日本人の東京裁判観

・2010年8月16日、ブログに公開した文章の転載

東京裁判を正当性があると思うか、東京裁判を受け入れるか拒絶するか。
以上2つの点を軸にすると、日本人の東京裁判観は4つに分類できる。
1・正当性があると認め、これを受け入れる。
2・正当性があるとは思わないが、これを受け入れる。
3・正当性を認めず、これを拒絶する。
4・正当性があると思うが、これを拒絶する。

4の「正当性があると思うが、これを拒絶する」という考えの人が実際にいるのかは知らない。
東京裁判を否定する人、拒絶する人はほとんどがこの裁判を不当な裁判である、正当性はないと主張しているので、4のような考えの人をみたことはない。
また、1の「正当性があると認め、これを受け入れる」という人も、いるのかもしれないが、私はみたことがない。
東京裁判を受け入れている人は、この裁判が正当性があるから受け入れているわけではなく、単に日本が戦争に負けたからやむなく受け入れているだけだろう。
保守系の政治指導者の多くは、内面では3の立場の人と同様、東京裁判を拒絶したいと考え、東京裁判に否定的な考えをもっているが、東京裁判を受け入れなければ日本が国際社会に復帰できないと考え、仕方なく受け入れているだけだろう。

○東京裁判を拒絶する人たち


3の東京裁判を拒絶している人たちは、戦争に負けたということがどういうことかよくわかっていないのだろう。
太平洋戦争は、連合国側が仕掛けた戦争ではなく、日本側が仕掛けた戦争であるから、戦争に負けた日本は、戦勝国の植民地になったとしても文句をいえる立場ではない。
(太平洋戦争が、連合国が日本を従属下におこうとして仕掛けた戦争であったのなら、話はまた別である。また、太平洋戦争はアメリカ側の罠にはめられた戦争だという説もあるが、その説の妥当性をここでは検証しない。)

それを拒否して徹底的に抗戦したとしても、完膚無きまでに叩きつぶされて、より悲惨な状態に落ち込んだだけだろう。
一時的に占領下におかれたが、完全な植民地にはならず、戦勝国側の行う不当な裁判を受け入れただけで独立することが出来たのだから、日本はかなり得をしたといえる。
(朝鮮半島、朝鮮人のその後の歴史と比較すればなおさらだろう。)

もちろん「戦勝国に正義面をされて裁かれる位なら植民地になった方がましだ。植民地にされたら、独立戦争をおこなうだけだ。」と、そこまでの覚悟があって東京裁判を拒絶しているのなら、それはそれなりに筋のとおった話ではある。
だが、東京裁判を拒絶している人の多くは、日本の行った戦争は正しい戦争だったのだから非難されるいわれもないし、裁かれる必要もないと駄々をこねている幼稚な人間にしかみえない。
「日本より国力の劣った朝鮮が日本に植民地支配されたのは、朝鮮側が悪いのだ」としながら、「日本に戦争で勝利した国が日本を裁くのは不当で許せない」と主張している自己中心的な考えの人が多いようにみえる。

○国際政治の現実


ただ、東京裁判が多くの問題を抱えた裁判であることは事実であるから、これを批判すること、非難すること自体はおかしなことではなく、むしろ当然のことともいえる。
私がここで批判しているのは、「東京裁判を批判すること」ではなく、「東京裁判を拒絶すること」である。
「東京裁判を拒絶する」という行為は、国際政治の現実を知らない甘い態度といえる。

国際政治の世界は二重の基準で動いているといえる。
表層的には(建前としては)「国際法」や「道義・倫理」に基づいて、深層的には(本音としては)弱肉強食のむき出しの力の論理によって。

力のない国が国際法や道義・倫理に反した行為をしたとき、あるいは国際法や道義・倫理に反した行為をした国が戦争に負けたとき。
この場合は非難・批判されるだけではなく、日本のように戦勝国に裁かれる事態にもおちいる。

一方、力のある国が国際法や道義・倫理に反した行為をしたとき、あるいは国際法や道義・倫理に反した行為をした国が戦争に勝ったときは、その行為は黙認されてしまう。
日本の行った戦争が道義・倫理に反した行為であったのは事実であるのだから、戦勝国に裁かれるのが嫌ならば戦争に勝つしかない。
勝ち目のない戦争を行っておきながら、負けたあとで戦勝国に裁かれるのは不当だと文句を言うのは甘い考えにすぎない。

もっとも、弱肉強食の国際政治の世界を、法の秩序に基づいた世界にしようという理想主義的な立場から東京裁判を拒絶するのなら、それなりに理解はできる。
だが、東京裁判を拒絶している人は、前述のような考えを非現実的だとして批判している人が多いようにみえる。

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