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プエルトリコの孤児として極貧の環境の中でも神様が与えてくれた強肩を武器に最高峰の舞台でナンバーワンと言われる選手にまで成り上がった最強プエルトリコ捕手軍団の源流に位置する男 ベニート・サンティアゴ

おはようございます。今日、取り上げるのは
ニーダウンスローの創始者、
ベニート・サンティアゴです

https://www.youtube.com/watch?v=X8LMEvbBarU

1965年、トラック運転手の父親が家計を支える
プエルトリコの家庭に生まれた
サンティアゴは、生後三ヶ月で父親を
交通事故で失うと、貧しい生活に
耐えかねた母親も
我が子を友人に押し付けて失踪してしまいます。

生まれてすぐに孤児となり、貧困に耐える
悲惨な幼少期でしたが、神様が与えてくれた
野球という才能は一筋の希望の光となりました。

野球推薦で高校に進学すると、野球部のコーチが
サンディエゴ・パドレスのスカウトもしていた事から
1982年、17歳の在学中にアマチュアFAで
パドレス入団を決め、アメリカの地を踏みます。

ハングリー精神の塊のような男は
4年間のマイナー修行を終えた
1986年9月、
ついに世界最高峰のメジャーリーグで
念願のデビューを果たしました。

その類まれなる才能に惚れ込んだパドレスは
この年のオフに正捕手テリー・ケネディを放出して
レギュラーの座を与えると、見事その期待に応え
メジャー新人記録となる34試合連続安打を含む
打率3割、18本塁打、79打点
21盗塁の活躍で
ナ・リーグ新人王ならびに
シルバースラッガー賞に輝いたのです。

守備の方はリーグワーストのエラーと
パスボールを記録するなど、まだまだ
荒削りでしたが
膝を付いたまま二塁に投げる驚異の強肩で
ビンス・コールマンやティム・レインズといった
メジャーを代表する俊足を刺し、すぐに
才能の片鱗を見せました。

キャッチングが劇的に改善された翌1988年は
球界ナンバーワンキャッチャーへと成長を遂げると
シルバースラッガー賞に加えて
ゴールドグラブ賞も獲得、
攻守にわたってセンセーションを巻き起こし
秋にはメジャーリーグオールスターの一員として
初来日も果たします。

1989年からは4年連続オールスターに
選出されるなどスーパースターとなった
サンティアゴでしたが
極貧だった幼少期の影響か
年俸で球団と揉める事が多く
捕手というチームの要でありながら
この頃から移籍を繰り返すようになりました。

1991年のシーズンオフ、単年165万ドルを
提示されたサンティアゴは
4年総額1100万ドルを要求して交渉は決裂、
最終的に調停に持ち込まれると
330万ドルの1年契約に落ち着きましたが
両者の溝は決定的となり、
シーズン終了と同時に新設された
フロリダ・マーリンズへの移籍を決意します。

心機一転となった1993年4月5日
サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で
チーム第1号の本塁打を放つなど
若いチームの顔として活躍しましたが
指揮官グレック・リドックとぶつかり
レッズへ移籍、その後は
フィリーズやブルージェイズなど
高年俸やチーム内の衝突が原因で毎年のように
チームを変えていきました。

2001年に移籍した
サンフランシスコ・ジャイアンツで
ようやく落ち着くと
翌2002年は、打率2割7分8厘
16本塁打、74打点と活躍したばかりか
ナ・リーグチャンピオンシップシリーズで
MVPも獲得、チームをワールドシリーズに
導いたのです。

38歳となった2003年も
バリー・ボンズの後ろを打つ
5番打者を任されましたが
ロッカールームから注射器が発見された事から
ステロイド使用疑惑が浮上、自身は
ボンズのイタズラだと説明するも
ミッチェルレポートにその名が載り
チームに居づらい状況となったために
再びロイヤルズや
パイレーツへと移籍していきました。

しかし出場機会はほとんどなく
2005年を最後にひっそりと表舞台から
姿を消した10年後の2015年、
シルバースラッガー賞4回
ゴールドグラブ賞3回に加えて
5回のオールスターゲーム
に出場した異次元のキャッチャーは
サンディエゴ・パドレスの殿堂入りを
果たしたのち
生まれ故郷のプエルトリコで
プロバスケットボールの選手となった
息子ら愛すべき家族に囲まれながら
暮らしています。

冬でも気温30度を超えるカリブ海に浮かぶ小さな島、
プエルトリコの冬季リーグに参加していた
ロッテの安田氏は
「ここには名選手を輩出する土壌がありますね。
日本では確実にアウトをとる事を
求められるのに対して
プエルトリコは捕ってからどれだけ
早く投げられるかに重点を置いています。

そのために前にチャージして
エラーしても構わない。
それより攻めの姿勢が評価されるんです。

たとえキャッチャーであっても
内野の守備が上手く、グラブさばきが柔らかい。
そしてどんな形でもスローイングできるし
捕ってから投げるまでが早いんです」と
プエルトリコの野球感について語り、

プエルトリコ・ベースボール・アカデミー
の捕手コーチ、アダルベルト・フローレスは
「捕手にとって重要な7つの基本は
姿勢、構え、捕球、フットワーク、
スローイング、フォロースルー、そして
ブロッキングだ。
例えば穴のたくさん開いたゴルフ用の
練習ボールを素手でつかんでいく
捕球トレーニングをはじめ
プエルトリコにはキャッチャーを育成する
細かいメニューが豊富にあるんだ」
と多くの名捕手を次々と送り出す
キャッチャー王国の秘訣を明かしました。

動体視力が人間の10倍あると言われる
ハエを素手でキャッチする人間離れした能力を持ち
孤児と言う過酷な状況から己の体一つで
這い上がって
世界ナンバーワンキャッチャーとなった野生児は
サンディ・アロマー・ジュニアやイバン・ロドリゲス、
ヤディアー・モリーナなど
プエルトリコが産んだ最強捕手軍団の
源流に位置する男、ベニート・サンティアゴ

いかがでしたでしょうか?
これからも偉大な選手たちを
ご紹介していきますので
ぜひチャンネル登録
よろしくお願いいたしますね!
ご視聴、ありがとうございました
それではまたお会いしましょう!

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