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【ジェシー・バーフィールド】トロント・ブルージェイズ史上最高の外野トリオと言われたスターは読売に入団するとモスビーと共にメジャー仕込みのプレーを披露しMLB歴代最高クラスの爆肩を感じさせてくれた助っ人

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は
ジェシー・バーフィールドを取り上げていきます。]

https://www.youtube.com/watch?v=MRJxRwG_2JA

1959年、アメリカ合衆国イリノイ州に生まれた
バーフィールドはジョリエット中央高等学校を
卒業した1977年、MLBドラフト9巡目で
トロント・ブルージェイズから指名され入団すると
1981年9月3日、シカゴ・ホワイトソックス戦で
メジャーデビューを果たしました。

翌1982年には18本塁打、
1983年には27本塁打に68打点と
才能の片鱗を見せて迎えた1985年は
飛躍の年となります。

打率2割8分9厘、27本塁打、84打点のほか、
22盗塁も成し遂げる好成績で
球団創設以来初の地区優勝に貢献すると
翌年はさらに大爆発、
オールスターゲームに初選出されるなど
一流への階段を駆け上がり、最終的に
打率2割8分9厘、40本塁打、108打点の成績を残して
本塁打王とシルバースラッガー賞に輝いたほか、
アメリカンリーグNo. 1の強肩にして
ボストンの至宝、
ドワイト・エバンスに匹敵すると称された肩を武器に
ゴールドグラブ賞も受賞しました。

同時期に活躍した
ジョージ・ベル、ロイド・モスビーと共に
ブルージェイズ最高の外野トリオを形成したのち、
移籍したニューヨーク・ヤンキースで
通算200本塁打を達成しますが、
その後は故障にも悩まされ、1992年のシーズンオフ、
FA権を取得したものの、契約する球団が現れず
引退かと囁かれ始めたのです。

ちょうどその頃、前年に入団した
ロイド・モスビーの相棒を探していた
読売ジャイアンツは、長嶋監督の友人で
デトロイト・タイガースの指揮官
スパーキー氏から「手首さえ問題無ければ
彼はかなり期待できる」と太鼓判を押された事に
加えて
日米野球のアメリカ代表として来日した選手の
中で最高の打率4割5分、4本塁打を記録していた
メジャー通算241発の大砲に白羽の矢を立てて
交渉を開始しました。

2度の来日経験がある33歳の若者は
再び、モスビーと最高の外野陣を
形成できると日本行きを決断すると
年俸170万ドルの契約を受け入れて
海を渡ってきたのです。

早速、宮崎キャンプに合流した
身長185センチ、体重93キロの
メジャーリーガーは
「俺は盗塁も20個はできるし、守備でも
貢献できる。周りからは
コンプリート・ベースボールプレーヤー
なんて言われてたよ」 と自信満々に語り、
オープン戦で挨拶代わりの特大アーチを
かっ飛ばしたかと思えば
前評判通りの果敢な守備も披露しました。

いざ本番となった開幕戦でも本領を発揮して
横浜ベイスターズ不動のストッパー、
ハマの大魔神こと佐々木から
ツーランホームランを叩き込んだばかりか
得意の守備では外野から
矢のようなレーザービーム返球を見せて
「あのパワーに、この強肩。
これがメジャー最高峰クラスなんだ」と
読売ファンを驚愕させたのです。

ただ、本塁打こそチームトップの26本、
53打点と一定の数字は残したものの
次第に外の変化球がウイークポイント
である事が判明して
徹底的な変化球攻めにあい、
特に横浜の野村には全く歯が立ちませんでした。

低空飛行を繰り返す打率により
わずか1年で退団を余儀なくされましたが
その強肩と長打力を高く評価していた
ヤクルトスワローズの名将、野村監督
が獲得に動き出します。

今シーズン打率3割に2度のサヨナラヒット、
さらに得点圏打率はリーグトップの勝負強さを
見せたレックス・ハドラーを解雇してまで
外国人枠を空けて準備すると
年俸は巨人時代の半額でまとまり
入団かと思われた矢先、
ヒューストン・アストロズとの二重契約問題が
発覚した事から契約は白紙撤回され
最終的にアストロズに入団しました。

しかし開幕直前に指を骨折して
解雇となり、メジャー復帰は叶わなかった
事からユニフォームを脱いだバーフィールドは
引退後、アストロズやマリナーズで
後進の指導にあたっていましたが
2001年、なんとMLBドラフト4巡目で息子の
ジョシュ・バーフィールドが
サンディエゴ・パドレスから指名され入団した
だけでなく
もう一人の息子ジェレミー・バーフィールドも
2008年のMLBドラフト8巡目で
オークランド・アスレティックスから
指名を受け入団するという
親子メジャーリーガーとなったのです。

息子のジョシュ・バーフィールドは
パドレスの有望株として、3Aで打率3割1分、
15本塁打、72打点、20盗塁という成績を残し
父親同様、オールマイティな才能を
見せつけると
2006年のメジャーデビュー後は二塁手の
レギュラーとして主に8番を打ち、
打率2割8分、13本塁打、58打点、21盗塁の
好成績を残しました。

その年の5月19日、
シアトル・マリナーズ対
サンディエゴ・パドレス戦では2世代に
渡ってバーフィールド家と日本プロ野球の
関わりを感じずにはいられない出来事が起こります。

5回表1アウト満塁で
打席に立ったパドレスの
ブライアン・ジャイルズがライトを守る
イチローへ犠牲フライを放つと
3塁走者のジョシュ・バーフィールドが
タッチアップで本塁に突入、
イチローからのレーザービーム返球が
キャッチャー城島のミットめがけて飛んできました。

父親のお株を奪うイチローの
レーザービームを見た息子は
本塁ではなく城島に向けて猛タックル、
城島は吹き飛ばされながらも決して
ボールを離さず、父親が日本で見せた捕殺プレーを
アメリカの地で今度は
和製ホットラインが時を経て
息子にやり返したのです。

古巣トロント・ブルージェイズでもコーチとして
勤務していた父ジェシー・バーフィールドを
地元メディアは
「オールラウンドな才能を持った選手」と
評し、球団史上最高の外野手部門では
1位、ホセ・バティスタ、2位、ジョージ・ベル、
3位、ジョー・カーターに次ぐ4位に選出され
5位に選ばれたモスビーとともに
トップ5入りを果たしました。

またアメリカのコラムニストが選ぶ
強肩外野手部門では
「その強肩で7年連続2ケタ捕殺を記録し
通算53点を防いだ外野手は他にいない」と1位に
選出されたほか、ブリーチャー・レポートの
野球史上で最高の肩トップ40には
1位、ロベルト・クレメンテ、
2位、カール・フリーロに次ぐ3位となり
4位のイチローの上にランキングされたのです。

マイナー・リーグ時代に同部屋だった
ブーマー・ウェルズに連絡して
日本での生活について
アドバイスをもらい、先に読売に
入団していたモスビーからは仕事面での
アドバイスを貰っていたという真面目で
素直な助っ人は、球団に頼んで対戦する投手映像を
毎日15本、広尾の自宅に届けてもらっては
マーラ夫人も感心したという集中力で
日本投手を研究していました。

気付いたことがあれば
すぐに秘密のノートを取り出し
何やら書き込んでいたというメモ魔は
ひとたび打席に立つとお尻を
突き出した独特な
バッティングフォームから
破壊的な長打力で観客を魅了したのです。

三ツ矢サイダーが大好きで販売元の
アサヒ飲料から1年分をプレゼントされて
大喜びした背番号29は
長い歴史を誇るMLBの中でも
歴代最高クラスと評される強肩を日本のファンに
見せてくれた鉄砲肩バズーカー
ジェシー・バーフィールド。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました

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