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【SS】あなたのこれからの一年をください

 部門長として着任してから数日が経った。45人くらいいるSE集団のリーダーとして私は転勤して着任した。従って、私を知っているメンバーはいない。

 着任から数日経ったある日、現場のグループリーダーが近づいてきて、伝えたいことがあるという。なんだろうと思って聞いていると、入社3年目の女性社員が会社を辞める決心をしたということだった。社員のそれぞれの評価などを確認している最中だったので、全員のことは把握していなかったが、幸いにもその社員の資料には目を通したあとだった。すぐにグループリーダーに、面談のセットアップを指示した。

 もう一度、入社時研修の成績、2年目の評価などを確認してみると、結構優秀であり、できれば残ってもらいたい社員だと感じた。ただ話をしたことはないので、面談を通じて人柄なども確認しようと考えていた。そして、どうしても退職の意思が固く覆らない場合は、無理に止めることなく送り出してあげようと思っていた。

 やっと面談の日程が決まり、初めて話ができる日が来た。女子社員の方は、初めて話をする部門長ということでかなり緊張している様子だった。私のことを女子社員は全体の挨拶程度でしか知らないと思ったので、最初に肩の力を抜いてもらうためにも私の自己紹介を兼ねて経験を話した。もし、退職の意思が硬ければここで真剣に話は聞かないだろうと思いながら表情を伺いながら話をした。そうするとどうやら迷っているんだなと感じ取れたのである。それから彼女が話をする番になった。だいぶ緊張もとれ、悩みを打ち明けてくれた。今やっている仕事を今後ずっとやっていくと思うと自身がなくなったとのこと。それに得意の語学を生かした仕事につきたいけど今の仕事では可能性を感じられないことも口にしてくれた。退職してもう一度専門学校に通いたいという希望も持っていたようである。

 感じたのは、この会社にいると現状の仕事の内容が今後継続するのだという不安を強く持っているということだった。それは先輩を見ていてそう判断したようだった。確かに、そのような仕事が好きで継続している社員は多い。しかし、一方、違った役割に転じる社員がいることも事実だ。ただし、比較すれば少ないかもしれない。そこに不安を感じたのだろう。しかし、次の行き先を決めあぐねている状態だということがわかったので、彼女の進路について提案してみることにした。

「会社を退職して学校に通うつもりなら、少なくとも来年の4月からの学校になるよね。であれば、今から最低1年間を僕に預ける勇気を持ってみませんか。我々の会社はグループ会社もいろいろあるし、親会社への逆出向という道も作ってあげることができるよ。そうすれば、語学を生かした仕事もできるかもしれない。もちろん、君の努力が必要だけど」

 彼女にとっては予想外の提案だったようだ。今の会社にいながら違う会社の違う仕事ができるとは考えてもいなかった。そして、会社内で自分のことを真剣に考えてくれる人がいるということも気持ちを揺るがせたようだ。

 こうして彼女を親会社に逆出向させる手続きに入った。実は、ちょうどその頃、逆出向でいろいろ経験させ活躍してもらうプログラムがあり、それにのせることができたのだ。その後、そのプログラムはなくなってしまったので、これも運だったのかもしれない。これで優秀な社員を一人失わずに済んだのである。

 その後彼女は本社でもその優秀さを発揮し、高い評価を得て仕事の内容も適宜変化していった。それも彼女にとっていい刺激になったようで、退職しようと思っていた彼女はもういなかった。仕事が楽しくてしょうがないようだった。これならもう少し経験させてから戻ってきてもらってもいいなと考えていたら、連絡が来た。

「今の仕事がとても楽しいので戻りたくないんです。それに」
しばらくの間のあと話をつづけた。
「実は、こちらのグループ会社の社員で結婚したい人ができてしまって東京での生活基盤を作りたんです」

 なんと大きな誤算であった。でもグループとしての損失は免れたわけだから良しとしよう。しかし、逆出向の最大期間は3年間なのでその後の身の振り方を考えてあげる必要があった。そこで、その婚約者と同じグループ会社に転職させることを考え、実行に移した。そのグループ会社の社長が昔から知っている人だったので話はスムーズに進んだ。これも彼女が持っていた運だったのかもしれない。彼女は子供にも恵まれ今も家族で幸せに暮らしている。


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