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軽度知的障害のわたしの中学時代の思い出



以下はIQ66、軽度知的障害のわたしの学生時代の思い出話です。
障害が分かったのは20代後半のことですので、中学時代は支援学校などは通っていませんでした。
昭和生まれの平成育ちですので、少しゆるかった時代というか……いろいろ「ん?」と思ってもご容赦ください。


中学時代から調理師になりたいと思っていたようです。
ようです、というのは今まであまり意識していなかったからです。

料理が好きなのは自分が食べるのが好きだというのが70%、残りは30%は……やっぱり、人に食べておいしいと言って欲しい、喜んだ顔が見たい、という気持ちから…だと思いますたぶん。

調理師の資格をとった話もまた改めて書きたいと思いますが、今日は違う話をしたいと思います。


今では手作りハラスメントとか言われそうですが、私は中学のときから手作りクッキーを作っては人に渡していました。
不登校だったので、学校の先生に渡すことが多かったです。
大人の対応で、ありがとう!と先生みんな受け取って下さって、担任の先生はお返し?にお土産を下さったり、職員室でみんなで食べたよ!美味しかったよ!と感想を教えて下さったりして、嬉しかったのを覚えています。

先生は皆良くして下さったのですが、特別に覚えているのが保健室登校だったころ、私1人相手に国語の授業をして下さった先生です。
当時うちの学校は、保健室登校の生徒たちに特別に先生がついて、みっちり教えて下さることが割とありました。他の教科でも先生がついて下さったことはよくあります。

その先生とは、他の不登校の生徒もおらずマンツーマンの授業だったと記憶しています。
私が大好きだった国語の授業をして下さって、きっと何気なく、もしかするとついでのつもりで手作りクッキーを渡したかもしれません。

その先生が授業をしてくれたのは確か1年足らずだったのですが、最後にお返しにとタオルハンカチを下さいました。
青いタオルハンカチです。
たぶん、中学を卒業してしばらくは中学生活に対する辛い気持ちが強くて直視出来なかったんですが…。
中学を卒業して少ししてから、改めて見てみるとそのハンカチがなんだかすごく温かい思い出のような気がしました。

先生がハンカチを買うとき、「クッキーのお礼に渡そう」と考えて買って下さったのだろうと思うと、もっと先生と話せば良かったとか、もっと先生に国語を教えてほしかったなとか、なんだか胸がぎゅっとなります。
担任の先生ではなかったのでよけいにそう思うのかもしれません。

そのハンカチは、実は今でも大切にして持ち歩いています。
使うのはもったいないし、生地をダメにしたくないし、落として失くすのも嫌で、使わずに持ち歩いてたまに手に取って眺めています。お守りのようなものですね。

以前も述べたのですが、自分の努力だけでは絶対にどうにもならないことってあります。
これもそうだな、と。
先生ともう一度会いたいけれど、たぶん、ナイトスクープに依頼するくらいじゃないと先生には再会できないと思います。

青いハンカチを見るたびに温かい気持ちになります。
正直中学って辛い思い出がいっぱいなんですけど、大好きな思い出のひとつです。

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