買売春と未成年の飲酒・喫煙に関して

・ブログに2010年4月18日公開した文章の転載

未成年の飲酒と喫煙を禁止した法律、買売春を禁止した法律。これらが社会の中でどのように機能しているかは、日本人の法とモラルに関する意識を知るうえで興味深い事例となっているだろう。

未成年の飲酒・喫煙も、買売春も法律上は非合法とされ禁止されているが、法律違反をした人たちを厳格に取り締まることはなく、大半は黙認され実質的には合法化されているといえる。どちらも事実上認められているのだから、道徳的な努力目標にとどめて、法律で禁止する必要はないだろう。

もし、非合法化したいのであれば、黙認して実質的に合法化されているという状況をあらため、違反者は積極的に取り締まるべきだろう。そうなると少なからぬ人たちが警察の御厄介になるし、警察の人手がこれらの取り締まりにさかれてしまい、より悪質な犯罪にさくべき人と時間が浪費されることになるだろう。
(ただ、落ちていた硬貨を自分のものにすることは、法的には違法行為らしいが、実質的には黙認されている。未成年の飲酒・喫煙も買売春もこれと同じようなケースとみなせるのかもしれない。)

未成年の飲酒・喫煙と買売春に対する態度を、人の道徳観と行為から次のように分類できる。
 1・未成年の飲酒・喫煙(買売春)を道徳的に悪いことと感じ、自らもしない。
 2・未成年の飲酒・喫煙(買売春)を道徳的に悪いことと感じているが、やってしまう。
 3・未成年の飲酒・喫煙(買売春)を道徳的に悪いことと思わないし、やってもいる。
 4・未成年の飲酒・喫煙(買売春)を道徳的に悪いこととは思わないが、自分自身はやらない。

未成年の飲酒・喫煙も買売春も、法で禁止されていなくても、やらない人はやらない。法で禁止していてもやる人はやる。合理的・現実的に考えれば、法律で禁止する効果はほとんどないのだから、あくまでも道徳的な努力目標として、飲酒・喫煙の害(特に年少者にとっての)や危険性、買売春の問題性などを広報活動や教育を通じて広めていけばいいだろう。(唯一、法的に効果があるのは、飲酒・喫煙や買売春をしてみたいが法律は犯したくないと考える人が、自制する場合だけだろう。ただし少数派であると推察される。)

道徳的な善悪と違法行為を明確にわけて、法律で禁止するのは道徳的に悪いことのうち、その行為をしたら厳格に取り締まる必要があるような悪質なものに限るべきだろう。ただ、日本人の中には(日本人だけには限らないかもしれないが)、道徳的に悪いことを合法化するなんて許せないという倫理的に潔癖な人たちがかなりいるために、法律上は違法となっているが、黙認され実質的には合法状態となっているという、建前(法)と本音(実態)が乖離している現象が生じている。

異なる価値感や道徳観をもつ人たちが、平和的に共存するための智恵だと肯定的に解釈することもできるかもしれないが、法が適切に機能していない、法治国家としておかしな姿だと解釈することもできるだろう。
悪法を廃止も改正もしないことは、法律に違反することよりも悪いことだろう。
飲酒・喫煙をした未成年の芸能人が、「ルールを守らなかった」というだけで重大な犯罪を犯したかのように非難される。一方、道徳的に問題のある行為をした政治家が、法律は犯していないとして開き直る。抜け道だらけのざる法を制定して、本来取り締まるべき悪質な行為が合法化される。その一方で、廃止または改正してもおかしくない法律を守ることが要求される。

ただルールを守ることを強要するのではなく、ある法律が適切なものかどうかを絶えず検証し、時代に合わなくなったものは改正するか廃止し、本当に守らなければいけない決まりだけを法として制定すべきだろう。

<追記>飲酒運転をして人を轢いた時、正直に出頭するよりも逃げてしまった方が場合によっては罪が軽くなるという法律、なぜそのままにしているのだろう。ただの怠慢?それとも法理論的に改正できない理由があるのだろうか。

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