東京裁判とパール判決

・2010年11月10日、ブログに公開した文章の転載

東京裁判は、日本という国家が行った戦争を、戦勝国側が戦勝国の立場から裁いた裁判というイメージがつよい。
だが、実際には日本という国家を裁いたわけではなく、被告となった人たちの個人的な行為を裁いた形式をとっていたらしい。
それでもやはり東京裁判での有罪判決を、日本という国家の行った戦争を道義的に非難した行為と受け取っている人は多いだろうし、また被告全員を無罪としたパール判決を、日本の行った戦争が正しかったこと(あるいは間違いではなかったこと)の証明だと考えている人も少なからずいるらしい。

東京裁判で無罪判決を出したパール判事が、日本の行った戦争をどのように考えていたかは興味深いところではあるが、単純に考えても次の2つのパターンが考えられる。
1・東京裁判の被告は法的には無罪であるが、日本の行った戦争は道義的には問題がある。
2・東京裁判の被告が法的に無罪であるだけでなく、日本の行った戦争が道義的に悪いとはいえない。

だが、イギリスに植民地支配されていたインドの人間で、イギリスからの独立をめざしていたパールは、日本と連合国との戦いがインドの独立にプラスになるかということを考えていただろう。
(パールに限らず、インドや東南アジアの独立運動家たちは似たようなことを考えていたと推察できる。)

日本が連合国に勝利して、欧米諸国にかわって日本が自分たちを支配したときには日本を相手に独立戦争を行えばいいし、欧米の宗主国相手よりは日本相手の方が戦いに勝利しやすいと考えていたかもしれない。
また、連合国側が勝利したとしても、日本との戦いで国力が疲弊しているから、その後の独立戦争は有利になると考えていただろう。
インドや東南アジアの人たちの太平洋戦争への評価は、連合国側の人間や日本人の考えとは当然ことなっているだろう。

なお、太平洋戦争については自分たちの独立運動にプラスになるかマイナスになるかということを考えていたと推測できるが、インドや東南アジアの独立に直接は関係なさそうな満州事変から日中戦争にいたる出来事をどのように考えていたかは、また別の点から興味深い。

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