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【呂明賜】実働わずか1年ながら読売ジャイアンツ最強助っ人の話題には必ずその名があがるアジアの大砲 三冠王を獲得しても上にあがれない外国人ルールの中でもがき苦しみながら輝き続けた台湾が生んだ最高傑作

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、呂明賜を取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=_BoiCUHifCw&t=87s

台湾の華興高校から文化大学を経て
社会人の味全ドラゴンズ(ウェイチュアン・ドラゴンズ)では
4番をはり、アジア大会や世界選手権で活躍、
ホームラン競争100スイング中
52本をスタンドに運ぶ怪力を武器に
アマチュア通算112発の大砲は
その進路を注目されていました。

身長178センチ、握力80キロ超えの
筋肉スラッガーに対して
ボルチモア・オリオールズや大洋ホエールズから
オファーが届きますが、尊敬する母国の英雄、
王貞治氏が
監督を務める読売ジャイアンツに入団を決め
23歳の若さで海を渡ります。

当時のNPBのルールによって一軍に出場できる
外国人は2人までと決められており
ウォーレン・クロマティとビル・ガリクソン
という2名の元メジャーリーガーを抱える
チームにとって
台湾の逸材はあくまで第三の外国人という
保険的な意味合いでした。

1988年2月、自身の体重97キロに由来して
背番号も97番に決まり、宮崎二軍キャンプに
合流した呂明賜は元々、捕手だった守備位置を
外野手へコンバートされるところからの
スタートとなりましたが、
打撃のほうは評判通りの力をすぐに発揮します。

ファームの開幕戦から25試合で打率3割9分7厘、
10本塁打とヒットの3分の1がホームランという
強打者ぶりで
日本人なら間違いなく四番、山本浩二より
パワーがあって大杉勝男より器用。
外人扱いというのが残念だ、とジャイアンツOBの
張本氏も絶賛し、一軍デビューを誰もが
待ち望んでいました。

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