見出し画像

【小宮山悟】東京六大学野球に憧れ2浪して早稲田大学に入りドラ1でプロ入り後はエースとして活躍 メジャーのマウンドにも立ち日本復帰前に再び浪人するもブレる事なき不惑の精密機械にしてミスターコントロール

割引あり

おはようございます
世界で戦うために海を渡った侍たち
今回は小宮山悟さんを取り上げていきます

https://www.youtube.com/watch?v=xOhZPN47pMI

1965年、千葉県柏市で生まれ
小学生の頃から
野球を始めた小宮山は
芝浦工業大学柏高校時代にTVで観た
東京六大学野球に強い憧れを抱くと
高校の教員から早稲田が合っていると
助言を受けたために代々木ゼミナールに通い
2年間の浪人生活を経て早稲田大学教育学部に進学
野球部に入部しました

1年からベンチ入りを果たすと
2年の秋にはエースとなり
3年時に人生の恩師となる石井監督の
厳しい指導の元、
慶應の大森とのライバル対決は
早慶戦の華と呼ばれ盛り上がりを
見せたのです

秋の早慶戦では勝負したかった大森を
チームの勝利のために敬遠
悔しさから嗚咽しながらも勝利を手に入れると
4年次にキャプテンも任され
20勝10敗、防御率1.85、
165奪三振の記録を残したほか
教員免許も取得しました

小宮山自身
「2年も浪人して親に迷惑をかけたし
教師を目指すと約束したので野球は高校野球の
指導者として続けられればと考えていました」と
語っていましたが
1989年のドラフト会議で金田監督率いる
ロッテから1位指名された事で
プロ入りを決意
すぐに登板機会に恵まれます

プロ1年目から先発や中継ぎに
フル回転した即戦力は9月月間MVPを受賞するなど
防御率4位の3.27を残し
チーム最多の先発登板と最多投球回数も達成
ルーキーながら日米野球の代表にも選ばれ
後にチームメイトになるフリオフランコとも
対戦しました

長年エースとして君臨した
村田兆治のラストイヤーと重なり
レジェンドの凄みを間近で見た小宮山は
大きな影響を受け
2年目からはチーム事情も
相まって川崎球場最後の開幕投手を務めあげたほか
2桁勝利にオールスターゲーム出場と
村田の後を継ぐエースに成長したのです

本拠地を千葉に移し球団名も改称した1992年
八木沢監督の元でスタートを切った
若きエースでしたが砂が舞う海沿いの新球場と
コンタクトレンズの相性は悪く悩んでいた所
助っ人マイクディアズの助言により
ゴーグルを装着すると日本ハム戦で
3安打完封と合った事から
世界で初めてゴーグルをかけた投手となり
自身のトレードマークにもなりました

1993年は開幕から6試合連続完投勝利という
記録も達成、4月月間MVPも受賞しましたが
翌年は4年連続の開幕投手を務めた後
右肘痛に悩まされます

すると1995年、不思議な運命で結ばれた
ボビーバレンタインが監督に就任
無理をさせず故障を避けるメジャー流の起用法が
ぴったりハマった小宮山は完全復活を遂げ
伊良部、ヒルマンとともに三本柱を形成し
11勝4敗、防御率2.60の好成績で
前年まで9年連続Bクラスだったチームの
Aクラス入りに貢献しました

球団初の日本人複数年契約を結んだ1997年
伊良部、ヒルマンの退団もあり
3年ぶりに開幕投手に抜擢されると
無四球完封で勝利、8月は3勝0敗
防御率0.77の好成績で
月間MVPを受賞するなど借金19の最下位に沈んだ
チームの中で孤軍奮闘、防御率2.49で
最優秀防御率のタイトルも獲得します

ここから先は

2,481字

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!