社会に関する4つの思考

・2010年、ネット上に公開した文章の転載

近代以降、社会に関しては4つのタイプの思考あるいは志向があるように思う。
1つ目は共産主義的思考、アナーキズム的思考あるいはユートピア志向。
力による他者の支配、富める者と貧しい者との経済的不平等、このような人間社会の根本的なあり方を嫌悪し、支配-被支配関係のない平等な社会、経済的不平等の少ない社会を夢想し追求する志向性、またはその思想。
 
2つ目は社会民主主義的思考、または福祉国家志向。
支配-被支配のない人間関係、経済的不平等や貧困のない社会、このような社会が実現できるのならばそれは望ましいことだと考える。
だが一方で、力による他者の支配や経済的不平等は人間の本性から生じる要因も大きく、共産主義者やアナーキストたちの望むような理想社会は人間にはつくれないだろうという一種の諦念ももつ。
それでも貧困や暴力による恐怖のない社会を努力してつくりあげていこうとする志向性、そしてその思想。

社会悪は、社会制度や社会構造などの環境・社会的要因と、人間の性質による要因、両方に原因があると考える。人間が人間である限り、その性質が変わらない限り、人間の性質が原因となって生じた社会悪はなくならない。だが、社会制度や社会構造をつくりかえることによって、これらが原因となって生じた社会悪はなくしていこうとする立場。
ユートピア志向のつよい人、理想主義的志向のつよい人たちからは「日和見主義者」として非難されることもあるが、現実主義的考えをもち、現実の社会問題を少しずつ解決していくことをよしとする思考。
 
3つ目は自由主義的思考、または近代市民社会志向。
共産主義的思考や社会民主主義的思考の持ち主は、貧困の撲滅や人々の共生を求める志向性があり、競争といったものにあまり価値をおかない。
だがこの3つ目の思考・志向性の持ち主は、競争、そして競争の結果生じる進歩、成長といったものに重要な価値をおく。
競争に勝ち抜くための努力、勤勉さを尊重し、人の助けを借りず自らの力で生きていくことを何よりも重視する思考。
競争に負けるのは本人の努力が足りないからだと信じ、弱者の救済といったことに対して否定的な考えをもちやすい。
だが一方では、競争のための公平・公正な前提条件・ルールなどを作為的につくりだそうとする考えももつ。
結果の平等よりも機会の平等に価値をおき、公平・公正な条件、透明性のあるルールの下で競争を行い、成長を遂げるべきだとする思考。
 
4つ目は封建主義的思考、あるいは前近代(非近代)的志向。
これは、力のある者、富をもつ者がより力や富を手にすることを当然とする思考。
人間の自然な政治行動、経済行動を何よりも重視し、社会のあり方を人工的・作為的につくりかえることを否定する考え方。
政治権力の力で貧困を撲滅しようとする福祉国家的思考だけではなく、競争のための公平・公正な条件をつくりだそうとする市民社会的思考すらも批判する思考。
近代的な、人間の理性によって社会を理想的なものにつくりかえようとする発想自体を否定する思考。

このタイプの人は、道徳というものを非常に重視するが、彼らの唱える道徳は往々にして力のある者、富をもつ者が、力のない者、富をもたない者を支配・抑圧する道具(支配イデオロギーとでもいうべきもの)になりやすい。
また、このタイプの人(自分自身、力や富をもっている人)は、自分が力や富を手にしたのは、努力が実ったから、あるいは公平・公正なルールの下での競争に勝ったからなのだと主張したがるが、実際には不公平・不公正な条件の下で有利に力や富を手にした場合も多い。
 
「進歩史観」の持ち主なら、人間の歴史・社会は「封建社会」-「市民社会」-「福祉国家」へと進歩してきたと考えるかもしれないし、「唯物史観」の持ち主なら、その先に社会主義から共産社会への移行を考えていたのだろう。

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