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いやどうも。

2023年度が終わった。
終わってから何日も経ってしまった。
昨年度もやっぱりしんどくて、
こんな自分がよく生き抜いたなぁ
としみじみ思う。
わたしはいつも
「このしんどさは、今この年齢で、
この状況に置かれている、
『わたし』にしか感じ取れない価値のあるもの」
だと信じて疑っていない。
それだけ謎の自己肯定感を備え持つ
わたしだけれど、
昨年度もそれら価値あるものを
どうにか言葉にしようと
何度もnoteを開けど、
やっぱりそこには強靭なエネルギーが必要で、
書きかけの下書きばかり溜まる一方だった。

仕事のことは別の機会に振り返るとして、
(果たしてそんな悠長な機会はあるのか…)
主に生活のことを振り返ってみよう。



脳梗塞で倒れて、
それから4年間ほど
ほぼ寝たきりだった父が亡くなった。

だんだんと呼吸が浅くなって、
呼吸をしなくなった瞬間、
今までの生活が全部「夢」で、
その「夢」からやっと覚めたような、
とてつもなく現実味のある看取りだった。
機器がいかにもな音でピーピー鳴り出し、
それが止まない。
ど素人でもわかる、
「もう死んでしまうんだな」感。
こういう時に
どんなことをすればいいのか分からない。
よく聴覚は最期まで働くから、
本人に感謝を伝えるとか聞くけれど、
とりあえず、
数少ない家族の思い出である
ディズニーランドで聞いた
パレードソングを垂れ流しながら、
「息吸って!息は吸ったら吐くものだよ!!」
と言ったのは覚えている。
もう死んでしまうんだなと分かっていながら。
でもその言葉で父は本当に息を吸って吐いた。
おかげで施設に駆けつけたきょうだいも間に合って
家族全員で看取ることができた。
みんなで現実に戻ることができたのだった。

ほんの数分前に「遺体」となった父を目の前に、
わたしはスマホで淡々と自分のために
「グリーフケア」
「カウンセリング」
と調べていたし、
その数十分後、
医師からの死亡診断書を待っている間、
車内でお世話になっていた人たちへの報告と、
忌引きのための仕事の引き継ぎ連絡を
何通も送っていた。
こうやって文章に書くと、
あまりに無機質だけれど、
人の死というものが、
これまでの日々の生活の延長にあって
そしてそこから先の日々の生活のために、
受け入れ、こなして、流していくしかないのもの
なんだなと
しみじみしたのだった。

こんな時にまで、
わたしは何やっているんだろうなぁ
と思いながらも、
現実的な行為に救われた。

いやどうも。

それにこの日を迎えるまでに、
こうした現実的な行為のシミュレーションを
頭のなかで何度もやってきていたから、
その通りにほぼ完璧にやれた。
わたしは父が死ぬ前から、
わたしは何度も何度も
父の死んだ日にやるべき行為を
シミュレーションしてきた。
例えば、わたしが仕事中に危篤の連絡があったら、
まず誰に、どんな声色で、何を言って早退して、
病院や施設に向かう車中で
どんな音楽を聞くかまで。
意外とこの曲選びが
今後の人生を左右しかねない局面で、
なぜならこの時聞いていた曲を聞くたびに
この時のことを生々しく思い出してしまうから。
自分を救ってくれる大好きな曲ではなく、
そこそこ好きなアーティストで、
街中で不意に耳にすることがない曲。
この重要な選曲、
わたしはスピッツの
「愛のことば」と「青い車」に決めた。
少しでもスピッツを知っている人であれば、
聞いたことがあるような、王道な曲。
安直なわたしの感覚では、
どちらも割と
人が死んでいきそうな曲に思えたし、
特に「青い車」なんかは
いろんな解釈がある曲だけれど、

君の青い車で海へ行こう
おいてきた何かを見に行こう
もう何も恐れないよ
そして輪廻の果てへ飛び下りよう
終わりなき夢に落ちて行こう
今変わっていくよ
今変わっていくよ

とかなんとかあって、
半身不随で発語もできず胃ろうの彼が、
今の身体から解放されて、
どうか楽になりますようにと、
わたしの都合良いように捉えることができた。
救いがほしい時に救われる曲を聞いてしまえば、
その後、
もうそれは救われる曲でなくなってしまう。
施設で母が書いた同意書のことを思い出しながら、
スピッツを聞いていた。

いやどうも。

父がいよいよの容態になって、
改めて心肺停止になったときの対応なんかに関する同意書へ署名を求められた。
病院に搬送して医療的措置をするか、
それはせず施設で看取るか。
わたしは咄嗟に前者を選ぼうとしてしまい、
母に
「その選択だと本人の身体に負担が大きくて、
もし亡くなったときも
看取れないかもしれないんだよね」
とやさしく促された。

そりゃそうだ。
普通の人ならクールに即決できるような、
ものすごく当然な選択が、
わたしにはできなかった。
母がいてくれて本当によかった。

いやどうも。

SNSというライトな場でも、
安楽死のあれこれは結構つぶやかれていて、
色んな人が色んな立場から議論するでもなく、
物陰に隠れながら剛速球を投げ合って揉めている。
その人の尊厳うんぬんだけでなく、
医療費やら、若者たちへの負担やらも。
わたしがしそうになった選択なんかも、
「そんな患者本人も苦しんで、
しかも病院にも迷惑がかかる選択なんて
馬鹿じゃないの?」
といった具合で、超叩かれている。

でもさ、分からないじゃない?
分からなくなっちゃうじゃない?
いくら本人の尊厳って言っても、
いくら切迫した医療現場って言っても
身動きも発語もできない父に関して行われる
すべての選択は
家族のエゴでしかないのだから。
分からなくなって、
迷ってしまって当然じゃない?
いつぞやかに、私も通っていた大学の
メディア出演多数の人気教員や、
作家としても売れっ子な社会学者も、
「高齢者の集団自害」について触れていたり、
その発言を反省していたり、してなかったり。
なにはどうあれ、正直その半径1km、
何もかも嫌い。
それら諸々に付随するエネルギーで
どうかわたしを救ってくれよ。
当事者や当事者の家族が葛藤することに対して、
そのゆらぎにすら不寛容なこの世界は、
本当に本当にしんどい。

SNSといえば最近、
ある身体障害者が、映画館に行った際のスタッフの対応について
問題意識を感じ、そのことを投稿したら
瞬く間に結構な勢いで炎上した。
そしてそれを火種に、
いわゆる健常者の障害者に対する
(そこには差別的要素や憎悪さえも含むような)
潜在的意識が、
刃物のような言葉でたくさん表出されていた。
それはそれは、もう恐ろしい光景だった。

この数年わたしの母や、このわたしですら、
他人に
「すみません」
「ごめんなさい」
ばかり言ってきた気がする。
その度に自分のHPやMPのようなものが
どんどん0に近くなるような感覚。
自分や家族に病気や障害があるというだけで
こんなに世界に頭を下げないと
やっていけないんだと痛感した。
確かに「ありがとうございます」
と言えばいい場面なのかもしれないけれど、
それもこれから先、
一生言い続けるのはしんどいし、
そしてもう謝るしかないような、
許して。だからこの状況を何とかして。
という気持ちに追い込まれているから、
正直なところ、
「すみません」
「ごめんなさい」
しか言葉が出てこない。
この数年、
他人に対する語彙は確実に乏しくなった。


わたしの祖母は
現在進行系で認知症が悪化している。
はじめは少し前のことを忘れてしまうところから。
この時はまだみんなで
テヘペロと済ますことができていた。
それが次第に彼女の被害妄想は広がり、
「どうせ私なんか何もできない」
「だから私の知らないところで
みんなが大事なことを決めている」
と物陰からわたしたちを睨みつけるようになり、
「もう私にとっては地獄の毎日なの!」
と刃物を持ち出したり、
「もう死なせてほしい、迎えに来てください」
と仏壇の前にすがりつくようになっていった。
地獄、死にたいというワードが出たら、
もうお互いテヘペロじゃ済まされない。

そこからはもうとてつもないスピードで、
電話での罵詈雑言、
次は無言通話、
最後は泣き落としへと変遷。
母の電話の着信音に
心臓がひゅっと震えるあの感覚。
何かに似ているなぁと思ったら、
これってまさにDVだ。

認知症の難しいところは、
身体がいたって健康で、
さらに家族以外の人がいる場では、
いかにも普通で
何の問題もない感じに見えてしまうところだ。
そして本人だけでなく、
認知症を受け入れられない家族が、
いろんなことをかき乱しまくる。

はじめは、祖母自身も祖父も賛同していたので
母が駆けずり回りながら
彼らに合うデイサービスや施設を探し、
なんとか見学などを調整した。
ちょうどその目途が立った時に、
「やっぱり、自宅で二人で死ぬまで一緒に暮らす」
と祖父が大どんでん返しを繰り出した。
母の努力が何度も水の泡になった。
それどころか、祖父は
「私たちは、通所も入所も望んでいません」
と言い切ってしまったので、
ケアマネさんからは
「ご本人たちは、ご自宅で過ごされることを
望んでいらっしゃいますが?
(あなた、本人の意思を無視して
決めていませんか?)」
と言われた。

いやどうも。

母が、嘘つきで、
楽をしたいがために
施設に入れたがっている人
みたいな感じになっていった。

いや、祖父の気持ちも分かりますけれども。
わたしもそういう非現実的なポエミーなところ
ありますけれども。
これじゃあ、みんな死にますど?

施設にも病院にも頼れないなかで
もうこれはいよいよ限界だと思って、
ケアマネさんに電話をかけたら
「なんかあった時に警察呼ぶしかないですよ、
警察呼べば、緊急性が高いという扱いになって、
施設や精神病院に入れますので」
と言われ、その電話は終わった。

いやどうも。

通院、入所、打ち合わせ、見学、
ケアマネさんから無理ゲーすぎるスケジュールを
「当たり前ですが?」
というテンションで突きつけられる。
はぁ、人生ゲームの難易度、鬼ムズが過ぎる。
そして実際の人生ゲームみたいに、
みんなが死ぬまで終わらない。
みんなが死ぬまで、しんどいは終わらない。

他人は、
「頑張りすぎないで」
「プロに頼まないと持たないよ」
と言ってくれる。

いやどうも。

その頑張りすぎないことや、
プロに頼ることに
どれだけ心身の色んなものを費やすことか。

それにさ、
必ずしも頼れないんだから。

母がもう限界だと再度ケアマネさんに伝えたら、
「ご本人の意思を大切に、
ご本人たちがお家で過ごせるように、
一緒にサポートしていきましょうよ」と。
その理由は「(あなたは)ご家族ですから」。

いやどうも。

この国、家族という伝統的で
便利な単位が大好きすぎるでしょ。
それは誰かにとって
都合が良いことなのかもしれない。
でもそのせいで
誰かが死にそうな思いをしている。

「家族だから?私だってやりたいんです。
でもそれができないから、
こうやってご迷惑だと分かっていながら、
頭を下げることしかできませんけれども、
プロのみなさんを頼っているんです。
……。
一つおうかがいしてもいいですか?
法律的に、
これ以上私がしなければならないことは
ありますか?
それはなんですか?教えてください。
今の私は何かを法を犯してしまっていますか?
もしあるのなら教えてください。
『家族としての "べき"』とか、
そういう根性論や感情論とか、
感動モノではなく、論理的で法律的な観点から。
……。
私も家族ももう限界なんです。」

母はなかなかに切羽詰まってしまっていたし。
たまに流れる一家心中のニュースは、
限りなく自分の日常と地続きだ。


そして、医療や福祉に頼らざるを得なくなった時、
少しでも健康であったがゆえに、
しんどい思いをすることも多い。

要支援でなく要介護だったら、
肺の状態がもっとひどかったら、
介護に関わる家族の人数が少なかったら、

あとちょっと現状が悪かったら、
受けられたであろう支援が、
その状態に届いていないから受けられない。

馬鹿馬鹿しくて悲しくなる。
そもそも、ちっとも健康なんかじゃない。
本人も、その家族も。

父が亡くなったことを知って
心配してくださった方と話す機会があった。
とても優しく、労わってくださった。
そして、
「○○っていう機器、
脳梗塞のリハビリにいいらしいわよね」
「ほら、あなたのおうちの近くにある
○○っていう施設。
あそこは、コロナ禍でも面会ができて
すごく良かったのよ。うちの母もね…」
などなど細かに話してくれた。

いやどうも。

ですがね、もう死んだんだわ。
わたしたちも
その機器を使えるようにレンタルしたけれど、
施設の人に
「うちでやるいつものリハビリと大差ない(そんなものを扱っている暇はない)」
と言われた側で。

わたしたちも父をその施設へ入所させようと
問い合わせたけど、
施設の人に
「ご容体がもう少し悪化されたら受け入れられるのですが…」
と言われた側で。

なんだこれ。
新手のマウンティングか?
と、完全な善意から発せられた言葉に対して
思ってしまうくらい、
自分に余裕がないことに自分自身で引いた。
それはもう超引いた。

学歴、就職、結婚、出産、
子どもの学歴、子どもの結婚、子どもの出産…
これに加え、親の介護にエトセトラ。
すべてが誰かとの比較で、
すべてに優劣があるなんて、
死ぬまでしんどすぎるじゃん。

(ほぼ崩壊してたけど)
かろうじて祖父母が二人で生活していた頃、
父の墓の花を替えにいく途中で
今まで一度も言われたこともないのに
突然、
祖父からは、
「今どのくらい稼いでいるんだ?
一つの定職に就くっていうのは、できないのか?」
祖母からは、
「死ぬ前に花嫁姿を見たかったねぇ」
と言われた。

ついに!
で、でたぁー!
これかぁ!!
巷でよく見聞きするやつー!!
まさに「これ、進研ゼミでやったぞ!」状態。

人って死が迫ると
本心があらわになるものなのかしら。

これまで
自分の生き方に関わることを選択するうえで、
「家族を含めた他人を安心させる」
という観点を一切考慮せずに生きてこられた。

愛情のもとで、
わたしの人生をとても心配してくれてありがとう。

いやどうも。

ある日、
「結婚、妊娠、出産、すべてが怖い、怖すぎる」
ととてつもなく正直な、
そして、きっと同世代には
少なくはないであろう意見をつぶやいたら、
会ったことはないけれど、
尊敬しているフォロワーさんから、
「えー!怖いって感覚なの?分からなくはないけれど。あなたの世代はそうなんだね。でも子育てほど楽しいことないよ。私にとって一番の経験。子どもがいることの幸せがありがたいよ」
と言われた。

いやどうも。

「若くて未来ある女性」のわたしが
爽やかで豊かな未来を想像できない、
そんな今の社会を作ったのはあなた達では?!
と、責任を押し付けるような
嫌な考えが浮かんでしまった。
そのくらい、
その時のわたしには
超絶なクリティカルヒットだった。
こちとら、検索しまくっているせいで、
スマホに表示される広告が、
夜間吸引可の有料老人ホーム、
認知症受け入れ可のデイサービス、
精神科のある病院ばかりなんですが。
これって
「若くて未来ある女性」のあるべき姿かね?
ゼクシィではなく、
みんなの介護を見ているような人間が??
Z世代のタイムラインを彩る、
整形、脱毛、マッチングアプリの広告より
マシなのか???

ていうか、結婚一つとっても
多かれ少なかれ自分の家族の介護によって
他人であるパートナーに
影響が出ることに耐えられる?
多かれ少なかれ他人の家族の介護に
自分の人生を費やせる?
他人の苗字に自分の名前を書き換えられる?
他人の家の墓に入れる?
結婚している人は、
みんなこれらをいい感じにクリアできているの?
そもそもこんなこと考えてたら
結婚なんか恐ろしくてできなくない??
こんなそんなも、わたしがラッパーだったら、
もっと韻を踏んだ、
いい感じのリリックになった???
呂布カルマになれた????



いやどうも。
いやどうも。
いやどうもが過ぎるよ。

うるさい。
うるさい。
うるさい。

あぁ、みんな、うるさい。
すごく、すごく世界がうるさい。。

そうか、
わたしは父が死んだことそのこと自体や
祖母の認知症が
どうにもならないこと自体というよりも、
その周辺、
超乱暴に言えば、この世界がしんどいんだなぁ。

大人だったら、
受け止めて滞りなくこなせることが、
大人じゃないわたしには、
いちいち引っかかって、
いろんな感覚に襲われる。
でも、それをなんとか言語化したい気もする。
何の役にも立たないだろうけれど。

そうだ、
家に置く父の小さな仏壇は、
葬式準備でしにゃしにゃな身体で
どうにかたどり着いたホームセンターのなかでは、
1番イケてる見た目のものを選べた気がするし、
なにより、選ぶという行為が楽しかった。
かなり楽しかった。
わたしが父のことに関して
好きなように納得の行く選択ができた
唯一のことだったので、
わりと印象深い。

そうだ、
もうこんな世界が耐えられないやと
現実逃避のため無責任な旅行で見つけて購入した
祖父母でおそろいのリンゴのコースターも、
我ながら、なかなかのチョイスだったと思う。

渡す前に、祖母は精神病院に
「収容」されてしまったけれど。
もう死ぬまで会えないかもしれない。


わたしは、
「苦しかった経験も、
自分を成長させてくれる宝物」
とかなんとか、
キラキラワードは決して口にできない。
わたしは、そんな経験なんぞ
ゆるっとふわっと爆破させたい。
でももしかしたら、
爆破したとて、それは消滅はしなくて
それは結構しんどいことだと思うけれど、
その破片がわたしをかたちづくる
ちょっと意味のある何かになるかもしれない。

いやどうも。
わたしの爆破の破片。
その破片が、
これからのわたしを
ちょっとでも助けてくれますように。






サポートしてくださったら、世界が少しだけ良い感じになるかもしれません。でも今すぐっていうのは難しいです。とりあえず、わたしが元気になります。