岡田斗司夫氏の「ホワイト革命」について考える(1)

文化時評として面白いと思い、大きな刺激を受けました。皆がなんとなく感じていることを言語化してわかりやすく解説しています。今がどういう時代で人はどう生きたら幸せになれるのか、という問題のヒントになると思いました。

ホワイトとは清潔であること、と岡田氏は言います。物理的な意味で衛生的であることはもちろん、見た目や発言においても「ホワイト」であることが社会的に要求される、そうした社会に急速になりつつあるので、それに応じた対策を取ったほうがいい、というアドバイスを提供しています。

具体的な例として、有吉弘行さんの発言「誰が握ったかわからないおにぎりなんか食えない、工場で作られたものの方がよほど安心できる」であるとか、松本人志さんが女子高生に「俺が不倫したらどう思う」と聞いて「きもっ!」と言われたことにショックを受けた、という話題を出していました。

不潔さ、汚さへの嫌悪感に過剰なまでに反応する社会になった。SNSでの発言、攻撃的な悪口、罵詈雑言も嫌悪されるようになり、それらは本人に知られぬままミュートされるようになった。

こうしたことは何も今に始まった事ではないのですが、僕が岡田氏の視点が鋭いと思ったポイントが3点あります。

ひとつは、コロナ禍を念頭に置いていること。衛生意識が社会常識になり、マスクをしないなど、感染防止措置を取らない個人へのあからさまな嫌悪感が社会的に共有されるようになった。

もう一つは、世代間の意識の隔絶に注意喚起をしていること。アラカンの岡田氏は昭和の実体験があり、昔は普通だったことが徐々に変化してきて、気づけばその断絶が大きなものになっている、今後この世代間格差は急激に拡大すると述べています。年寄りの気持ちも若者の気持ちも包括して多くの言葉を費やしているので誠実さを感じます。

3つ目に、嫌悪対象となる批判、毒舌、悪口といったものが、当人のキャラとして容認できる範囲を超え、社会への物理的な攻撃を行いかねない要注意人物として認定されてしまうという指摘。

近年の、不満を抱えた個人が多数の人命を犠牲にしてしまう犯罪事例。また先の東京オリンピック開幕前に見られたような関係者の「過去の不祥事」によるリスク。これの回避が喫緊の事案とされ、こうしたコンプライアンスへの対処として、企業団体が、ネット上にある個人思想の事前審査を普通にするようになってきている。

いずれも僕は説得力があると思ったし、氏が動画上で見せる表現力の豊かさも相まって、この「ホワイト革命」なるものに嵌りました。

次回以降、その中身について感じたことを述べてみます。