私的メモ、置き場の自作自解
drive/森屋たもん
勇気っていつ出せばいい自動車を買うって決めてちょっと叫んだ
整備代込みで四十三万の(十一万キロ)ヴィッツに決めた
車屋の人が車を洗ってる車が売れてうれしそうな顔
助手席に弟を乗せて走り出す昔住んでた家のほうまで
父さんに「くるま買った」とLINEしてGOOD JOBだけのスタンプが来た
妹の彼氏もめっちゃ喜んでくれてスモークを貼ってくれた
真っ白な記憶の中のエアバッグが守ってくれて眠る妹
置き場2号に載せてもらっています。driveという連作です。
この連作の自作自解をしようと思います。ふつう解説はしないほうがいいと思うのですが、さっき一月くらい開けて読んだら自分が伝えたかった景が全然見えずショックだったので、いま自分の心の中にしかない伝えたかった景をここに書いておきます。
まず、この景は全体的に虚景です。自分には車を買った喜びを分かち合う家族はいません。
この連作に出てくる家族は、自分の「車を買った」ことへ様々なリアクションをします。その見え方の「解像度(最近多い言い方)」のバラつきから家族関係が見えたらな、と思ったのですが、なかなかそんな効果的にはいきませんでした。
車屋の人が車を洗ってる車が売れてうれしそうな顔
車屋さんは他人であるので、なげやりな観察しかされません。「車が売れてうれしそうな顔」以上の描写をしないことが断絶や適切な距離感を示すかと思いましたが、その後に出てくる家族が実態がないので、全体的にパペット感があって、「やたら仲の良い家族」か「気味の悪い家族」のどちらかに読めてしまうと思いました。
自分の中の憧れで、「家族が深くお互いを慮っているからこそ、その思いを表面化せず、定型化・コピペ化したコミュニケーションしか取らなくなる」という景があります。これが他の人にとったら幼少期に通過した地点なのかも知れませんが、自分にとっては、打った玉が打ち返されて手元に返ってくる安心感はとてもかっこいいことなのです。
そういうことを「受容」といってしまうと幅広くなってしまいますが、私は「愛情をこめて特別でないことをする」人がとても好きなのです。
ちなみに、車も虚景で、私はトヨタ車は買ったことがありません。
それから、私は小学一年生のときにトラックに轢かれたことがあります。そのことから、ずっと長い間車を憎んでいて、車を買うことに勇気が必要だったことは本当です。
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