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【トニー・バナザード】日本にやって来る助っ人は4番を打つ大砲が主流だった時代に現れた俊足巧打メジャー仕込みのリードオフマン 相手投手をにらみつけ一番にベンチを飛び出していく特攻隊長

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回は、トニー・バナザードを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=e28Yi6pgfA0&t=88s

プエルトリコ出身でアメリカ合衆国フロリダ大学を卒業後、
1973年、モントリオールエクスポズと契約した
バナザードは、マイナーで6年の下積みを経て、1979年に
メジャーデビューを果たします。

メジャー1年目は、22試合に出場して打率3割を残すと
クリーブランド・インディアンスに移籍した1985年に
153試合に出場し打率2割7分4厘、翌1986年も
146試合に出場し打率3割1厘、ともに17盗塁と
活躍しました。

1988年、メジャー9年間で通算75本塁打に
1000試合以上の出場を果たした
現役バリバリのメジャーリーガーという触れ込みで
貧乏球団だった南海ホークスが当時としては破格の
1億円で獲得。
小柄なプエルトリカンは海を渡ってきたのでした。

この頃の助っ人外国人といえばホームランを期待し
4番を任せる大砲タイプが
ほとんどでしたが、バナザードは珍しく、
巧みなバットコントロールに走攻守3拍子揃った
小柄なトップバッターとしての来日でした。

メジャーリーグの1番バッターはどのくらい
やるんだろうかという興味津々のなか、

巧打に強打、俊足でありながら勝負強い
長打力も兼ね備えたスイッチヒッターは、
1年目から、28試合連続安打に打率3割1分5厘、
20本塁打と大活躍。

またセカンドの守備でもチームに大いに
貢献し、これがメジャーの先頭打者なのかと
日本中の野球少年たちを熱狂させたのでした。

そしてバナザードと言えば、なんといっても
その気性の荒さ。

相手を睨みつけながら打席に入ると内角球が
来ようもんなら激昂、凡退した時には
ベンチに帰るなりヘルメットを投げつけたかと
思えば、チームメイトがデッドボールを受けた
瞬間、一目散にベンチを飛び出して大暴れする
血の気の多さでした。

1年目の8月と9月の2か月間だけで
3度の退場処分を食らうなど珍記録も樹立した翌1989年。

球団名がダイエーホークスに変わった2年目は
チーム事情からホームランバッターの役割に徹して
1試合両打席本塁打を含む、34本塁打、93打点の成績をあげ、
求められているものに対応する柔軟性とレベルの違いを
見せつけました。

3年目の1990年は田淵新監督との確執も
取り沙汰されて(とりざたされて)退団すると

1991年、デトロイトタイガースでメジャー復帰を
果たしましたが、この年限りで現役引退したのでした。

引退後は代理人や、ニューヨークメッツでの
GM補佐などに就任しましたが、ここでも
短気な性格は健在で、選手との口論や暴力が
原因で解雇となりました。

一打サヨナラの場面で前の打者が敬遠された際、
意地のサヨナラタイムリーを放ったバナザードが
向かったのは歓喜に沸くチームの輪ではなく、
敬遠して自分と勝負してきたマウンドのピッチャー。

怒り狂って詰め寄るその姿に、ナメなれてたまるかという
メジャーリーガーの強烈なプライドを見たのでした。

ミスターホークス小久保選手、
トリプルスリーの柳田選手に引き継がれた
ホークス強打者の証し、背番号9を、
殴り合い上等のケンカ野球真っ盛りの昭和時代に
背負っていた、ヤンチャな荒くれ者。

その風貌の恐ろしさとは裏腹に普段は
陽気なプエルトリカン、トニー・バナザード。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちをご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。

ご視聴ありがとうございました

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