日本近現代史をめぐる4つの歴史観

 <日清戦争・日露戦争>を肯定的に評価するか否定的に評価するか、<日中戦争・太平洋戦争>を肯定的に評価するか否定的に評価するか、<戦後の日本>を肯定的に評価するか否定的に評価するか、以上の3点を軸にして、戦後の日本では大きく分けて4つの歴史観がみられる。

 1つ目は、<日清戦争・日露戦争><日中戦争・太平洋戦争>はともに肯定的に評価するが、<戦後の日本>は否定的に評価する歴史観。

これは、戦前の日本、大日本帝国を賛美し、戦後民主主義を批判する右翼の人たち、皇国史観の持ち主に特徴的な歴史観なので、便宜上「皇国史観」と呼ぶことにする。

 2つ目は、<日清戦争・日露戦争>は肯定的に評価するが、<日中戦争・太平洋戦争>は否定的に評価し、そして<戦後の日本>も否定的に評価する歴史観。

 これは、軍国主義化する以前の明治憲法体制の日本に郷愁を覚える人たちに多くみられる歴史観なので、「明治伝統主義史観」と呼んでおく。

「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」の関係者にはこの立場の者が多かったようである。

 特に「新しい歴史教科書をつくる会」は、教科書を検定に合格させるための戦術であったのか、公的には日中戦争、太平洋戦争を肯定せず、「皇国史観」とのちがいをアピールしていた筈である。

(ただし、「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」関係者の中には「皇国史観派」も少なからずいたし、今世紀に入ってからは日中戦争、太平洋戦争を肯定する発言をする人もめだってきてはいるが。)

 3つ目の歴史観は、<日清戦争・日露戦争>を肯定的に評価し、<日中戦争・太平洋戦争>を否定的に評価する点では<明治伝統主義史観>と同じだが、<戦後の日本>は肯定的に評価するもの。

 明治憲法体制から、軍国主義を経由せずに戦後の民主主義体制へと移行することを理想とする人たちに多くみられる歴史観なので「リベラル・デモクラシイ史観」と呼んでおく。

 司馬史観と呼ばれている司馬遼太郎の歴史観はこれに近いだろう。また、日本人全体の中ではこの歴史観の持ち主が一番多いと思われる。

 最後の4つ目のものは、<日清戦争・日露戦争><日中戦争・太平洋戦争>をともに否定的に評価し、<戦後の日本>は肯定的に評価する歴史観。

 明治政府当初の近代化路線は肯定するが、その後の帝国主義路線、海外拡張(膨張)路線は否定する考え方。

独立を保つための(自衛のための)必要最小限の軍事力のみを保有し、海外での戦争は極力避けようとする「小日本主義」に共感する人たち、反帝国主義、反植民地主義の左翼の人たちに多くみられる歴史観である。

この歴史観は、とりあえず「反帝国主義史観」と呼んでおく。

 ただし、以上の分類は極めて大雑把なものにすぎない。

日清戦争と日露戦争、日中戦争と太平洋戦争をセットにして、それらを肯定するか否定するかとしたが、日中戦争は否定するが太平洋戦争は肯定する(あるいはその逆の)考えも当然あるだろう。

 それに、それぞれの戦争に肯定的に評価できる要素と否定的に評価すべき要素があり、これらを全肯定するか全否定するかといった発想そのものへの批判も当然予想される。

 また、「皇国史観派」「明治伝統派」は戦後の日本を否定的に評価しているとしたが、彼らが否定しているのは主に戦後憲法や戦後民主主義体制であり、戦後の経済成長路線は肯定的に評価している人が多い。

 同様に、戦後の日本を肯定的に評価していると私がみなした「リベラル・デモクラシイ派」「反帝国主義派」も、戦後の日本を全肯定している人ばかりではないだろう。

 ここにあげた4つの歴史観は、戦後の思想言論空間の全体像を掴みやすくするために作りあげたステレオタイプの歴史観、一種の理念型にすぎない。

一人一人がもっている歴史観を細かく検証していけば、それは類型化できない複雑なものになるだろう。

○帝国主義路線肯定派の分類


 「皇国史観派」「明治伝統派」「リベラル・デモクラシイ派」は、19世紀後半の日本の帝国主義化を肯定している点で共通点があるが、その後の理想とする国家・社会のあり方をめぐって思想の相違がみられる。

 「皇国史観派」「明治伝統派」は、戦後憲法・戦後民主主義体制を批判し、戦前の国家体制を擁護する右派・保守派といえる。

「明治伝統派」は軍国主義化以前の体制を支持する穏健派で、「皇国史観派」は軍国主義時代の日本も肯定する極右系といえる。

 「明治伝統派」と「リベラル・デモクラシイ派」(以下「デモクラシイ派」と略記)は、戦後民主主義への評価をめぐってちがいがあらわれる。

「明治伝統派」は軍国主義化以前の明治国家体制が継続することを望む人たちといえ、「デモクラシイ派」は明治体制から軍国主義を経由せずに民主主義体制へと移行することを理想とする人たちといえる。

 漸進主義的な改良での明治体制から民主主義体制への移行を望む保守派と、革命による民主主義化を志向する急進派とに分かれるだろう。(前者は立憲君主主義者が、後者は共和主義者が多いと推察される。)

 帝国主義路線肯定派は、日露戦争後の対外政策をめぐっても意見が分かれるだろう。

外国に侵略されないだけの国力を身につけたら、それ以上の海外進出は避けるべきと考え、韓国併合や中国大陸進出に否定的な小日本主義に近い立場。

韓国併合や中国での権益確保は肯定するが、1930年代以降の軍国主義路線には否定的な立場。

1930年代以降の軍国主義路線も肯定する立場(「皇国史観派」に相当するだろう)。

 「デモクラシイ派」と「明治伝統派」は、それぞれの中に海外進出批判派と韓国併合、大陸進出肯定派がいると思われる。

だが、「デモクラシイ派」は海外進出批判派が、「明治伝統派」は大陸進出肯定派が多いかもしれない。

○反帝国主義派と帝国主義肯定派の対立


90年代後半の自由主義史観研究会、新しい歴史教科書をつくる会と左翼系の歴史学者、歴史教育者との論争は、表層的には日中戦争、太平洋戦争(あるいは軍国主義時代の日本)の評価をめぐって行われていたようにみえるが、深層的には日清戦争、日露戦争(あるいは日本の帝国主義化)の評価をめぐっての対立といえるだろう。

 前者は、日清戦争、日露戦争の勝利を、日本が欧米列強の仲間入りを果たした誇るべき国家、民族の歴史と考え、後者はこれらをその後の軍国主義化をもたらした否定すべきものと考えているのだろう。

 日清戦争、日露戦争を肯定的に評価している人たちは、「新しい歴史教科書」を積極的に支持はしなくても、これに比較的寛容な態度をとっている人が多い。

一方、「反帝国主義派」は「つくる会」の言動を厳しく批判していた。

 日清戦争、日露戦争肯定派と「反帝国主義派」との対立は、福沢諭吉の評価をめぐってもみられる。

左翼系の学者の中には、日清戦争とその後の台湾の植民地支配を肯定的に評価した福沢諭吉を、帝国主義者、植民地主義者とみなして厳しく非難している人がいる。

福沢諭吉が韓国併合以降の対外政策を支持したのなら、植民地主義者とみなせるだろう。

 だが、日露戦争時既に死亡していた福沢諭吉を、対外膨張主義者と同列にみなせるかは微妙なところだろう。

○個人的見解


 私自身は、現在先進国とよばれている国が過去に行った侵略行為や植民地支配、これらをすべて批判するその延長線上で日本の行った戦争や植民地支配を批判すべきであると考えている。

だから当然、「反帝国主義史観」に近い考えをもっている。

 だが、当時の政治指導者や財界人など、日本社会に大きな影響力をもつ人たちの多くが帝国主義路線を支持していただろうから、現実に日本が反帝国主義路線をとることは不可能であっただろう。

 当時の国民、一般大衆がどちらの路線を支持していたか正確なことはわからないが、おそらく国民の多数派は日本が欧米列強の仲間入りすることを肯定的に評価していただろう。

帝国主義路線を支持する国民と支持しない国民が半々であったとしても、政府の方針に大きな影響を及ぼすことはできなかっただろうから、やはり現実の歴史が反帝国主義路線になることはなかったであろう。

 なお、日清戦争、日露戦争を経て欧米列強に伍す国力をつけたから日本は独立を保てたのであって、もし両戦争を行わず反帝国主義的な政策をとっていたら、日本は外国の支配下、従属下におかれてしまった筈だ、と主張する人たちもいる。

 このような主張が妥当であるかは充分な検証が必要であるが、もしそうなっていたのだとしたら、反帝国主義路線ではなく、帝国主義路線をとったことがよかったといえるかもしれない。

(少なくとも日露戦争までの時期に限っては。)

 だが、反帝国主義路線をとっていても独立を保つことができ、地道な経済発展、漸進的な民主主義化を進めることができたのなら、その方がよかったといえるだろう。

(特に、日露戦争の一応の勝利が、その後の韓国併合、対外膨張路線へと必然的に結びつき、満州事変から太平洋戦争へとつながっていったのだとしたら。)

○日本の民主主義化をめぐって


 「デモクラシイ派」と「反帝国主義派」は、日清戦争、日露戦争の評価をめぐっては意見が分かれるが、戦後の民主主義体制を肯定的に評価する点では共通点をもつ。

(韓国併合以降の海外膨張路線に批判的な点でも共通点をもつかもしれない。)

 民主主義者、リベラリストにとっては、侵略はせず侵略もされずという方針を貫き、占領軍の力ではなく日本人自身の手で現在と同様の憲法、政治制度を作り出すことが理想だったといえる。

 日本が日中戦争、太平洋戦争を行わなかったらどうなっていたかについては、いくつかの考え方があるだろう。

 1つ目は戦前の国家体制が現在まで継続したとするもの。

「皇国史観派」「明治伝統派」にとってはこれが理想だったといえるだろう。

 2つ目は、漸進主義的な改良が行われ明治憲法と戦後憲法との中間的な体制に移行していたとするもの。

戦後憲法、戦後民主主義体制は占領軍の力があったから実現できたのであり、日本人自身の力ではそのような体制は作れなかったという考え方でもある。

 3つ目は、アメリカに占領されなくても遅かれ早かれ現在と同じような憲法、政治体制に移行していただろうとするもの。

 私自身の考えは2つ目のものである。

私同様、日本人自身の力では戦後憲法、戦後民主主義体制を作りだせなかっただろうと考えている人の中には、逆説的な形で太平洋戦争を肯定している人もいるかもしれない。

 「連合国相手に勝ち目のない戦いをしたからこそ、占領され民主主義的な憲法、政治制度がもたらされたのだ。もし太平洋戦争を行わなかったら明治体制がいつまでも続くことになっただろう。だから太平洋戦争をしてよかったのだ。」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?