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【髙橋尚成】制球力と魔球シンカーでジャイアンツのエースとなり、海を渡ったアメリカでも勝負。前も中も後ろもできる器用さからどの場面でも登板した最強のユーティリティー左腕

割引あり

おはようございます。
世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、髙橋 尚成(たかはし ひさのり)さんを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=UDaQwhmBoBU&t=500s

東京都墨田区に生まれ、修徳高校時代に、
全国高等学校野球選手権ベスト8や、
国体優勝という実績を引っさげて、
駒澤大学に進学すると、

東都大学リーグで17勝11敗、防御率2.58、
239奪三振と活躍。
卒業後に進んだ、社会人野球チーム東芝では、
都市対抗野球大会優勝の立役者となり
優秀投手にも選ばれました。

1999年のドラフトで、のちにメジャーに挑戦した
日本ハムのドラフト2位、田中賢介をはじめ、
ダイエーのドラフト4位、川崎宗則、
近鉄のドラフト5位、岩隈久志ら、ダイヤの原石が
盛りだくさんの中、即戦力左腕として、読売ジャイアンツを
逆指名、ドラフト1位で入団します。

プロ1年目の
2000年4月6日、中日ドラゴンズ戦に
初先発して、すぐに初勝利を挙げるなど
シーズン通して9勝6敗、防御率3.18の
好成績で新人王候補となりました。

新人王は1998年に入団した
横浜ベイスターズの金城龍彦が
首位打者を獲得したことから
惜しくも受賞とはなりませんでしたが

王さん率いる福岡ダイエーホークスと
長嶋さん率いる読売ジャイアンツの
2000年の「ON対決」と話題になった
日本シリーズでも先発起用され、
初登板初完封で優秀選手賞を受賞するなど
その実力を発揮したシーズンとなりました。

翌年2001年も9勝、翌々年2002年は
10勝を挙げて、リーグ優勝に貢献すると
日本シリーズでも勝利投手となり
2年ぶり日本一の栄光も手に入れましたが、

その後は、ファウルボールが顔面を直撃して
右頬を骨折するなど不運や故障に見舞われた事もあり
不本意なシーズンが続きます。

しかし、2007年、原監督のもと、
開幕から先発ローテーション入りすると
4月だけで5勝を挙げ、球団の左投手として
28年ぶりの快挙を成し遂げるなど、見事に
復活を果たします。

たまたま風呂場で一緒になった原監督から、
いい時も悪い時も必ずストレートを中心に投げなさい、
というアドバイスをもらったことで、
それまでの変化球でかわすピッチングスタイルから
攻めていく、という意識に変わったそうです。

6月23日には12球団一番乗りの10勝を達成。
さらにはオールスターゲーム初出場で
勝利投手、シーズン通して14勝に最優秀防御率の
タイトルも奪取するなどチームをけん引して
5年ぶりのリーグ優勝を成し遂げました。

高橋いわく、
当時のジャイアンツには上原浩治や高橋由伸など
同世代のライバルが多く、良い刺激を受けていましたが、
スーパースターだらけのチームの中で、
自分の立ち位置は理解していました。
「ドラえもん」で言ったらジャイアンじゃなくて
スネ夫、スターにはなれないけど、
脇役で二番手、三番手にいればいい、
その人たちにないものは何かと、
いつも観察していたような気がします。
と語っています。

その謙虚な言葉とは裏腹に、
実際には、ジャイアンツ投手陣のエースとして
翌2008年は開幕投手をつとめ、チームはリーグ優勝。
2009年は10勝6敗で自身3度目となる2桁勝利を達成して
7年ぶりの日本一にも輝きました。

もともとメジャーに行きたいという気持ちは無く、
松井秀喜や松坂大輔、イチローなど、すごい選手ばかりが
挑戦するものだと思っていたそうですが、

仲良しでメジャー志向の強かった同級生、上原浩治が
アメリカのマウンドで楽しそうに野球をしている姿を見て
アメリカには何があるんだろう、と、海外FA権を行使、
メジャーリーグ挑戦を表明したのでした。

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