建国記念日が3つあってもいいじゃないか
建国の日、あるいは建国記念の日を制定するとしたら、それはどのような日にすべきかについては、3つの立場が考えられる。
1つ目は、天皇(朝廷)によって最初の統一国家が建設された日を建国(記念)の日とすべきという考え方。紀元節を復活させようとする人たち、戦前の紀元節であった2月11日を建国記念の日とした現在の制度を支持する人たちがこの立場だろう。
2つ目は、徳川幕府を倒して近代的な国民国家である明治国家が建設された日を建国(記念)の日としようとする考え方。
といっても、実際にそのような主張をする人をみたことはない。(私が不勉強のため知らないだけかもしれないが。)
それは、明治国家の建設が、大政奉還、王政復古という古代の理想の社会に復古するという政治的には古めかしいアナクロニスティックな形でなされたことを反映しているのだろう。
*補注
西ヨーロッパ的な価値観なら、近代的な国民国家が誕生した明治国家が建設された日を建国(記念)の日としただろう。徳川幕府を倒した政治勢力が、西洋の自由主義思想や民主主主義思想に影響を受けた人たちであったならそうなっていたかもしれない。
だが、実際に倒幕運動が行われていた19世紀中盤の時点では、自由主義や民主主義の思想が日本社会に流通するということはなく、尊王思想に影響を受けた人たちが、倒幕運動、そしてその後の明治維新を行ったため、日本の近代化は、経済や社会の面では西洋文明をとりいれ欧米化した近代社会となったが、政治の面では神話の世界で国家が建設された日を建国の日とするという点に象徴されるように、非近代的な要素を残したものとなってしまった。
そして3つ目の立場だが、それは国民主権の戦後の民主主義国家が建設された日を建国(記念)の日としようというものである。
もし、建国の日あるいは建国記念日を1日だけ制定するのなら、私は国民主権の戦後の民主主義国家が建設された日をそうすべきだと考える。
(もっとも、建国の日、建国記念の日などは不要だと考える人もいるだろう。私自身はそうした考えに異をとなえているわけではない。ここで述べているのは、あくまでも、建国(記念)の日を制定するのなら、という前提条件の下での意見にすぎない。)
ただ、現実の政治をみた場合、これから10年、20年の間に国民主権の戦後の民主主義国家が建設された日が建国(記念)の日となる可能性は限りなく低い。
一方、これから10年、20年の間に日本の社会が戦前回帰し、紀元節が復活し、戦前のような歴史教育、愛国心教育が行われる可能性は低いとは言えない。
というわけで、そのような状況になるのを防ぐための一つの提案をしてみたい。それは、建国の日、あるいは建国記念の日を3つ制定しようというものである。
大和朝廷によって建設された最初の統一国家が、現在の国家の原型となったとみなし、最初の統一国家が建国された日を、1つ目の建国(記念)の日とする。ただし、大和朝廷による統一国家がいつ制定されたのかはわからないし、これから先、それが判明する可能性もほとんどないだろう。
だから、ここは右派・保守派に妥協し、神話の世界において神武天皇が即位したとされる日を、便宜的に1つ目の建国(記念)の日とする。現在の建国記念日、2月11日をそのまま1つ目の建国(記念)の日とする。
次いで、近代的な国民国家である明治国家が建国された日を2つ目の建国(記念)の日とする。ただし、具体的に何月何日を建国(記念)の日とするかについては意見がわかれるだろう。大政奉還がなされた日か、王政復古の大号令がだされた日か、明治天皇が即位した日か、あるいはそれらとは別の日か。
最後に、国民主権の戦後の民主主義国家が建国された日を3つ目の建国(記念)の日とする。ただし、こちらも明治国家が建国された日と同様、具体的に何月何日を建国の日とするかについては意見がわかれる可能性がある。
現在、一般に終戦の日と言われている8月15日を戦後の国家が建国された日とみなすか、戦後の憲法が公布あるいは施行された日とするか、それらとは別の日とするか。
1つ目、2つ目の建国(記念)の日に対しては、左派・リベラル派からの反対が予想される。特に、どちらも天皇と建国の日が密接に関係しているから、天皇制を廃止すべきと考える共和主義者の反対は根強いだろう。
一方、3つ目の建国(記念)の日に対しては、右派・保守派からの反対がおこるだろう。
こちらは、戦後の憲法と建国の日が密接に関係しているから、戦後の憲法に否定的な感情をもつ人たち(押し付け憲法論者、自主憲法制定論者など)からの根強い反対が予想される。
右派・保守派には、2月11日を3つある建国(記念)の日の1つとすることによって妥協してもらう。左派・リベラル派には、戦後の民主主義国家が建国された日を3つある建国(記念)の日の1つにすることによって妥協してもらう。
大岡越前の三方一両損のエピソードではないが、異なる思想・価値観をもつ人たちが、1つ望みをかなえ1つ我慢することによって、対立が武力闘争にまで発展し、幕末以来の内乱状態におちいるのを防ぐことにもなるのだが……。
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