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その世をおもいつつ

「だから、怒っちゃだめって言ってるじゃない!まったく別の世界の人になっちゃったんだから、しょうがないんだってば。え?生きているからあの世ではないけど!でもこの世でもないんだよ!!」

朝から自分の父(私の祖父)に電話する母。
祖父と祖母が大揉めしたらしい。

深夜に祖母に起こされたという祖父。
「すぐに起きなくて悪かったと言ってるじゃないか!」
「だから私は起こしてなんかない!!」
祖母は90歳を超える自分の夫を真夜中に意味もなく叩き起こしたことを忘れている。
この生活を続けることは、祖父にとっては正直もう限界に近い。

毎朝、母は電話をかける。
わたしは、その内容を知らないけれど、
まず祖母に電話をかけて、その後にこっそり祖父にもかける。
「どうせ、わたしが分からないからって除け者にしているんでしょう!」
と怒るから。
本人のもともとの性格というよりは、認知症の進行による一つの症状らしい。

祖父と母が何気なくしゃべっているだけで
物影からじっーと睨んでいるらしい。

でももしかしたら
その時怒ったことも
その時抱いたぐちゃぐちゃで嫌な気持ちも
忘れちゃうから、
本人はそれほどしんどくないのかもしれないし、
だから、
その時怒らせてしまっても
その時ぐちゃぐちゃで嫌な気持ちにさせてしまっても
わたしたちはそれほど気にしなくてもいいのかもしれない

とかなんとか思っていないと生活はできないし、
でもそうやって割り切って思えるほど心がたくましい人間ってどのくらいいるんだろう?
少なくともわたしは、そんな心の体力はないかも。


母が電話をしているのをちらちら聞きながら
この世でもその世でもないんだったら、
じゃあどの世なんじゃーいっ!
と心のなかでツッコんだ。

この世、あの世、
2つの狭間って言ったら、その世?

その世で生きる彼女は、しんどくないのかしら。
その世をまなざしながらこの世で生きるわたしたちは、やっぱり毎日がしんどい。
その世のことなんてよく知らないし、
その世で生きる彼女のことがどんどんどんどん分からなくなるから。
でもきっとそれと同時に、
その世を生きる彼女から見る、
この世のわたしたちは
どんどん輪郭が朧げになっていってしまうのだろう。
その世はこの世と重なっているはずなのに、
その距離はとてつもなく遠い気がしてしまう。

その世でもこの世でも
少しでもご機嫌にいられるためには
何が必要なんだろう。

特別養護老人ホーム?
ケアマネ?
お金?
ピアサポート?
介護保険?
時間?
デイサービス?
宅食サービス?
ケアする側の自己啓発?

よく施設なんかのコピーに
「頑張りすぎないで」といった文句が添えられている。

でも、頑張るしか選択肢がなかったら?

まぁね、
お金と時間といろんなことを割り切ってすぱっと決断できる成熟した自己をもっていたら、しんどくはならないんだろうなぁと。


全然関係ない話だけれど、
わたしは小学生の時に読んだ
「おーい、ぽぽんた」という詩が大好きで
大好きといいながら、
おーい ぽぽんた
というフレーズしか覚えておらず、
ただただ「ぽぽんた」というかあいい言葉を
「おーい」と呼んでいるのがすごくかあいいというだけだけど……

3年に一度くらいの頻度で、
わたしは母に「おーい、ぽぽんた」の話をして、
毎回「何それ、そんな詩はじめて知った」と言われ、
毎回「これなんだけどね」と詩をググり、
毎回「え!『ぽぽんた』ってたんぽぽのことなんだ!ずーっとタヌキのことだと思ってた!」
とひとりで衝撃を受けている。
これをかれこれ3ターンはやっている。
でも毎回「そうか、ぽぽんたはタヌキじゃないんだ……!」
と新しい(ただ忘れているだけ)知見を得て
「でも、わたしのなかでぽぽんたは、こんなんであんなんで、ふふふふ」
と「わたしだけのぽぽんた像」が創造されている。
それで結構満足しているし、
これはこれで豊かな気がしている。

えへへ、この世とその世は案外近いかもなぁ。
その世も、どうかこんな適当で軽やかな世界でありますように。







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