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東京を生きる赤血球くんの話

 基礎デザイン1のグループワーク課題のために書き下ろした短編です。お暇な物好きの皆様へ。

 「東京を一つの体として、その中を循環する赤血球(我々)」というテーマは、グループの他のメンバーが考えてくれたものです。いろいろとありがとうございました。





東京



 私たちはいわば「赤血球」である。「東京」という大きな体を流れる動脈の一部となって循環し続ける。今日も明日も、無機質な一日を繰り返す。それが我々の使命である。


 小鳥のさえずりに頬をくすぐられ、薔薇の微かな香りを感じる、朝。執事のジェームスがドアをノックする。「おぼっちゃま、今日も清々しい朝ですよ。……そんな訳は無かった。


 ピピピピピピピ!!!無機質なスマホのアラームに頬をくすぐられ、いや、うなされ、目を開けてみると、そこに見えるのは驚くほどグレーな街並みと曇り空。午前六時。また同じ一日。昨日の夕飯に食べたコンビニの惣菜の余りが冷蔵庫にあったはず。執事のジェ、じゃなかった、うちのおかんは「そんなもんばっか食ってたら体ボロボロになるわよ。」と言うが、自炊する時間も能力もないのだからしょうがない。今のコンビニは進化がすごいから大丈夫なんだよ、と適当に返事をする。

 昨日と同じスーツに腕を通す。これを着れば私は途端に、「私」という人間から「東京を構成する赤血球の一人」という無個性な物体に変身する。後者でいる方が断然楽だと思わないだろうか。私の帰りを待つ人間はこの家にはいないので、行ってきますとかは特に言わずにドアを開ける。私は今から「山手線」、東京の大動脈に飛び込むのだ。

 道を歩く途中、コンビニを覗くと、目の下が青い大学生がレジに立っていた。夜勤明けの猛者だ。目の下にクマができる、と言うのは、その凶暴で悍ましい顔が熊に見えるからクマなのか?いやいやそんなことはどうでもいい。大動脈の凄まじい波に乗り遅れないよう急がねば。あれ、何か買う予定だったはず…いいや、帰りに思い出したら買っておこう。

 赤血球、赤血球、赤血球、周りどこを見渡しても赤血球、しかし私のような真っ黒な赤血球はどこを探してもいない。みんな健康的な赤色。私だけ、怠惰で卑屈な私だけが真っ黒な赤血球。そういえば私が小さい頃、「鼻血として出てくる黒っぽい血は悪い血なんだから、全部出しちゃっていいのよ」と母は言っていたが、まさに私は鼻血として外に放り出されるべき悪性の血なのだろう。なんて周りの血が輝いて見えるのだろう。あ、あの色白のイケメンお兄さんは白血球だろうか。いいなあスタイルが良くて。さぞモテるんだろうなあ。彼女とかいるのかなあ。こういうことを本人に言うと、今の世の中ではセクハラになってしまうらしい。

 新宿、代々木、原宿……多くの赤血球たちが飛び出しては乗り込んでくる。不安そうに動脈の中を見回す彼らは何だろう。東京の構成員ではない。どこか遠い所からやってきたようだ。そういえば、私はこの頃「外の世界」というものに怯えている。「東京」という狭い体内に慣れてしまった弊害だ。たまには長い休みをとって、「外」に触れると言うのも良いのだろうけど、やはり毎日の決まったサイクルを崩すのは怖い。


 渋谷。他の赤血球たちに押し出される形で降りる。白血球イケメンに心の中で別れを告げ、「井の頭線」と呼ばれる静脈へと私は向かう。乗り換えた先にある井の頭線の入り口改札が一機しかないのはどうかと思う。常に血が集中し、今にも詰まりそう、心筋梗塞(しんきんこうそく)一歩前、である。ストレスだが、一番ストレスを感じているのは渋谷駅側なのかもしれない。

 一駅だけ進んだ先に私の仕事場がある。私が降りた後も、井の頭線は吉祥寺と渋谷の間を往復し続け、血液を運び続ける。私が乗ったあの山手線も、やがては渋谷に戻ってくるのだろう。


 会社に着いた後はひたすらパソコンに向き合う。あらゆる情報や金が巡る。目には見えないものが多く循環するため、私たちに「今経済を回している」という実感はほとんど無い。でもやらなければならないのだ。
 会社のため、「東京」のため、サイクルを止めてはならない。

 上司は爽やか系の新入社員、つまり新入血球に強く当たっている。
「私は…先輩に言われたことをやっただけで…」
『いや、言われたことだけやるんじゃなくてさ、自主的に動くとかできないの。君顔良いし、期待してるんだよ。ほら、君モテそうなのに勿体無いよ。そんなんじゃ彼女できないよ。』
先輩、それ現代ではセクハラになりますよ…と心の中でつぶやく。イヤミ上司と爽やかくん。彼らの言い合いは毎日止まらない。仕事ができない、彼女ができない、結婚できない、良い父親になれない、云々かんぬん。会社内の雰囲気が沈むからやめてほしいのだけど……ここにいた皆がそう思っていただろうが、その時だった。
 「ああ良いです。俺、辞めます。」
 ハ?『ハ?』同じタイミングでイヤミ上司も声を漏らす。

 辞める…?
 「パワハラ的なの無理なんで、辞めます。」
 爽やかくんはそそくさとオフィスから出ていってしまった。イヤミ上司は怒っているというより呆然としている。何が起こったのかよく分かっていないようだ。赤血球のくせに、白血球のように顔が真っ青である。確かに最近の若者は、強く当たられるとすぐに辞めてくなんて言うが、こんな呆気ない感じなんだ…と驚いた、と同時になぜか尊敬してしまった。彼は、会社に来てパソコンと向き合い上司から叱責される、という繰り返しの毎日からの脱却にたった今成功したのである。
 「彼女できない、とかは…ちょっと言いすぎたかね。」イヤミ上司がボソボソと言っている。「あいつ、本当は彼女いたのかな…」違う、そうじゃない。

 爽やかくんが残していった仕事は全て私に振られてしまった。今日は定時で帰れるかと思ったが、やはり無理だったか。カタカタカタカタ…淡々と手を動かし、たまに電話を取り、たまに同僚と進捗を報告し合う、ただそれだけ。私は「東京」という大きな循環から一生抜け出せないのではと思うこともある。

 やっと昼休憩。毎日コンビニ飯なので、今日は少し変えてみよう。ここから少し歩いたところにカツ丼屋があったはずだ。グーグルマップと目の前の道を交互に見ながら進んでいく。東京の下町は、毛細血管のように、多くの赤血球とその通り道が交わっている。たどり着いた店舗のドアを開けると、カツ丼のいい匂いが私の鼻を刺激する。一番奥の席に座る。隣の席では、「週六で入れる!ほお頼もしいね。」『はい。土日も大丈夫です。』という会話が聞こえる。バイトの面接か、懐かしいな。どこの場所も人の入れ替わりを繰り返しながら前に進んでいるのだ。どれどれ、どんな子かな、と隣の席を覗くと……そこにはあの爽やかくんが座っていた。おいおい、待ってくれ…。

 顔を伏せながら大急ぎでカツ丼をかき込む。朝仕事を辞めて昼に面接を受けるという衝撃的な一日を過ごしている爽やかくん改め速やかくんに見つからないよう店を出る。そういえば、ここのカツ丼屋を薦めてくれたのは爽やかくんだったっけ。今度の上司は良い人でありますように。


 帰り道、少し公園に寄ろう。ここで一休みしようとベンチに腰掛ける。隣には、おばさまグループが話に花を咲かせている。どうやら先ほど歌舞伎を見てきたそうだ。誰がかっこいいだとか、どのシーンが圧巻だとか。一人のおばさまが「歌舞伎の一番の見どころは、隈取りのかっこよさだったりするのよ。」と言っていた。隈取りとは、役柄を強調するための、あの独特な化粧のことらしい。「隈」、「クマ」。目の下のクマって案外かっこいいじゃん。君という人間のアイデンティティを強調するための素敵なサインだ。朝会ったあの夜勤明け大学生に伝えてあげようなんて思ったが、「好きで夜勤やってる訳じゃ無い!」と怒られそうでやめた。




 午後の仕事は、午前とほぼ変わらない平凡なデスクワークだった。途中後輩に「先輩、目真っ赤っかですよ。大丈夫ですか…?」と言われた。私は赤血球であるから元々赤いのだ、と返したらおそらく変人扱いされてしまうので、ごく普通に『大丈夫。』と返事をする。イヤミ上司が私の目を見つめてきた。「赤い彗星か?」私はシャアではないです、とツッコむ元気も残っていなかった。

 我ながらスピーディーに仕事をこなし、本日の残業は一時間ほどで済んだ。とても疲れていたが、今日は少し遠回りをして帰ろうと思った。ふいに、この街が発する音や波、雑踏、人、空気、その全てに混ざって溶けてしまいたくなったのだ。もう一度、自分が大勢の一部であることをちゃんと認識しておきたい。私は赤血球であり、この街は大きな体、そして入り混じる血液……。

 気がつくと私は渋谷の心臓部「スクランブル交差点」に立っていた。ヘッドホンをして、音楽を流す。信号が青になると、人々あるいは赤血球たちが、バケツの中で混ぜられた絵の具のように真っ黒に交わり、溶け出す。ヘッドホンから聴こえる音、ビジョンから流れるアイドルの新曲、話し声、薬局から聴こえる「三千里♪三千里♪」のリズム、路上ミュージシャンの歌声、バニラ高収入のトラック、そして、自分が息をする音。他人と共有する音と自分にしか聞こえない音。感情が高ぶる。しかし、駅に行くとそれはピッタリと止んでしまう。この起伏が癖になる。だから私はたまに遠回りをして帰る。

 帰りに乗った山手線もなかなか混んでいた。疲れでただれた赤血球、赤茶色の不健康な血が東京の街を巡り、そして各々の棲家(すみか)へと帰っていく。ふと、電車広告が目に飛び込んでくる。『疲れ目に一撃!アイケアショット』これを差せば僕の赤い彗星は元に戻るのだろうか。広告の中であのイケメン白血球くんが、私を鼓舞するようにグッドサインをしていた。

 帰りにいつものコンビニで惣菜を買って帰った。私の一日が終わる頃、夜勤青年の一日が始まる。太陽が沈もうが、東京の循環は止まない。
 家に戻った私は、鞄を廊下に放り投げ、スーツを脱ぎ捨てスウェットに着替える。ただいま。今日もとくに変わらない毎日…あ、爽やかくん事件があったか。いやいや、でもそれは、爽やかくんが日常からの脱却に成功しただけで、私自身が今日この循環に及ぼした影響というものは一切無いではないか。怠惰とか、だらしないとかではなく、仕方のないことである。毎日そうやって生きているのだから。

 惣菜と炊いておいたご飯を少し食べた途端、全身の力が抜けた。一気に眠い。残りの惣菜にラップをして冷蔵庫へ……そうだ、ラップを切らしていたのだ。明日覚えていたら朝コンビニで買っておこう。

 倒れ込むようにベットへダイブ。そこから私は夢を見た。「長い夢を見ているということは眠りが浅いってことですよ、先輩、健康でいてくださいね」と夢の中で爽やかくんが言っている。その隣で『おいおい、夢は見るもんじゃなくて叶えるものだろうよ』とイヤミ上司が余計なヤジを入れるが、無視をしておこう。そんな上司の隣には、夜勤大学生が立っている。顔には歌舞伎のメイク。「隈取り、でしたっけ。はぁ、僕はあなたが寝ているこの時間も仕事をしているんですよ」とぼやく。どう返したらいいか分からず、『お疲れさまです』と一言。またもやイヤミ上司が「よっ、徹夜屋!」といらないことを言う。ここで私は深い眠りについた。


 目が覚めると、小鳥のさえずりと薔薇の匂いが私を刺激してくる。洋風な会館と穏やかな空気。部屋に入ってきた執事のジェームスが「おぼっちゃま、今日も清々しい朝ですよ」と声をかけてくれる。「はい」と返事をして体を起こそうとしたその時、
 ピピピピピピピ!!!大きなアラーム音が聞こえた。今度は本当に目が覚めた。見えるのは、相変わらずグレーな街並みと曇り空。午前六時。また同じ一日。

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