少女革命ウテナ考察2021 第39話(最終話)
第39話「いつか一緒に輝いて」
1.運命に支配されるアンシー
38話から続くシーンではありますが、ここではアンシーは薔薇の花嫁(暁生に支配された立場)として暁生の望むようにウテナから剣を奪うしかなかったのだと考えられます。ウテナに「あなたには無理です。女の子だから。」と話すアンシー。その二人の背後にはメリーゴーランドが浮かび上がります。このメリーゴーランドにもちゃんと意味がありますので、お楽しみに!
2.薄情なこの世界
ここでは、どんなに人を救おうと尊いことをしたとしても、誰かのために命を懸けようとも、人々はすぐにその恩を忘れてしまう。ということを表現しています。つまりこの世界は薄情な世界であるといえます。
3.アンシーの本音と暁生の本性
アンシーが剣を渡すか戸惑っていたのは、ウテナへの罪悪感と暁生の言う通り後悔の念があったと考えられます。また、革命者としての素質を持つウテナの剣。もしかしたら暁生はウテナの剣で本当に封印を解き、ディオスの力を手にしてしまうかもしれないと危惧していたのかも知れません。
また、暁生はこの場面で涙を流しながら「こんな俺は嫌か?」とか「お前の苦しみはいつも感じている」などと言って同情を得ようとしています。また「お前を愛している」という言葉もありましたが、ここでの暁生は「自分自身がアンシーから愛される王子様になれれば、封印を解いて力を手にできる。」と考えており、どうにかアンシーの心を掴もうと、愛の言葉をかけたり、夜な夜なアンシーを抱いたりしていたと考えられます。しかしながら、全ては自分が力を手にするため。過去には心を開かないアンシーに「まだ俺を苦しめ続けるのか」と責める場面もありました。
一方、アンシーから暁生に対する愛情表現や信頼の言葉などは一切ありませんでした。当然、自分のためだけに力を使おうと世界の果てになった暁生に心を開くわけもありません。
また、アンシーの「あなたは世界のすべてを知ったうえでこの道を選んだ方です。」という言葉の意味を考えます。
世界のすべてとは「受けた恩をすぐに忘れる薄情な世界」「力がない者は誰かに依存して生きるしかない世界」ということ以外にも、「神々のルール」も含まれると筆者は考えています。神々として存在していた頃のアンシーが、ディオスを自分だけのものにしようとした(本当は救おうとしていたのだが)ことで罪を課せられた過去があります。言い換えれば「この世は神の力を自分だけのために使うことをタブーとする世界」でもあるわけです。
アンシーの言葉を意訳すると「あなたは、神のルールがあるとわかっていながらも、自らの野望のためにディオスの力を取り戻そうとしている方です。私はそれに反対しようとも、あなたに従う運命(薔薇の花嫁)です。」となります。
4.人の憎悪に光る百万本の剣と薔薇の花嫁の定め
「人の憎悪」とは、アンシーがディオスの力を封印したことで神の救いを授かれなくなった人々からの憎悪と考えられます。そしてその憎悪の象徴として百万本の剣が現れるのですが、この百万本の剣は、暁生が王子の剣を携えて薔薇の門の封印を解こうとした時に初めて現れます。
この百万本の剣は、奈落の底から暁生に向かって一斉に飛んでくるのですが、「神の力を奪おうとする存在に攻撃をしかけている」表現であると考えます。暁生は剣が飛んできたのに気がつくとすぐにアンシーを呼びます。薔薇の門の封印を解くためには、この百万本の剣を王子(ここでは暁生)の代わりに薔薇の花嫁に受けさせる必要があったのです。
5.ウテナの懇願とディオスの慰み
ウテナは、アンシーには背後から刺され、暁生には王子の剣を奪われ、救いたかったアンシーは目の前で傷つけられてしまいます。敵である暁生にアンシーを救ってくれと懇願しますが、もちろん暁生にウテナの声も心も届きません。救いのない、とても可哀想な状況にあります。学園での決闘では無敵だったウテナ。この時はただ自分の無力さに打ちひしがれていました。
そんな時、ディオスの幻がメリーゴーランドと共に現れます。ディオスは何度も何度も「君には無理だ。君は女の子だから。」と繰り返しウテナを追い詰めます。その時のディオスの顔は黒く塗りつぶされていましたが、これはその時ウテナは床に突っ伏しており、どんな表情でディオスが語りかけているかわからなかった事を表現しています。加えて、「何故そんな事をいうのか。ディオスの心が読めない」というウテナの心情も表現されています。
そしてウテナの隣にやってきたディオスはとどめに「そんな悲しむなよ。無力な女の子にしてはよくやった方だよ」とウテナの薔薇の刻印に慰みのキスをしようとします。筆者は当初このシーンがあまりにもショックで悲しくなってしまいましたが、よく見返してみるとこの後にウテナは薔薇の刻印を振り下ろし、立ち上がります。このディオスの叱咤激励(?)によって、ウテナは「無力な女の子の殻」を自ら打ち破り、立ち上がることができたのでした。
その後のディオスはとても寂しげでした。きっとディオスは自分がアンシーを救ってやりたかったはずです。ですが、封印されてしまった自分も、心を捨ててしまった暁生にもアンシーは救えなかったのです。だからこそ、ウテナに全てを託し、傷つけるような事を言っても彼女に立ち上がってもらうほかなかったのでしょう。無力に打ちひしがれていたのはディオスも同じだったのですね。
6.アンシーを解放する者
ここでウテナの王子の剣は折れてしまいました。つまり、「ウテナはもう王子にはなれない」=「アンシーを救えない」???と視聴者側の不安を掻き立てます。暁生は折れてしまったウテナの王子の剣を見ながら「薔薇の花嫁がいればいつかは封印を解ける日が来るだろう」と言います。暁生はウテナのことも薔薇の花嫁(アンシー)のことも道具程度にしか思っていないことがうかがえます。
剣を持たず薔薇の門を開けようとしがみつくウテナを遠くから眺める暁生は「力がない者は、誰かに救ってもらわなければ生きていけない」と、ここでも「女である君には救えない」とウテナに言います。アンシーにもディオスにも暁生にも「お前は無力だ。女の子だから。」と言われてきたウテナ。凡人ならアンシーのように運命だといって諦めてしまうか、暁生のように人から奪ってでも力を手に入れてやると考えます。しかし、この時のウテナは既に「女の子は無力である」という殻を打ち破った存在です。暁生の言葉にも「黙れ!」と真っ向から争う強さがありました。
ウテナは、暁生のように無理矢理アンシーの心を壊そうとも、無力な女の子として、他の人にアンシーを救ってくれと懇願することももうしませんでした。ただ、アンシーに涙ながらに語りかけました。ウテナは、アンシーに感謝し、そして心から彼女を愛していたのです。その真実の愛をアンシーに向けるウテナの涙と薔薇の門が共鳴し、アンシーにかけられた罪も、封印されていたディオスの力も解放されたのでした。
このウテナが涙を流す瞬間、暁生の隣に寝ころんでいたディオスは暁生のもとを去っています。(まるで何かを察したかのように)そしてウテナの涙と薔薇の門が共鳴した直後、ディオスはメリーゴーランドの馬に乗りますが、またがった瞬間、本物の馬の鳴き声がします。
筆者は、この話ではメリーゴーランドは「ディオスを封印していた象徴」であると考えます。そしてウテナによって封印が解かれ、ディオスは本物の馬に乗って走り出した(ディオスの力は解放された)ことを表現していると考えます。しかし、ディオスはその先どうなってしまうのでしょうか?寂しそうな姿はディオスという存在の消滅を意味しているのでしょうか?
7.世界の革命
薔薇の門(封印)が解かれたことで、ディオスの力もまた解放されました。そして、ディオスの力が解放されたことで、アンシーもまた、今まで背負ってきた魔女・薔薇の花嫁の定めから解放され、百万本の剣もアンシーを狙うのをやめたのです。
さらにアンシーがとらわれている棺を開けるウテナ。その姿をみてひどく動揺する暁生。この動揺の意図することは「人(ウテナ)が神(ディオス)の力を手にすることはあってはいけない。何が起きるか予測がつかない」というところにあります。そう考えると、そもそも暁生は世界の果ての力を決闘の勝者(人)に与える気はなかったのでしょう。あくまでも王子の剣を奪うためだけの決闘であったということです。
筆者は、この世界の幻はアンシーがその中に封じ込めたディオスの力を間接的に使い、暁生の思い描く幻想を作り出していたと考えています。(作中ではプラネタリウムが映していると言っていますが…)そのため、アンシーを解放した瞬間から、アンシーが作り出していた世界は崩れ始めます。
そして崩壊の最中、ウテナはアンシーを救いあげようとしますが、アンシーは棺ごと落下してしまいます。ウテナはアンシーを救えなったと絶望し、涙します。
この時、頭上にあった百万本の剣はアンシーではなく、ウテナに襲いかかりました。ここの表現ですが、既にディオスの力はウテナのものになっていると考えられます。そして、百万本の剣も人の憎悪を象徴するものから、ウテナの心を象徴するものに意味合いが変化したと考えます。
ウテナの性格を考えればアンシーを救えなかった自分をひどく責めたでしょう。「こんな無力な自分は消えたほうが良い」と思ったかもしれません。そうした、ウテナの絶望を表すように剣が束になって、一直線にウテナに襲いかかったのです。また、「アンシーを支配から解放したい」というウテナの意志が剣の渦となり、アンシーを支配していた決闘場の幻想を破壊し尽くします。
8.いつか一緒に輝いて
ウテナによってディオスの力は封印から解放され、アンシーもまた罪や支配から解放されました。しかし、神の力を手にしたウテナは人間の住む世界には存在できなくなりました。暁生はそのことに気が付きませんでしたが、アンシーはウテナは神の存在になったことを確信していました。暁生の支配から解放されたアンシーは自らの足で暁生から・この世界から離脱するのでした。そして、ウテナがアンシーを見つけたように、今度はアンシーがウテナに会いに旅立つのでした。
以前、暁生はウテナに「本当は星なんてちっとも好きじゃない」と言っていました。また、アンシーも「今夜は本物の星をみたくなかったので」と星を嫌うセリフがあります。ギリシャ神話では星座になることは大変名誉なことです。もしかしたら、元神々の一員であった暁生やアンシーは星座(星・夜空)に劣等感を抱いていたかもしれません。また、暁生は幾度かウテナのことを彗星などに例えます。アンシーは輝くウテナと、もう輝くことはない自分を対比していたかもしれません。そんなアンシーの心を救うように、少女革命ウテナの最後は「いつか一緒に輝いて」という言葉で締めくくられています。これは、純粋にウテナがアンシーと共に無力な女の子という殻を破って幸せに生きていこうというメッセージであったと考えます。また、一方では夜空に輝く双子座のように、二人が寄り添って光り輝く姿を表現した言葉であると考えます。
あとがき
筆者が初めてこの作品を見た時、最終話のアンシーが学園の門を自らの足で出ていくシーンにとても感動したことを記憶しています。当時は、この作品が一体何を表現しようとしていたのか、ちゃんとわかっていませんでした。それでも、このシーンにとても感動し、そこからこの作品が大好きになりました。当時の感動の理由を今振り返ると、長い間たった一人で孤独と絶望の世界にいたアンシーが、輝く希望の世界へと旅立っていった姿に感動したのだと思います。また、主人公であるウテナが消えてしまったことはとても寂しかったです。できれば、二人が幸せになるシーンが見たかったのですが、それは後の映画版で成就されることになります。
さて、今回は本作の一部のみを考察しました。生まれて初めて考察をし、それを文章にまとめてみて、今まで作品の中に散りばめられていた表現の真意を理解できておらず、ほとんどを流してしまっていたことに気が付きました。考察をすることでキャラクターの心情や設定などがはっきりと見えてきたし、なにより作品を見ている中で「?」がだいぶ減って、楽しく作品を見ることができるようになりました。改めて考察してよかったなと感じます。
この作品が表現したかったことは「女の子は無力で、誰かに依存しなければ生きていけない存在という固定概念(世界)を破壊(革命)すること」だったと考えますが、単に勇敢な女の子を主人公にした作品は他にも沢山あります。この作品が秀悦な点は、人物の持つ設定や枠組みを超えた「愛」を表現したことにあります。つまり、この作品はとてもスケールの大きい「革命の物語」であり、また「愛の物語」でもあったのです。
純粋でまっすぐな愛をアンシーに向けたウテナと、その愛に救われていくアンシーの描写がとても美しい作品でした。心から、この作品に出会えたことに感謝したいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
絶対運命黙示録
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