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生きるってなんだろう?

僕には5つ離れた年上の兄がいて、日本で営業としてサラリーマンをして生きている。

僕は約2年前から、南米ウルグアイにきてサッカーをしながら生きている。

二人とも時を同じくして、この地球の反対側で生きている。

けれど、題名にある”生きる”というテーマで考えたときに二人は全く違った生き方をしているのかもしれない。


「生きる力」

ウルグアイに来て気づいたのが、その日、その瞬間、その場をみんな生きているんだなということ。

お金がない、将来の計画を立てるのが苦手、人のことは気にしない、色んな要因があると思うけれど、ウルグアイにいる人たちは、その表情に生命感を宿しているように見える。

僕は”生きる力”には2種類あると思っていて、一つはお金を稼ぐ、経済的に自立する力。

広い意味で、お金を稼ぐための最低限の知識、常識、社会の仕組み、お金の流れを理解していることなどが挙げられると思う。

もうひとつは愛する力

愛というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、愛って日常の小さなことに溢れている。

挨拶の時にするハグ、美味しいご飯を食べたときの笑顔、誰かのありがとうの一言、サッカーだったらゴールが決まった瞬間、はたまた夕焼けの美しさや道端に咲く花の可憐さ、こういった日常のなかにたくさん、心が動く瞬間があるはずだ。

時には悲しい出来事、辛い出来事だってある。

でもそれも含めて、この広い地球という美しい奇跡の場所に生まれ、美しい世界にいるからこそ感じられるものだ。

世界には想像もしたことがなかったような、価値観、生き方、生活、人生、彩り、美しさ、醜さ、人、自然、ストーリー、喜び、悲しみ、憎しみ、静けさ、その他数えきれないほどの愛を感じるきっかけが存在する。

人はきっと、この愛を感じられなくなると、そのうち耐えられなくなって死んでしまうんだと思う。

世界にはこんなに面白くて、ワクワクするような出来事がそこらじゅうに転がっているのに、人は面白いもので自分の見たいように世界を捉える。

僕は小さいころ自分の父親のことが嫌いだった。タバコ臭いし、無口で何を考えているか分からないし。

でも父親が癌になって病棟で色んな話をしてくれた時、自分に与えてくれていた愛に気づいた。

あぁ、思い返せば、小さいころ、自分が寝たあと深夜遅くに部屋に入ってきて、一日の仕事を終えて伸びた髭を僕の頬にこすらせながらおやすみのキスをしてくれていたなあと。

たくさんの愛を受けて育ててもらってきたんだな、と気づいてから僕の人生は全く違ったものになった。

世界は愛で溢れていると信じるようになると、そのように世界が見えてくる。

日本にいる真面目な人たちは働いて、働いて、また働いて、経済的に生きる力をせっかく身につけても、愛の存在を忘れてしまうから、この地球にいることにワクワクを感じなくなって、いつの日か病気になって死んでしまう。

もしくは自らの手で命を絶ってしまう。

大事なのは、経済的な生きる力と愛の力、ふたつのバランス。

片方がなくなれば、もう片方があっても生きていけなくなってしまう。

Vivimos este partido

ウルグアイでは、サッカー実況において、「この試合を生きている、この感情を生きている」と言うことがよくある。

そしてゴールがまだ決まっていない0対0の状況では、「最初の感情、情熱(つまりゴール)を待っている、探している」と表現する。

スペイン語でVivir、つまり生きるとは、感情、こころの動きとセットになっていることがここから分かる。

ここウルグアイで、たくさんのサッカー選手、それもアマチュアとして普段仕事をして、その合間で練習に励む選手たちとサッカーをしてきたが、どの選手もVivo(生きる力)に溢れていた。

最後にひとつ自分のお気に入りの本をひとつ紹介して終わりにしたい。

星野道夫さんの「旅をする木」。

アラスカの大自然のなかで生きた人間が紡ぐその言葉には、生きるとは何なのかという問いが秘められている。


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