私的革命観-70年前後の学生運動に関して

・ブログに2010年11月13日公開した文章の転載

私個人は、革命というのは制度選択の問題だと考えている。
現実(現状)の制度と、現実とは異なる制度、これらを比較したとき、現実とは異なる制度の方が良いと判断されたときに、制度変革を行うこと、それが革命である。
(現実と異なる制度は、他国において既に実現している制度である場合もあれば、思想や理論として存在しているだけで、実際には実現していない場合もある。)

革命についてこのような考えをもっている者からすれば、70年前後の学生運動はまったく意味不明である。
「大学の学費値上げ反対闘争」のように、具体的な目標のある運動については、その理念に対して共鳴もできるし、それなりの成果もあったのかもしれない。
だが、「革命」というスローガンを掲げて行っていた運動に対しては、まったく共感できない。
そもそも、戦後日本の政治制度・経済制度を具体的にどうのように変革しようとしていたのかがわからない。
百歩譲って社会主義の実現を本気で考えていたのだとしても、具体的にどのような手段や方法で目標を実現しようとしていたのかがわからない。
社会を本気で変革しようなどとは考えておらず、運動すること自体に生きがいを感じていたから、自身の満足のために運動をやっていたようにしかみえない。
(仮にそうであったとしても、どのような生き方をするかは本人の自由であるから、そのような生き方を非難も否定もする気はないけれども。)

ただ、革命が制度選択の問題だというのは、私の特殊な革命観であるのかもしれない。
山本七平と岸田秀の対談本の中で、たしか山本氏が「学生運動をやっていた若者たちは、既存の秩序がいったん崩壊すれば、そこからあらたなより良い社会が自然発生的に生み出されるという考えをもっていた。」といった主旨の発言をしていた(と思う)。
よく言われる「創造のための破壊」という奴で、変革後の社会像について具体的な青写真・設計図がなくても、まず既存の秩序を壊すべきで、そうすればその後の社会は現状よりも良くなるという、ある意味楽観的な、人によっては無責任と非難するような考え方といえるだろう。
現状に強い不満をもつ人たちはこうした考えに賛同するかもしれないが、現状にある程度満足している人たち、安定した秩序が崩壊することにおそれを感じる人たちからは反発を受けるだけだろう。
まあ、私が当時大学生位の年齢で、今と同じ考えをもっていたとしたら、学生運動をやっている人たちから保守・反動呼ばわりされたのかな~とも思う。

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