夢の手足は。‐ほぼ日の塾とわたし‐
ほぼ日の塾1期が終わってすぐ、自分のFacebookにこんなことを書いた。
先週末、参加していた「ほぼ日の塾」実践編が終わりました。
私がなにを学びたくてこの塾に応募し、塾での日々を通してなにを得て、これからどうやってそれを生かしていくのか。
ちゃんと書き残したいと思いますが、今、とにかく言っておきたいことは「本当に楽しかった」ということです。
よく知っている乗組員のみなさんから直接お話を聞く、語られるのはあの大好きなコンテンツの裏話!
さらには糸井重里氏ご本人まで登場し、実践編となれば「ほぼ日」の中に自分の書いた記事が並ぶ!
「ほぼ日」ファンなら楽しくないわけがない経験でした。塾のあいだずっと、一ファンとしての幸せを噛みしめていました。特に最初の塾で、「ほぼ日」の事務所で10時間ぶっ通しで過ごしたのは、「夢のよう」という言葉を使いたくなるひとときでした。
でもそれ以上に、言葉をベースにしてなにかを伝える、ということについて、信頼する「ほぼ日」の方々から学べたことが、大人になってこんなにワクワクすることがあっただろうかというくらい楽しかった。
課題を出すためには、自分と正面から向き合い、さまざまな勇気を出すことが求められましたが、その過程こそがしんどいけれど楽しかった。
考えて書いて発表する、ということの持つインパクトに久しぶりに出会って、そういうことが好きな自分に再会して嬉しかった。
DREAMS COME TRUEに「うれしい!たのしい!大好き!」というヒットソングがあります。
恋の始まりの高揚感を歌った元気な歌ですが、今の気持ちになかなかしっくりきます。
「ほぼ日の塾」が受講できてうれしくて、書いたものが選ばれてうれしくて、新しい友だちができてうれしくて。
永田さんやゲストの古賀さん、編集のみなさんのお話が聞けるのが楽しくて、課題に取り組むのはしんどいけど楽しくて。
それはもう大好きってことでいいんじゃないか。
最後の打ち上げで、糸井さんは「このまま進んでください。」とおっしゃいました。
実際は、このまま進む先には山も谷も石ころもある。
人はたやすくつまずくし、しゃがみこんだらなかなか立ち上がれない。
そういうことがお題目ではなくリアルに分かる程度には私も年をとっています。
けれども、うれしくて、たのしくて、大好きだ!という気持ちは、なにより大きな前進のエネルギーなんじゃないか。
「うれしい!たのしい!大好き!」の歌詞にある「目深にしてた帽子のつばをぐっと上げたい気分」というところ、今けっこうそんな気持ちです。
塾の最中には、実はこっそりとこんなメモも書いている。
ほぼ日の塾に参加して、もしかして一番良かったことは、私は「書く」ことについての欲があるぞ、ということかも。
うまく書きたい、いい文章が書きたい、そのために鍛錬したい、それを仕事で生かせたら…くらいまで思っているようだ。
今目の前にこの素敵な「塾」があるからかもしれないけど、博士号を取りたい、ということよりも鮮明にそう思っていることがよく分かってしまった。
もしかして「書く」ことじゃなくてもいいのかもしれないが、なにしろ「ああいうもの」に近づきたいのだ。
もちろん研究の世界にも「ああいうもの」はあるのだけれど、正直言ってそれに私はまったく触れられていない気がする。
でも、「ほぼ日の塾」で語られている「ああいうもの」の正体は、なんかこう、ひりひりするレベルでわかるのだよ。
よくよく考えなくてはいけないが(これも「ほぼ日の塾」で学んだこと)、
今、やりたい、やらねば、という方向に力を注ぐことしか人はできないのではないですか。
私が立ちたい打席は、書くという打席ではないですか(漫然と打席に立つのはだめという話を引用していた人がTwitterにいたけれども)。
「ほぼ日の塾」があり、対談が古賀さんで、嫌われる勇気を読んで、古賀さんのブログを読んで、この一連の流れは私にとって意味がありすぎるくらいある。
楽しそう、わくわく、というのが人間最大効率のエンジンだぜ、と思うし
目の前の課題が一番取り組みやすいハードルだぜと思うよ。
この文章を書いてから2年が経った。
1年前には、できないのは内心分かっているのにずっと未練があった「博士論文を書いて博士号をとる」ということを諦めた。
今の仕事か、はたまたもっと別の仕事なのか、研究ではない分野で「ああいうもの」に近づこうとやっと腹を決めた。
決めたけれども、自分で予見しているとおり、進む先の石ころにつまずき、順調にしゃがみこんだりしている。
ほぼ日の「いい人、募集。」という求人に応募して落ちた。
「ほぼ日の楽しみ展」のアルバイト募集にも応募して落ちた。
勤めて3年目だった職場では、5年目の古株教員(当校比)になり、なのに仕事で叱られる回数は増えた気がする。
勤め先のゼミの魅力を上げることが、塾応募の動機だったのに、相変わらず「フミ先生のゼミは結局なにをするゼミですか」などと言われている。
ブログを立ち上げてみたが、1記事書いてまさかの1年放置、その後も記事はなかなか増えない。
もちろん、ほぼ日で連載したりなんてしていない。
塾の打ち上げで、糸井さんは言った。
「どうぞこのまま進んでください」
その一事が厳しいのです。
「夢に手足を」
そのつけ方がわかりません。
そもそも夢って何だっけ?
その一方で、同期の活躍が目覚ましい。
ほぼ日でマンガを連載し、まもなく単行本が出る人がいる。
自社の商品がヒットし、さまざまなメディアで紹介されている人がいる。
編集者として担当した書籍がベストセラーになった人がいる。
転職して、新しい仕事がほんとうに「合ってる」ことが伝わる働きぶりの人がいる。
彼ら彼女らの活躍に触れて、一瞬、ほんの一瞬だけど、私はこの2年なにをしていたの?という後悔と、みっともない嫉妬が胸をよぎる。
でも次の瞬間、ほんとうにもう高揚する気持ちで、やったー!よっしゃー!きたー!よかったー!と思っている。
その仕事の中に「ああいうもの」が息づいているのがはっきりとわかるのだ。
あの場での学びがこの活躍につながっているのが、ほんとうに分かるから、そうだ、そうだよ、そうだよねー!と大きな納得がある。
そこをつなげることこそが難しいと知っている。
この人たちは、そこをつなげることに力を注いだのだと信じられる。
夢に手足をつけて進んだら、こんなふうになるんだ!
その姿をみて、嬉しくて励まされて元気になっている自分がいる。
ともすればずり落ちて目深になる帽子のつばを、同期・同窓の人たちが、その仕事ぶりで、ときには直接会って話すことで、ぐっと上げてくれている。
それに、私にもささやかながら手応えがある。
塾の同期にお願いして、勤め先のゼミで学生向けに話をしてもらったり、講座をしてもらったりした。
打ち合わせでは当たり前のように、塾の講師であった永田さんの言葉が合い言葉として確認される。
塾の学びを共有している人だから、本質的な話ができる。
信頼して任せることができる。
学生に、ふだんの授業とは違う世界を見せるゼミができたと思う。
去年アメリカでメジャーリーグの試合を観た。
イチロー選手が所属していた、マイアミ・マーリンズの試合だ。
塾の課題「私の好きなもの」の最後に、「来年は夫と息子と3人、でアメリカを旅する計画を立てている。私が観にいくから、イチロー選手は打つと思う。」と書いたのだから、行かないわけにはいかなかった。
イチロー選手は、打った。
現地でメジャーリーガー・イチローを見るという長年の夢が叶った。
長年の夢に「「私の好きなもの」という文章を書く」という手足をつけてほんとうによかったと、イチロー選手が出ないシーズンの終わりに改めて思う。
塾のある同期に、人生相談をもちかけた。
「ああいうもの」を目指したい、くらいの漠然とした相談である。
なのに、なんだかちょっと信じられないくらい伝わった気がしている。
そして今、私はnoteを書いている。
実は半年くらい、noteでなにか書いてみたいなあと思いながらぐるぐるぐるぐる逡巡していた。
それが、同期の提案で「えいや!」と書きはじめることができた。
塾の課題と同じく、しんどいけれど楽しい。
2年前に書いた文章たちは、まだ翼しかないふわふわしたものだったけれど、振り返るにそれは、まだうまく名を呼ぶことはできないけれど、確かに感じた「ああいうもの」と近しく生きていきたいという夢だった。
私が今感じている手応えとは、その夢に手足をつけて、とてもスローながら今わたしは歩いているという実感だ。
不安に触れるとすぐ縮こまる私の夢の手、すぐになにかにけつまずく私の夢の足は、同じ「ああいうもの」を一緒に体感した同期の仕事に触れ、会って話すと、伸びをして元気を取り戻し、膝の砂を払って立ち上がり動き出すことができる。
塾で学んだことで一番大きかったことは、人でも、モノでも、感情でも、目の前にあるものをじっと見て、嘘をつかずに考えることだ。
嘘をつかずに言えば、いつもそうできている、とは言い切れない。
それでも、心がけてきた分、目に映るものは前よりも少しだけ、くっきりと立体的に見えるようになった気がしている。
塾で得たものを携えて、こうして歩いていることが、うれしくて、たのしくて、大好きだ。
その気持ちは2年前と変わらないけれど、2年前より少しくっきり立体的になって、私が前に進むエネルギーであり続けている。
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