ROCK IN JAPANのこと

ふわっと思い出したこと。
自分は、第3回のロック・イン・ジャパンフェスティバルの設営スタッフとして働いていた。

時給1000円くらいで、朝から夜まで16日間働きっぱなし。
宿、飯、足は付いていたけどその間働く以外なんにも出来ないちょっとしたタコ部屋でした。

足場を組んだりステージを設営したり、機材のセッティングをしたりはもちろん専用のスタッフの方がしますので、自分たちは荷揚げだけをしますが、とにかく荷揚げの量が凄すぎて百人以上のバイトが毎日毎日働いていました。

でも、若かったので真夏の日中ずっと荷揚げの仕事も出来てしまいました、が、10日間の設営が終わって明日は本番3日間、という頃にはへとへとでした。

ところで、その頃自分はとにかく視野が狭くて、メジャー流通しているバンドの全てを憎んでいたので、ロック・イン・ジャパンに出演するバンド全員が大嫌いでした。

だからなのか逆に、ステージ横の警備(と言っても立っているだけ)を自分に全て任せられました。恐らくですが、設営スタッフの中にはアーティストのファンも紛れ込んでいて、どさくさに紛れて一言でもアーティストに声をかけたりしたら速攻で会社全体が契約を切られてしまう可能性があるからかもしれません。自分はステージ横で警備の名の下に座っていて、他のバイト仲間は機材や転換の荷揚げを頑張っていました。

いまでも覚えているのは、(敬称略)ドラゴンアッシュ、桑田佳祐、THE BOOM、YUKI、ウルフルズ、エレカシ、書いていてきりがないです。それらの超一流バンドをステージ横、メンバーと同じ横軸で見続けられた3日間はどれだけ幸せだったでしょう。(しかもお金を貰ってまで)

今でも、自分のベストライブを思い出す時、あのひたちなかの夜を必ず思い出しますし、あのバイトは自分の視野の狭さ、カッコ悪さに気付いてTSUTAYAがレンタルCD百円セールや図書館のCDコーナーに通い倒し、メジャーな音楽を片っ端から聴くようになるきっかけになりました。

仕事としては全体的に辛かった記憶しか無いのですが、やっぱり日本を代表するバンドが集結していたあのフェスは最高だったんだと思います。ひたちなか海浜公園に遊びに行くと、まだそこに残っているちびた音楽のかけらを見つけてしまいます。

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