憲法選び直し論について

・ブログに2010年6月1日公開した文章の転載

 憲法については、「内容」がよければその「制定過程」は問題ないという考え方と、「内容」だけでなく「制定過程」も正当性あるものでなければならないという考え方がある。

 日本の戦後憲法に関しては、その「内容」を批判している人たちが押しつけ憲法だといって非難しているだけでなく、「内容」を肯定的に評価している人たちの中にも、「制定過程」に問題があると考えている人がいる。

 ただ、憲法の制定過程に問題があるのだとすれば、「憲法選び直し」のような手続きを行い、制定過程に問題のないものにすればいいだけの話である。

「憲法選び直し論」を主張しない人が、自国の憲法をいつまでも押しつけ憲法だなどといって非難しているのは、(私からすれば)滑稽なことである。

(もちろん、憲法に定められた手続きに従って権力を手にした政治家に、自主憲法を制定する権限がないように、国民が憲法選び直しを行える法的根拠もまたないとは思うが。)

 ただ、「憲法選び直し論」を支持している人は少数派であるようにみえる(国民の多くは、「憲法選び直し論」という主張があること自体を知らないのかもしれないが)。

「憲法選び直し論」に対しては、3つの立場からの反対論が予想される。

1・合理主義的立場からの反対論

 憲法の内容を変更せず、現行憲法を支持するかどうかだけで国民投票を行うことは時間と金の無駄であるとする考え方。

国民投票は、内容変更の是非をめぐる場合のみ行うべきとする考え方。

2・「護憲派」からの反対論

 「憲法選び直し」の国民投票で、憲法9条改正派が多数派となることをおそれたため。「憲法選び直し」を行わなければ、改正反対派が国会で3分の1以上の議席を占めている限り、9条の改正が阻止できるから。

3・「改憲派」からの反対論

 「憲法選び直し」によって、国民が現行憲法を正当性あるものとして認めることをおそれたため。

押しつけられた憲法だから改正しなければいけない、自主憲法を制定しなければいけないという主張ができなくなるのをおそれたため。

(実は憲法を押しつけられたことを問題にしているのではなく、内容に不満があるだけなのだという本音が透けてみえる。)

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