「押しつけ憲法論」をめぐる認識の齟齬

・ブログに2010年6月3日公開した文章の転載

 戦後憲法をめぐっては、これを「押しつけ憲法」だといって非難する側と、これを擁護する側の論争が行われてきた。

だが、戦後憲法を非難する側と擁護する側では、戦後憲法に対しての認識が根本的にことなっているため、その議論は噛み合わず平行線をたどっていることが多い。

 憲法は、「制定過程」と「内容」から4つに分類できる。

 1・自国民の制定した「よい憲法」

 2・外国の力によって制定された「よい憲法」

 3・自国民の制定した「悪い憲法」

 4・外国の力によって制定された「悪い憲法」

 一番望ましい憲法が1のものであり、一番望ましくないものが4のものであることには、ほとんどの人が同意するであろう。

 だが、2と3のどちらが望ましいかは、人によって判断のわかれるところだろう。

「制定過程」よりも「内容」を重視する人は、2の「外国の力によって制定されたよい憲法」の方を望ましいと思い、「内容」よりも「制定過程」を重視する人は3の「自国民の制定した悪い憲法」の方を望ましいと思うだろう(もちろん、「よい憲法」と「悪い憲法」の判断は人によってことなり、すべての人が同じ評価をすることはありえないことだけれども)。

 現行憲法を肯定的に評価している人たちにとっての戦後憲法は、「外国の力によって制定されたよい憲法」だといえるだろう(人によっては、「自国民の制定したよい憲法」だと認識しているだろうが)。

 彼らからすれば、「押しつけ憲法論者」たちの主張する自主憲法案や憲法改正案は、「自国民の制定しようとする悪い憲法」にすぎない。

現行憲法擁護者の多くは、(私も含め)憲法の「制定過程」よりも「内容」を重視しているので、よいと評価している憲法をわざわざ悪い憲法にかえようとする主張や運動には賛同できないだろう。

 戦後の日本で、自主憲法案や憲法改正案が国民に支持されなかったのは、憲法改正論議がタブーとされてきたからというよりも、掲げられた自主憲法案・憲法改正案が現行憲法よりも悪いと判断されたからにすぎないだろう。

多くの国民が、現行憲法よりもよい憲法であると評価できる憲法案が提示されれば、そちらの方が支持されるようになるだろう。

 一方、「押しつけ憲法論者」たちにとっての現行憲法は、「外国の力によって制定された悪い憲法」であり、最悪の憲法と認識されているのだろう。

彼らが、憲法の「制定過程」のみを問題にしているのであれば、「憲法選び直し」などの手続きによって、憲法を「自国民の制定した憲法」にする必要があるだろう。

だが、そうしたとしても(彼らにとっては)悪い憲法であることにかわりはないだろう。

 彼らの多くは、日本の憲法を「自国民の制定したよい憲法」にしたいと考えているのであり、彼らもまた、憲法の「制定過程」ではなく「内容」を一番の問題にしているといえよう。

 現行憲法擁護派も、「押しつけ憲法論者」も、憲法の「制定過程」よりも「内容」の方を重視しているのであるから、戦後の憲法が押しつけかどうかをめぐる議論は二次的な問題にすぎない。

憲法の「制定過程」をめぐって議論しているようにみえながら、実は「内容」の是非をめぐって議論しているにすぎないといえよう。

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