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3月を振り返って


その時々は一生懸命でより良い方向を模索するのみでしたが、あらためて振り返ると色々な事があった3月でした。
すべての始まりは2月の下旬頃。

大変な中でも順調に進んでいたリハビリ。
2月中旬、麻痺の回復も進み2月末のカンファレンスの頃の状況しだいで、早くて3月第一週もしくは大事をとって二週目の退院を考えて行こうと、担当の理学療法士氏と話していました。

3月の一番大変な時期に聞くのですが、その頃は担当の理学療法士氏は想像を超えた早すぎる回復に不安を感じていたのだそう。
そんな矢先、靴を脱ごうとして肩を捻ってしまったのです。

担当以外の理学療法士との時間で、普段はしない場所でのリハビリの為に靴を脱ごうとした一瞬、靴箱に手をついたままかがんだ時に肩を捻ってしまうと言う…
理学療法士が目を離した隙の事で、私の不注意が招いた事だし、担当の理学療法士氏も起きうる事だったと、むしろ入院中で良かった。私がなんとかしてあげられるからと。

その後担当の理学療法士氏のリハビリで回復しつつも、私としては自分の不注意で担当氏が良くしてくれた事を台無しにしてしまったと後悔がつのり、メソメソとメンタルを崩してしまうように。
ここ迄が2月下旬。

カンファレンス前に、迎えに来てくれる妹の都合で3月中旬に退院出来たら…と希望を伝えていたのですが、結局3月1日のカンファレンスでは大事とって1週間のばし、それまでには肩の状態も安定するだろうと退院日を3/22に決定。

退院日を決めた後の3月5日。
若手の理学療法士による無理なリハビリで更に肩を痛めてしまう。


なんだかんだで主治医と看護師長から謝罪があったものの、無理なリハビリをした理学療法士はしれっとしたものでモヤモヤが…
就寝時の強い痛みが取れるまで1週間以上かかり、痛みが取れてきて麻痺の状態が悪化している事が分かったのが退院日の1週間前ぐらい。
担当の理学療法士氏もリハビリ部の長である理学療法士も、若手のリハビリで肩を痛めて麻痺が悪化しているのはわかっている筈なのに退院後の心配をしているのみ。 
 

このまま退院して良いのかどうか誰にも相談出来ずにもんもんと…

周りは3/22の退院に向けて動き出しているものの、私としてはこのまま退院して大丈夫なの?と疑問と不安でいっぱいになる。



土日は主治医も看護師長も休みなので退院の3日前にようやく、主治医に肩の痛みの原因は理学療法士のリハビリなのに病院としてのサポートは無いのか?
こんなに痛みのある状態で退院しても大丈夫なのか?と問う。

答えは、
◉麻痺の状況としては生活が営める程度に改善している。
◉肩の骨の状態を見るレントゲンをこれから取る。(以上なし)
◉肘肩の専門医が自宅近くの総合病院にいるのでそちらに紹介状を書く。
◉酷い痛みに対しては痛み止めの頓服を処方する。

春分の日の週だったので、問うた日から後は主治医が連休なのでその日のうちに退院日を延期するか否かを決める事に。

主治医と話した後、担当の理学療法士氏に相談し、彼は私が退院を延期すると思ったようだが、このまま退院を延期しても、予定通り退院しても大きな差が無い様に思えて予定通り3/22に退院。


家に帰って来ても、そんな経緯はなにも知らない両親は治って帰って来てると思ってるので、自分達だって年老いて痛い身体を酷使しつつ頑張ってるんだアピールに、心が休まるわけもなく…
環境が変わり痛みが酷くなったり、麻痺が更に悪化したり、食欲も減退。

それでもやるべき事は粛々と進めて、少しでも麻痺を回復させて、元気になるしかないのだよなぁと。
思い返すと激重な3月。



そんな中でも救われたのは、リハビリ病院で知り合った人達との交流。
井戸端会の方々はLINEグループで未だに繋がっているし、担当の療法士氏達とは6月の免許証再交付の為の診断書を貰いに行く時に、元気な姿を見て貰えたらいいなぁと思ってる。
そして、noteに気持を整理しながら書くのが一番の救いになってる気がする。
自分の為に書いてるのだけど、誰かの目に触れる事を考えると、冷静さや客観的になれるというか…


重い重い激重だ…
4月はもう少し軽やかに振り返られる月にしたい。

サムネの写真

 お気に入りの配色の折り紙万華鏡
担当の作業療法士氏が作った、折り紙くす玉のカラフルな色合いは自分では作れないなぁと憧れる
やっとの思いで作った手編みのハート
どれも入院時の思い出が詰まってる。

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