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令和哲学的観点からみる私の婆ちゃん

2023年の終わりに思うこと。

私は三重県伊勢市という周りに神社や神道、神さまというものを身近に感じる環境で、日本の四季や、日本人の感性、礼儀ただしさ、奥ゆかしさ、秩序正しさなどたくさん良いところのある国だと思って生きてきました。


伊勢

だけど、学校に通い、年齢を重ね、たくさんの情報にふれるほど、日本を良く思う価値観は古いものだと感じ、それよりも新しい価値観を海外からどんどん取り入れたほうがかっこいいと周りの友達などをみていて思うようになっていきました。



そして、小さいころから言葉遅れで人より発達が遅かったりなどもあり、自信がなかった私は自分に自信をつけるためにいろんな人と友達になり、いろんなことにチャレンジする人生をおくるようになりました。
私はどんどん外へ出ていって、たくさんの友達を創りたいと県外の大学に進学し、たくさんの情報を得るべくたくさん友達を創るべくサークル活動やアルバイトで色んな人と出会い、さらには海外も知りたいと世界一周の旅に出たりしました。
社会人になってからも、ミュージカルや舞台活動様々なイベント活動などをして、色んな人と繋がりを求めました。
人と繋がるために、心理学を学んだり、コーチングを学んだり、本もたくさん読みました。だけど、そんな中でもいつも問題がありました。



それは、祖母が必ずなにをやっても反対してくるのです。
いつもばあちゃんと口喧嘩が耐えませんでした。
ばあちゃんがストレスで、色んなことをやって夜遅く帰宅するとき、家に入ることが怖くてたまらなくて、びくびくしながら家に入り、ばあちゃんの「おかえり」という声が聞こえるとストーカーをされているような気持ちで震えあがりました。
そんな中で、何をやってもばあちゃんとの関係がよくならない、家族関係がよくならない。
そのばあちゃんに足を引っ張られるから自分の人生はよくならない。そのように感じ、人生に絶望。ストレスから体中がかゆくなることが増えていきました。
そうした中で令和哲学と出会いました。

スイッチ一点で宇宙がある、宇宙がないことを理解説明統制できるBestBeingな生き方を知りました。


Best Being

Well Beingという生き方をその前には目指していましたが、どれだけ自分がWellbeingな生き方をして、そこに満足しても、ばあちゃんからみたら、わたしは幸せじゃないそうです。
どんなに幸せだと思っても、地元の男性と結婚してない年頃の娘はばあちゃんからみたら幸せじゃないそうです。
時代が違うといってもわからずやのばあちゃんに効果はありません。どうして家族と仲良くできないのだろう。どうしてわかってもらえないのだろう。そうしたときに、BestBeingな生き方を実践し、なぜわかりあえないのかがよく理解できるようになりました。
究極まで客観的に日本をみることができ、どんなに偉大な日本だったのかを知りました。
どんだけ偉大な日本だったのかを知ったとき、ばあちゃんは何も変わっていないのに、ばあちゃんが物凄く愛しい存在としてみれるようになっていきました。


日本文明のアモールファティByNohJesu

ばあちゃんは1945年8月15日を生きた人です。
じいちゃんは戦争に負け、帰ってきた人です。

そのとき感じたことを口を閉ざし、それでも精一杯戦後の復興のなかで父を育て、孫であるわたしたちを愛してくれていました。
そんな中で激動の価値観の変化ある日本で、日本が悪かったという整理をするしかない心はどれだけストレスだったでしょう。
いろんなことが繋がり、観点の問題を突破し、自分の家族をやっと愛せるようになりました。
家族を愛せるようになると、いつもやりたいことがあるとストップがかかる自分のブレーキからも自由になりました。ブレーキをかけたままアクセルをかけてる人生だったので、中途半端でやりきったという達成感はどこまでいっても味わえませんでした。

ですが、BestBeingのおかげで、自分の中からものすごくエネルギーが湧いてきました。これまでばあちゃんは私から生きる力を奪う存在でしたが、日本を正しく知ったことで、そのリテラシーが大反転しました。

日本文明に仕組まれていました。私たちは世界が方向性を失ったときに世界のリーダーシップをとるほど大きな役割があったのです。
そのときまで、女性性の勝負で待ちつづけることが必要だったのです。世界から鬱ゼロ自殺ゼロ殺人ゼロ戦争ゼロな社会をつくりたい。
漠然と思っていた世界が平和になってほしいと思っていた思いが、堂々と発信していいことだとわかりました。
ただ、平和を目指すのは限界でした。戦争に対して戦争反対を掲げても、これまで戦争をなくすことはできていません。

しかし、唯一戦争を止めた国があります。そう、それが日本1945.8.15です。
ドイツの敗戦と比べたらわかりやすいですが、敗戦のように今までみえていた1945.8.15は終戦でした。
広島、長崎に落ちた核をみた天皇陛下が、このままでは日本中、そして、台湾・朝鮮・満州と原爆が落とされてしまう。
実際にその計画がありました。それを止めるために、終戦を選びました。あれから、核は世界各国でどんどん創られているにも関わらず、実際落とされたのは広島・長崎だけです。

あのとき日本が戦争を止めていなかったら。。。
日本中に原爆が落とされただけでなくその後の戦争で、原爆を使うことが一般的となり、地球は核の連鎖で、荒れ果てている可能性すらあったのです・・・。
日本が敗戦国のレッテルとともに世界中を守りました。
1945.8.15をどう捉えるか。どのように解析するかは人それぞれです。このことだけではなく、何を解析してもそうですが、必ずこう解析しろと強要はできないし、してしまってはファシズムやロボットのようになっていきます。

だけど、多様な解析のなかで、一番世界80億の人に歓喜、感動、やる気・エネルギーを与えられる解析をみたと思いました。
そして、少なくともこの解析を自分と繋げることで、私の家族へのみかたが変わり、目の前の現象は何も変わっていないのに、すべてが変わってしまうこと。

ばあちゃんは何も変わっていないのに、愛しくてたまらない存在としてみれるようになりました。
たくさん我慢しながら、必死で生きてきてそんなばあちゃんが口出ししたくなる気持ちもよくわかるようになりました。ありがとうばあちゃん。
そして、日本文明のアモールファティという観方を教えてくれた韓国人のNohJesu先生、ありがとう。とてつもなく癒され、私はエネルギーが湧いてきています。


NohJesu

参考:NohJesuコラム ,日本文明のアモールファティ ,令和哲学チャンネル


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