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野手と投手の二刀流をこなす身体能力で破格の契約金を提示されるも拒否した長打率7割の大砲は一つのチームに留まる事なく多くのメジャー球団を渡り歩いた一風変わったロマンを感じるスラッガー デーブキングマン

おはようございます。今日、取り上げるのは、
渡り鳥のホームラン王
デーブ・キングマンです

https://www.youtube.com/watch?v=NHKgnNxHUcA&t=101s

1948年、アメリカはオレゴン州に生まれ、
高校時代はバスケ、アメフト、野球を
掛け持ちしただけでなく
野手と投手の二刀流として
1967年の高校野球大会で2安打完封と
1試合4本塁打を同時に記録すると
MLBドラフト2巡目で投手として
カリフォルニア・エンゼルス
に指名されました。

しかし当時としては破格の契約金5万ドルの
オファーを拒否、さらに翌年のドラフトでも
1巡目でボルティモア・オリオールズに
指名されましたがそれも拒否して
短期大学から南カリフォルニア大学に
進学すると、大学1年目の1969年、
投手として防御率1.38、11勝4敗、
打者としては4本塁打を記録します。

大学2年目からは投手をやめて外野手に
コンバートされ、打者に専念する環境を
整えた事から全米代表にも選出、
打率3割5分5厘、長打率7割、9本塁打で
カレッジワールドシリーズ優勝にも
貢献しました。

すると、その年の2次ドラフト1巡目で
サンフランシスコ・ジャイアンツから
指名を受けると入団し、即戦力との期待通り、
2Aで15本塁打、3Aで26本塁打を放つと
マイナー経験わずか1年の
1971年7月30日、メジャーデビューを果たします。

その翌日には
メジャー初本塁打となる満塁本塁打を放つと
打率2割7分8厘、6本塁打を記録、チームの
地区優勝に貢献すると
1975年、金銭トレードで
ニューヨーク・メッツに移籍した
1年目から36本塁打、88打点と大活躍、
翌1976年はオールスターゲームに
選出されるほどの打撃を見せつけ、
シーズン通して37本塁打に86打点と変わらぬ
好成績を残したのです。

3年目の1977年は1年で3度の移籍をする
という他に類を見ない珍しい年となります。

6月のサンディエゴ・パドレス移籍を皮切りに
9月6日にカリフォルニア・エンゼルス、
9月15日にニューヨーク・ヤンキースと
1シーズン4球団でプレーしたばかりか
FA権を取得した11月30日には5球団目の
シカゴ・カブスと契約しました。

1978年5月14日、対ドジャース戦で4番として
決勝3ランを含む3本塁打の大暴れを見せ、
敵将のラソーダ監督は
怒りのあまり「あの野郎」とFワードを連発して
悔しがったのでした。

移籍2年目の1979年は開幕から絶好調、
打率2割8分8厘、
48本塁打、115打点で本塁打王となっただけでなく
なんと、ア・リーグとナ・リーグの
オールスター戦を日本で開催しようという
試みが実行されて
ナ・リーグ、ホームラン王の
デーブ・キングマンも来日を果たします。

試合では6回表に代打で登場、
タイトルホルダーにふさわしく
横浜の空に超特大のホームランを放って
日本人に本場野球の凄さを教えたのでした。

その後も「コング」と呼ばれた大砲の旅は
続いていきます。

トレードで古巣メッツへ復帰した
1982年のシーズンも
37本塁打で2度目の本塁打王に輝きましたが
打率が一塁手のシーズンワーストを記録するなど
一発屋の印象は拭えず、解雇を言い渡されました。

しかし1984年、
オークランド・アスレチックスと契約すると
打率2割6分8厘、35本塁打、118打点と見事に
復活を遂げ、カムバック賞を受賞、
翌1985年も30本塁打、91打点、
1986年も35本塁打、94打点を記録するなど
スカイキングが帰ってきたのです。

3年連続で30本塁打、90打点以上あげる
安定した力を見せていた、ちょうどその頃、
暗雲が立ち込めてきました。

FA選手を取り合うことで年俸高騰に
頭を悩ませていた各球団のオーナーが示し合わせ、
高額なFA選手の締め出しを画策、
どこの球団とも希望通りの契約させないように
した事で
ヤクルトスワローズで赤鬼旋風を巻き起こした
ホーナーなどと同様に、フリーエージェントと
なったデーブ・キングマンも全ての
メジャー球団と契約ができず、
1987年7月11日、ジャイアンツとの
マイナー契約を最後に現役引退となりました。

198㎝の長身と長い腕から放たれた442本の
ホームランで2度の本塁打王に輝いた
究極のパワーヒッターは
スポットライトやマスコミを嫌い、
人と群れることもなく
孤独を好む孤高のスラッガーでした。

神経質で協調性がないとも囁かれた
MLB史上、屈指の大砲は
16年の現役生活で7チームを渡り歩き
多くのホームランをかっ飛ばした反面、
3度のリーグ最多三振記録も所持しています。

一つのチームに数年間、腰を据えて
フル出場できていれば、60本塁打は
打てたのではとも言われ、恐ろしい程の
アッパースイングから
放たれるアーチに、伝説のスイッチヒッター、
ミッキー・マントルも
「あんなデカいホームランは見た事がない」と
舌を巻くほど、ド派手な空中戦でファンを
魅了しました。

メトロドームの天井に打球がはまり、
キングドームの天井から釣り下がっていた
スピーカーにも直撃、
リグレーフィールド史上最長弾を叩き込むなど
彼より高く遠くへ飛ばす人は誰もいないと
言われる飛距離で、たとえ三振が多くとも
ロマンを感じてしまう選手でした。

ヒット3本打てば1本はホームランという一発屋は
チームの主軸でありながら変わり者として
次々と球団を渡り歩く
ジャーニーマンこと、デーブ・キングマン。

いかがでしたでしょうか?
いやー野球って本当に面白いですね!
アイラブベースボール!
ご視聴、ありがとうございました。

これからも頑張って更新していきますので
チャンネル登録よろしくお願いいたしますね!
それではまたお会いしましょう!

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