていただき、彼らの次の作品を応援いただけると嬉しいです!)

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2021年2月17日 石井玄(プロデューサー)

1986年埼玉県春日部生まれ。2011年、ニッポン放送系列のラジオ制作会社サウンドマン入社。数々の番組ディレクターを担当し、2018年オールナイトニッポンのチーフディレクターに就任。2020年にニッポン放送入社。エンターテインメント開発部のプロデューサーとして、「星野源のオールナイトニッポン リスナー大感謝パーティ―」「佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー大感謝祭~freedom fanfare~」などのイベントに携わる傍ら、Amazonオーディブルのポッドキャスト「佐藤と若林の3600」のプロデュースと演出を担当。2021年には初の著書であるエッセイ「アフタートーク」を刊行するなど活躍の場を広げている。

始まりは1通のLINEだった。僕がもともと仲良くさせて頂いていた構成作家の寺坂直毅さんから「ニッポン放送とノーミーツで一緒に作品を作ったらなんか面白そう」とニッポン放送の石井玄さんを紹介してもらったのが2021年2月17日。この日『あの夜を覚えてる』が始まった。

石井さんは少年のような人で、ノーミーツという得体の知れない集団を「とりあえずなんか一緒にやろう」と面白がってくれて、早速打ち合わせをすることに。その打ち合わせが3月3日にあって、そのときの企画書がこちら(抜粋)

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タイトルも物語も全然違うけど、既に『あの夜を覚えてる』の片鱗がある。少年のような石井さんは、企画書を見てすぐに「よし、やろう!」とこの企画を動かしてくれた。アフタートークを読んだ方はご存知かもしれないですが、石井さんはとにかく仕事が早くて、打ち合わせ次の週には「なんだか良くわからないけど面白そうだからやってみよう」と企画のGOが出ていた。

↑打ち合わせ終わって直ぐの石井さんのTwitter。石井さんのこの熱意が『あの夜を覚えてる』を実現させた最大の原動力だった。

”ニッポン放送を舞台にして、演劇のようなものを、オンラインで、リスナーと一緒に作る”という非常にざっくりとした旗のもと『あの夜を覚えてる』が動き出した。

(ちなみにこの頃にANNの新ブランド”オールナイトニッポン X(クロス)”が発表になっていました)


5月21日 小御門優一郎(脚本・演出)

1993年生まれ。主宰の1人として劇団ノーミーツを旗揚げし、短編作品、長編公演の作・演出を務める。第三回公演『それでも笑えれば』で第65回岸田國士戯曲賞ノミネート。YOASOBI「三原色」の原作小説や、リアル脱出ゲームシナリオ、Webドラマ脚本など、執筆ジャンルを広げながら活動中。

とにかくやってみよう!と決まった後、2ヶ月くらいかけて企画の打ち合わせを重ねた。(石井P、小御門さん、小野寺に加えて、プロデューサーの梅田ゆりかさん、脚本協力の林健太郎さんなど)。企画のテーマはとにかく「ラジオ愛」。パーソナリティにとってのラジオ。スタッフにとってのラジオ。そしてリスナーにとってのラジオ。それぞれの「ラジオが好き」という気持ちが観た後に爆発するような公演を作ろう、というテーマが2ヶ月かかって決まった(ここに至るまでがすごく長かった…)

そして5月21日。『あの夜を覚えてる』脚本・演出の小御門優一郎さんが初めてプロット(企画概要と簡単なあらすじ)を書き上げた。

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「すべての夜に次ぐ」が正式タイトルの第一号。この時の脚本では「2時間きっかりの公演の中でリアルタイムでANNの番組が進んでいき、裏側も見せながら、番組が終わると同時に公演も終わる」のが面白いんじゃないか、となっていた。

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そしてこの頃、ついにタイトルが決まる。


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まだあらすじも企画も全く固まっていない中『あの夜を覚えてる』という言葉が妙に心を揺さぶり、満場一致でタイトルが決まった。「このタイトルは、パーソナリティの、スタッフの、そしてなによりリスナーの言葉だ!」と石井さんと小御門は盛り上がった。まだ企画決まってないのに。でも、あの夜を覚えてる、良いタイトルですよね。

この後、脚本は本当に難産になるのだが、最終的には本当に素敵で優しさにあふれた脚本を小御門さんは書いてくれた。



6月4日 佐久間宣行(総合演出)

福島県いわき市出身。 福島県立磐城高等学校、早稲田大学商学部卒業。 1999年4月、テレビ東京に入社し、『ゴッドタン』や『あちこちオードリー』などを立ち上げる。 2021年3月をもってテレビ東京を円満退社し、同年4月からはフリーランスとなる。

6月4日。はじめて佐久間宣行さんと打ち合わせをした。実は3月3日の石井Pとの最初の打ち合わせで、佐久間さんを(勝手に)企画書に総合演出として入れていて、その後石井Pが佐久間さんに「勝手に名前入れさせてもらってます、面白そうです」と連絡をしてくれ、佐久間さんが「うん。面白そう。やろう」と言ってくれて、改めて総合演出として企画・脚本打ち合わせをすることになった。石井Pは本当に仕事が早い。

佐久間さんとはこの後何度も、本当に何度も脚本打ち合わせを重ねることになるのだが、一貫して佐久間さんが口にしていたのは

”どうしたらリスナーが主役になるか”

だった。佐久間宣行のオールナイトニッポン 0(ZERO)のパーソナリティとして毎週リスナーと一緒にラジオを作っている佐久間さんは「この物語をただのラジオ局のお仕事物語にしてはいけない」「リスナーがいてはじめてラジオは成立する。それをこの作品でも表現しないといけない」と繰り返していた。

石井P、小御門さん、佐久間さんと何度も何度も脚本打ち合わせを重ねて『あの夜を覚えてる』大きな物語が見えてきた。


”自分の言葉で話すことを怖がるラジオパーソナリティが、リスナーの力を借りて、とうとう自分の言葉でラジオを通して話しはじめる物語。”

”ラジオが大好きなスタッフ(AD/ディレクター)が、迷いながらも、自分の信じる「良いラジオ」を、リスナーの力を借りてつくりだす物語”

”観客は視聴者ではない。観客はリスナー。リスナーは番組にメールを送る。そのメールが物語を完結させる物語”



6月8日 髙橋ひかるさんが【主演:植村杏奈役】に決定

6月22日 千葉雄大さんが【主演:藤尾涼太役】に決定

6月22日 主題歌が【Creepy Nuts×Ayase×幾田りら】に決定

6月30日 野上大貴さん、落合凌大さん、舟崎彩乃さんに脚本取材

7月1日 脚本第1稿が上がってこず〆切を1ヶ月伸ばす(1度目)

7月7日 メインキャストをオーディションで募集することが決定



7月9日 藤木良祐(オンライン劇場ZA)

1996年シンガポール生まれ、東京育ち。慶應義塾大学環境情報学部卒業。新卒で、株式会社電通に就職。退職後オンライン劇場ZAを立ち上げる。デザイン・エンジニアリングの両軸を専門とする企画立案から ものづくりすることが得意。

企画とキャストが本格的に決まってきた暑いこの時期、本作にとって最も重要な「リスナーがメールを送る」をどうやって実現するかの検討が始まった。

これが実は難しくて、普段ラジオを聴いているときと違って、本作は映像があるので、映像を観ながら公演(内の番組)にメールを送れないのだ。生の公演を見ながら集中力を欠くことなく、作品の世界に没頭しながらメールを送れる。そんなものが実現できないかと相談したのが、藤木良祐さんとオンライン劇場ZAのエンジニア・デザイナー陣の皆さん(土田悠輝さん、阪上葵さん、藤井陽介さん、板橋毅彦さん、渡辺基暉さん、小林莉華さん)の尽力のもと、ラジオの舞台のためだけにつくった配信ページと機能が完成した。

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チャットとメールがタブで切り替わる。第一幕は「藤尾涼太のオールナイトニッポン」第二幕は「藤尾涼太のオールナイトニッポン0(ZERO)」になっていました

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皆さんから頂いていたメールはこんな感じでニッポン放送のパソコンに表示されていました


8月1日 脚本第1稿が上がってこず〆切を1ヶ月伸ばす(2度目)

9月1日 脚本第1稿が上がってこず〆切を1ヶ月伸ばす(3度目)

9月15日 石井Pが自著「アフタートーク」を刊行

10月1日 脚本第1稿が上がってくるはずが”準備稿”が上がってくる



10月4日 目黒水海(アートディレクター)

1994年生まれ。エンタメ好きなフリーランスのアートディレクター・デザイナー。グラフィック、DTPからプロップスタイリングまでを幅広く用い、“物語のある体験設計”を行う。ノーミーツ BI・ディレクション、映画『彼女来来』ビジュアルデザインなど。屋号はnaminami。

ようやく脚本の準備稿があがり、『あの夜を覚えてる』のお披露目の時が近づいていた。情報公開は11月24日に決まった。アートディレクターで本作のすべての宣伝美術を担当した目黒水海さんは、宣伝ビジュアル第一弾のコンセプトを「覚えているあの夜」に決めた。リスナーの誰もに、覚えているあの夜がある。腹を抱えて笑ったあの夜。車の中から聞こえてきたあの夜。一人で過ごしたあの夜。そんなリスナーたちの思い出に寄り添ったビジュアルを作りたいと話した。

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そんなコンセプトのもと、宣伝ビジュアル第一弾のイラストは、ダイスケリチャード さんにお願いすることになった。言わずと知れた人気イラストレーターで、オールナイトニッポンのヘビーリスナーでもあった。ダイスケリチャード さんはこの話を快諾してくれて、本当に素敵なイラストを描いてくれた。

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ロゴデザインは、グラフィックデザイナーのかねこあみさんにお願いした。かねこさんは、あたたかみがあって、私たちのちかくにあって、そんなオールナイトニッポンのぬくもりをタイトルロゴに込めてくれた。

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ビジュアルができたことで『あの夜を覚えてる』の輪郭はより鮮明になっていった。スタッフ陣のテンションもめちゃくちゃあがった。

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目黒さんがつくってくれる宣伝美術をもとに、宣伝/PRチームの有賀歩美さん、佐藤瑞葉さん、小田切萌さんも毎日どうやったらこの公演に振り向いてもらえるかを考え頑張ってくれた。

そもそも、舞台なのかドラマなのか、得体の知れない本作は「観てもらわないと伝わらない作品」だった。だが公演制作上はある程度事前にチケットを買ってもらえないと、どれくらい機材を入れられるのか、どれくらいリハーサルができるのか、どれくらい演出を加えられるのかが判断ができなかった。

だからこそ、有賀さんを中心とした宣伝/PRチームは、企画当初からなるべくこの作品を翻訳して、皆が興味を持ってくれそうな語り口で少しずつ伝えていってくれた。


10月19日 髙橋ひかるさんに脚本取材



10月28日 紙谷崇之 徳田公華(プロデューサー)

■紙谷崇之
株式会社ロボット所属。福井県出身。昭和51年2月17日生まれ。プロデューサー。本業は広告映像制作。常におもしろいものや新しいものに挑戦し続けること、自分の領域を越えることを念頭に働いている。このプロジェクトにおける役割は、実制作がらみの全面的なサポートと実行、各所のプロデューサーや部署のボスたちと話したり通訳したりする、トラブルを潰す、コストとスケジュールを管理、全スタッフとのバランス調整などなど。頼まれたからには絶対転ばせない!全力で成功させる!という強い気持ちでプロジェクトに参加する。
■徳田公華
1992年生まれ、北海道出身。15歳で上京し、役者として10年間活動。その後、映画企画→会長秘書兼ハラール事業部営業→株式会社ロボットに飛び道具担当として入社。母は夏木マリに憧れており、父はゴルフの行きすぎで暗闇では見えにくい黒さです。弟は高校の教員をしています。ご縁を大切にして、心動かす作品づくりに携わりたいと思っています。

本番まであと5ヶ月。いよいよ公演制作を本格化させるにあたって、一体どんな人間がチームにいればこの作品が成功するのかを考える時間が増えた。(本当はもっと前に考えないといけないのだが、まずは面白い物語を考えるのに皆必死だった)ニッポン放送から贈る生配信舞台演劇ドラマ。簡単に言うと”映像作品”のジャンルに当てはまるので、映像制作の現場のプロが必要だった。10月28日、2人のプロデューサーがチームに加わった。

紙谷崇之 さんと、徳田公華 さん。CMやMVを何本もプロデュースしてきた彼らがチームに加わって、予算管理・現場の進行・特典や幕間映像の制作・役者陣の事務所とのやりとりなど、本当に多岐にわたる「制作の全て」を仕切ってくれた。

稽古ひとつとってもものすごく大変で。TwitterやPodcastで何度か石井Pが話していたが、ニッポン放送を使って本番想定の稽古ができるのが日曜日だけで、限られた時間の中で必要なシーンの稽古、メイキングの撮影、取材などをこなさないといけない。そんなとき現場ではいつ何をしないといけないのかを全員が一目でわかるように「香盤表」というものを作るのだが、2人の作る香盤表は芸術品だった。

2人が加わったことで『あの夜を覚えてる』はイーストブルー編から新世界編に突入した(と勝手に僕は思っていました)



11月1日 千葉雄大さんに脚本取材

11月1日 脚本第1稿が上がってくるはずが”準備稿第2稿”が上がってくる



11月17日 藤原遼(テクニカル統括)

1992年生まれ。株式会社CRAZYに新卒で入社。CRAZY WEDDINGをはじめ、法人や大型イベントにおいて演出・テクニカルディレクターを担う。その後、社長室に異動し、人事・カルチャー領域を担い、組織づくりを牽引。ノーミーツでは全ての作品の配信領域を統括。チーム内の組織づくりに加えて、新たにNOMEETS TECHを立ち上げ、オンラインエンタメの文化促進を目指す。

この頃から、どうやってこの企画を実現するかの技術的な検証が始まった。「ニッポン放送館内から生配信」は口にするのは簡単だったが、実現するのは本当に難しくて、本当に実現できるのか?と最後まで思っていたが、本当に実現してしまったのがテクニカルチームだった。それを統括していたのが藤原遼さん。

・何階に配信ベース(ヤシマ作戦)を置くか?
・どうやって階をまたいでリアルタイムで映像を飛ばす?
・リハーサルは何回やる?
・音はどうやって収録する?

技術的に必要な要素を洗い出して、ひとつひとつ潰していった。そしてチームに必要なメンバーを藤原さんをリーダーにアサインしていった。最終的には60人ほどの技術屋たちがニッポン放送に集結するにいたった。

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11月24日 情報解禁・オーディション告知

12月1日 オーディション締切 1500人以上の応募が集まる

12月2日 OFFICIAL BOOK の制作が始まる。

【OFFICIAL BOOK】ノーミーツのプロデューサーで編集者の中村加奈さん、アートディレクターの目黒水海さんを中心に制作が始まる。ラジオが好きな編集者と一緒にやろう!と話しスタッフを公募。編集者の鈴木梢さんがチームに加わる。更に、共通の知人を介してライターとして落合のダッチワイフさんが加わる。4人を中心に、キャスト、オールナイトニッポンスタッフ、ハガキ職人の皆さんの協力のもと60ページの冊子が誕生しました(この本だけで1本noteが書けるので、それは別に書こうと思います)


12月8日 永尾真也(テクニカルスーパーバイザー)

Chapters Film inc. CEO/Technical Producer/DIT
1980.11.28生。徳島県出身大学卒業後にカメラマンを志望し、TV番組撮影の会社に2年間在籍。その後音楽映像撮影の会社に再就職し、撮影全般の仕事に従事する傍ら、同社のシステムVEとしてマルチ中継撮影のシステム構築に携わる。退社後はフリーランスとなり、CM撮影のDIT技術を習得。ロンドン語学留学を経て、現在では多種多様なデジタル撮影に対応できるエンジニア 兼 アドバイザーになるべく、日々現場での経験を重ねている。将来的には撮影から納品までのトータルプロデュースを請け負えるようになることを目標としている。

テクニカル統括の藤原さんと演出チーム、プロデュースチームで特に時間をかけて議論したのが「機材」だった。

機材を一体何台入れるのかはこの作品において血であり骨だった。何台のカメラをニッポン放送の中に置くか、その中で移動カメラ(カメラマンがカメラを持って役者たちを追うもの)は何台にするか、どんなカメラにするとライブ感をそこなわずに、映画やドラマのような”映像作品”の見え方になるか、全く新しいエンタメをどうやって表現するのか。

その責任を担ったのが永尾真也さんだ。

永尾さんが、撮影監督の林 大智さんとこの頃から相談しながら、公演全体の撮影機材の考え方の地盤固めをしてくれた。『あの夜を覚えてる』で主に使われたのは、6Fのオフィススーペース、6Fの廊下、6Fのエレベーターホール、6Fの第5スタジオ、6FのMA1(編集室)、4Fのオフィススペース、4Fの廊下、4Fのエレベーターホール、4FのCDルーム、4Fの第2スタジオ、1Fロビー、6Fと4Fの間の階段だ。ひとつひとつのシーンをどのカメラでどうやって撮るのがベストなのか、永尾さんと林さん率いる撮影チームが演出チームと話しながらプランを固めていった。

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永尾さんが加わったことで、これまで机上だった企画と演出が、一気に実行アイデアまで解像度があがっていった。


12月11日〜13日 オーディション2次審査

12月13日 メインキャスト9人が決定

12月21日 主題歌Creepy Nuts×Ayase×幾田りらを発表

2022年1月7日 入江甚儀さんと顔合わせ

1月11日 脚本チームと撮影チームのMTGで脚本大幅改稿が決定

1月12日 吉田悟郎さん、工藤遥さんと顔合わせ

1月13日 鳴海唯さん、山川ありそさん、山口森広さんと顔合わせ

1月18日 相田周二さんと顔合わせ



1月22日 友花(ドラマトゥルク)

演出補・アクティングコーチ・ドラマトゥルク・演出助手。本名、田村友佳。6歳からクラシックバレエを始め、舞台の世界へ。総合芸術である演劇に魅了され、13歳から小劇場の世界に入り、17歳で女優デビュー。18歳で劇団KAKUTAを立ち上げ初期の代表・演出を担う。その後、アメリカ留学などを経て演出兼役者から演出助手に転向。2021年『TOKYO2020 パラリンピック 開会式』に演出助手として参加。同年秋より演出助手から演出補・アクティングコーチ・ドラマトゥルクにフィールドを変え活動している。主な参加作品、『粛々と運針』『ハイキュー!』『パタリロ』『NARUTO』『助太刀屋助六 外伝』『ピーターパン』他

そして、いよいよ稽古が近づいてきた。これまでスタッフだけで作ってきた『あの夜を覚えてる』を遂に役者たちと一緒に作る。それにあたって、ドラマトゥルクの友花さんがチームに加わった。

友花さんによると、ドラマトゥルクとは、演出の相談役として、演出家や役者の側にいて、作品の解釈や作品の中の厚みを出す通訳としての役割。

さらに友花さんは今回の『あの夜を覚えてる』では、毎日の稽古を計画し進行する演出助手としての役割、さらにさらに役者たちのケアをし舞台監督としての役割の、一人三役をこなしてくれた。

友花さん、演出の小御門さん、映像監督の宮原さん(後で登場します)が毎日深夜まで打ち合わせして、作品の中で見せたい物語とキャラクター、撮りたい映像の見せ方、挑戦したい演出を煮詰めに煮詰めて、それを稽古場で役者たちと一緒に形にしていく日々。

さらに、稽古にもハードルがあった。ニッポン放送が使えるのが日曜日だけで、平日は別のスタジオで稽古をしなければいけない。しかも、役者たちは皆忙しく全員で集まれる日程も限られている。そんな中で、作品の練度をあげるために、友花さんを中心とした舞台部のメンバー(川本裕之さん、酒井晴江さん、近藤茶さん、異儀田夏葉さん、安田美知子さん)が1つの稽古の密度を最大限まで高めてくれた。ノーミーツのオツハタさんも演技サポートをしてくれた(オツハタさんはこっそり出演もしていましたね。舞台部の川本さんも階段のシーンで出演していました)

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ニッポン放送の図面を見ながら皆でああじゃないこうじゃないと言いながら稽古頑張りました。

稽古場の管理、PCR検査、当日のキャストの控え室の管理など、公演の裏側は遠藤唯さんを中心とした、制作部の皆さん(山本誠大さん、中村有季奈さん)がサポートしてくれました。山本さんは27日の千穐楽にこっそり出演もしていました。


2月14日 稽古入り

2月20日 通し稽古(1回目)


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2月24日 石塚愛理(衣装)

1993年千葉県生まれ。服飾系の高校に進学。デザインや被服製作などについて学んだ後、18歳のときに師事。6年の過酷な下積み時代を経て、独立。現在はアイドルやミュージシャンのMV、広告撮影などジャンル問わず幅広くスタイリングしている。

この頃、9人のキャラクターの衣装のフィッティングなども並行して始まった。普段はあまり表にでないラジオ局で働いているスタッフは一体どんな服を着て毎日働いているんだろう?を衣装の石塚愛理さんは突き詰めてくれた。さらに、今回は第一幕と第二幕で2パターンの衣装が必要で、しかもラジオリスナーたちが「これ、あの番組の○○じゃん!」「これ、あの人の○○だ!」と盛り上がれるような小ネタも盛り込んでくれた。

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ディレクター堂島のスニーカーはナインティナインのオールナイトニッポンの三浦ディレクターと同じデザインのスニーカーです(演じている吉田悟郎さんはナイナイANNのヘビーリスナー)

ちなみに、生放送でずっとカメラが回っていて、衣装チームがキャストたちの衣装直しに入れない。なので実は、服の形が固定されるように所々縫っているそうだ(後から知った)。たとえば、植村や堂島のまくり上げてる袖には内側にゴムを縫い付けて落ちないようにしたりとか、植村、加野、藤尾、小園のジャケットやシャツの襟は形が固定されるように縫い付けてるらしい。これも生のコンテンツならではの衣装の工夫だろう(アシスタントの小野寺葉瑠さん、田中未来さんも頑張ってくれました)

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衣装だけでなく住本彩さんを中心としたヘアメイクチーム(MASHさん、井手弓さん、堀川知佳さん、村松亜樹さん、豊盛あん理さん)も、本当にニッポン放送で働いているんじゃないか・・・?と思わせられるようなキャラクターたちを作り上げてくれた。チャットやつぶやきでもヘアメイクを褒める声がたくさんあって嬉しかった。

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3月6日 水落大(映像演出/美術演出)

映像技術、演劇表現をバックグラウンドに、作品と人の間に新しい関係をつくっています。ノーミーツ作品では主に映像、カメラワーク、美術演出を担当。個人でもデジタル・機械の中の人間らしさをテーマに、美術館やイベント展示で、インスタレーション、現代アート作品制作を手掛けています。

 美術や映像演出も並行して進んでいった。そのうちのひとつが、「植村杏奈のインナーラジオ」だ。ラジオが大好きだが自分の思っていることを口に出して伝えられない第一幕の植村杏奈が、自分の頭の中で繰り広げられるラジオ番組では饒舌に話せる、という設定の演出。ラジオの語りと、舞台演劇の独白をミックスさせたような演出なのだが、実現させたのが、映像演出/美術演出の水落大さんだ。

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全3回のインナーラジオ(1回目:スタジオ、2回目:MA1、3回目:オフィススペース)が、植村の近くにあるその場にあるものをつかって生まれる。それだけでなく、例えば2回目のインナーラジオではMA1のモニターの画面がCMタイムラインになったり、波形モニターになったり。3回目のインンラーラジオでは、すっかり疲れ果てた植村の心情に合わせて、1回目のようなしっかりしたものではなく、お手製の即席インナーラジオに(ペンライトがマイクに、卓上カッターがカフに)なっていたりという細かいこだわりもあった。

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髙橋ひかるさんの名演と、美術チームのこだわりもあって忘れられないシーンになった。


そして美術チームのリーダーは、中込初音さん。ニッポン放送の実際の館内を使うからこそ、飾る美術だけではなく隠す美術も必要だった(映ってはいけない画面や、映ってはいけないポスター、映ってはいけないものがとにかく多かった)

しかも今回の作品は第一幕と第二幕の間で2年の月日が流れる。そのため、掲示物も張り替える必要があった。いわば美術転換だ。その時間も計算して、たとえば第二幕のポスターを貼った上から第一幕のポスターを貼って、転換時に剥がせるだけにしておくなど至る所に工夫がめぐらされていた。

もちろん隠す美術だけじゃなく、ラジオが題材の小ネタ満載の美術も作ってくれた。佐久間さんの書籍刊行ポスター、石井さんのポスター、藤尾がすっぱ抜かれた「週刊誌 自分自身」、マイカのオールナイトニッポン0、植村のデスク、相原のデスク、リスナーの皆さんが何度でも見返して楽しめるような美術が次々と生まれていった。

中込初音さん率いる美術チーム:武田梨緒さん、塚本侑紀さん、日高昇太朗さん、廣道景寿さん、後藤朔さん、神田菜睦さん、森川奈菜さん、橋口未緒さん、山田日菜子さん、中込拓音さん

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3月7日 作家の畠山健さんの指摘で藤尾涼太ANNのコーナー名が「あんなことこんなことあったでしょ」から「メモリーーー!」に変わる


3月13日 宮原拓也(映像監督)

1992年生まれ。映画監督。短編映画を中心に精力的に作品を発表。ドラマーとして音楽活動していた経験があり、音楽をはじめとした非言語的・ノンバーバルな表現が特徴的。監督作『ROTUINE』が若手映画監督の登竜門PFF映画祭2021入選、『EVEN』が東京国際映画祭AmazonPrime短編部門ファイナリスト など。

初演まであと1週間。演出チームのキーマンで映像監督の宮原拓也さんを中心に、一気に作品の中身を作り込んでいった。

①カメラ配置と導線
演出チームがまず進めたのは、「カメラの配置と導線」だった。
ニッポン放送の複数階、複数フロアを使っての生配信舞台演劇ドラマ。ストーリーのダイナミクスは失わずに、どうやって生でそれを実現するか、演出チームが一番時間をかけていたのはここだった。

3月の思い出として振り返っているが、思い起こすと年末年始からずっと演出チームはカメラの配置と導線をウンウン言いながら悩んでいた。導線を考えていくことで、逆に脚本の流れが変わった部分も結構あったらしい。

固定カメラは、無限に設置できるわけではなく、限られた中でどこを撮ると最も物語が伝わるか、のめり込めるか、リスナーが見たい目線はどこか、演出チームと撮影監督の林さんを交えて考えていった。(ちなみに、固定カメラは15台あって、そのうち6台はワンシーンでしか使われていないらしい)

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②スイッチングと撮影
ある程度のカメラ配置と導線が決まった後、演出チームが着手したのが「スイッチングと撮影」を固めることだった。スイッチングとは、たとえば1Fで藤尾と植村が言葉を交わすシーン、その後すぐ切り替わって6Fで野々宮が堂島と加野を叱るシーン、のように、このセリフ、この動作、この音楽、などの何かのタイミングでシーンをスイッチすることのこと。そのスイッチングのタイミングを、撮影プランの検討と一緒に進めていった。


今回の舞台は、撮影的には2つのブロックに分かれる。(1)放送前後のムービングカメラ(2)主に生放送中の固定カメラだ。

(1)放送前後のムービングカメラ
放送前後は人が大きく動く、ドタバタが起きるシーンだ。実際オールナイトニッポンは常に裏側でスタッフがパーソナリティがドタバタと日本放送を駆け回っている。おおかた導線を決めた後、細かい撮影の演出(どのアングルで撮影するかやどういった表情を狙うか)は、稽古をしながらカメラマンチーム(朝倉聖之さん、片岡翔吾さん、佐々木勇人さん)と現場で作っていった。宮原さんは本番中はヤシマ作戦のモニタールームに座って、カメラマンにインカムで「いや〜いいアングル!」「もっと攻めましょう!」と楽しそうに指示を出していた。ちなみにムービングカメラは2台ありました。

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(2)生放送中の固定カメラ
藤尾涼太のオールナイトニッポンの生放送中は、スタジオ内の出来事がメインなので、固定カメラで押し切る形になった。マストで狙わないといけない描写をなるべく逃さないように、事前に細かくスイッチングする箇所を決めた。(セリフきっかけや動ききっかけなどでスイッチング)

それでも役者たちは本番にアドリブを織り交ぜながら演じていくので、生の役者たちの動きに、スイッチングも生で合わせていった。

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③音響
最後に、本番直前ギリギリまで突き詰めていったのが「音響」だ。そもそもニッポン放送の館内には至る所にスピーカーが付いていて、完全な静寂になることはほぼ無い(それこそスタジオのブースの中くらい)しかし、本当に放送されているラジオは権利的にこの公演には使えない。0から用意する必要があった。演出チームと音響効果の荒木優太郎さんで1つ1つ音を作っていった。

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ただ用意するだけじゃなく、音響の流し方にも工夫が必要だった。例えばスタジオの中で流れる音、廊下で流れる音、6Fで流れる音、1Fで流れる音、すべて音の響き方や反響度合いは変わる。それをひとつひとつ効果をつけて調節していった。(例えば第一幕の終盤のASIAN KUNG-FU GENERATIONの「君の街まで」はスタジオのブースの中→ブースの外→1Fロビーと音の出方が変わっていく)

山川ありそさんが演じるミキサーの一ノ瀬が藤尾涼太ANNの番組の音を流し、それ以外の『あの夜を覚えてる』の作品としての音を柳田耕佑さんを中心とした録音音声チーム(辻 貴史さん、丸山洋平さん、古山遥介 )と音響チーム(高橋雄輝さん、高安謙太郎さん)で流した。

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3月20日 初演

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3月27日 千穐楽

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公演本番については、きっとリスナーの皆さんが感想を書いてくれるはずなので、ここでは書かずにしておきます。皆さんの感想、楽しみにしています。


ここでは、ひとつだけ。


この公演を作っている間、スタッフもキャストもずっとずっとずーっと不安でした。不安で不安でみんなピリピリしてぶつかり合うこともありました。


なぜなら、リスナーが居なかったから。


『あの夜を覚えてる』はリスナーが最後のピースとなってくれて、最後のスタッフ/キャストとして加わることで完成する作品。だから本番までどう転ぶか分からなかったんです。


あ、大丈夫だ。20日の初演でスタッフは皆そう思いました。メールをくれて、チャットをくれて、トラブルやハプニングを暖かく応援してくれて、面白くフォローしてくれて、公演が終わった後は周りに広めてくれて、このリスナーたちがいればこの作品は大丈夫だな、とスタッフは皆本当に安堵しました。


9人のキャスト、200人のスタッフ、そして23,000人のリスナーで作った、オールナイトニッポン55周年記念公演『あの夜を覚えてる』。改めて本当にありがとうございました。


ラジオを聴きながら、いつかまたどこかで会いましょう。


それでは、一旦終幕。







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