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「水彩画の街で」/#うたスト#課題曲G

「ねえ、すごい!なんか、水彩画みたいじゃない!?」

橋の欄干から身を乗り出すようにして川面を見つめていた亜希子は、僕の方を振り向きながら興奮気味にいった。

「そう?子供のころから見てるから、いまさら特に驚きはしないけど」

言いながら僕は亜希子に近寄り、川面を眺めてみる。


北海道東部のマチ、釧路市。

その中心部を流れる釧路川にかかる幣舞橋の上に僕らはいる。1月下旬の厳冬期には『蓮の葉氷』が河口付近を漂いながら、ゆっくりゆっくりと海に押し出される光景を見ることができる。

雪すらも珍しい九州生まれの亜希子にとっては、氷点下20度の空気に包まれながら見る『蓮の葉氷』は、映画の中のような幻想的な光景なのだろう。だが、長く住まう地元の人間にしてみれば、「この寒さの中、朝早くからわざわざ川っぺりまで出かけるなんてモノズキな」というくらいの感覚でしかないだろう。

札幌での4年間の大学生活を終え、2か月後には地元に戻ってくる予定の僕の感じ方も、ほぼそれに近い。

「水彩画、か。なるほどね」

だが、僕は亜希子に同意してみせる。亜希子はにっこりと微笑む。3年間以上つきあった僕でなければ、その笑顔が演技だと気づくことはできないだろう。

「そうそう、その調子!つまらないことでケンカはナシだよ。最後は楽しく、ね!」

亜希子は周囲をキョロキョロと見回す。

「おなかすいたね。あ、あそこに食べ物屋さんありそうじゃない!?いこいこ」

ああ、とか、そう、とかモゴモゴいいながら、僕は歩き出す亜希子のあとを追っていく。

☆☆☆☆☆

亜希子とは大学の映画サークルで知り合った。自主制作の作品を作るために脚本を書いたり、ロケハンをしたり、と少人数での活動の中で僕らが惹かれ合ったのは必然であったのだろう。1年生の夏を過ぎたころには、もう半同棲状態の生活を送っていた。

僕らは、ただのサークル仲間としてのもの以上のパートナーシップで作品を生み出し、それらは映画祭への出品を経て、想像していた以上の評価を得るようになっていった。

季節が移り変わっていく中で、単なる『三流大学の経済学部生』だった亜希子はいつしか『気鋭の監督・脚本家』として脚光を浴びていったが、僕の方は『腕前がイマイチのカメラマン』という評価が劇的に変わることはなかった。

やがて就職活動の時期を迎えた時、ぼくは亜希子に告げた。

「俺、ひとりっ子なんだけどさ、実家の薬局を継がなきゃいけないんだ」

「実家って、釧路だったっけ?」

「ああ・・・」

「・・・そう。私は東京で、映像の道を目指してみるよ。じゃあ、卒業まであと1年ちょっとだけど、よろしくね」

それが先んじての『別れの言葉』だったと気づいたのは、数か月後のことだった。

☆☆☆☆☆

「美味しいね。釧路って、蕎麦が特産なの?」

午前10時。ようやくオープンした食事処で蕎麦をすすっていると、亜希子が言った。

「そうだなあ、ま、釧路にも蕎麦の名店はあるけど、産地ではないね。そばの産地は北海道内だと十勝とか、道北とかかな」

「ふーん。そっかそっか」

「?」

「いや、たぶんだけど、これが2人での最後の食事になるじゃない?私この後、昼過ぎの飛行機に乗るからさ」

言われてみればそうだった。

亜希子は卒業式を待たずに東京に移り住み、制作プロダクションでの研修に入ると聞いていた。改めて僕は気づく。そうか、今日が別れの日だったのか。

「ふふ」

「・・・何?」

「あなたのそういうとこ、嫌いじゃなかったよ」

「・・・空港で見送るよ」

「いいよ。駅からバスに乗るから、そこで・・・」

サヨナラ、という言葉は飲み込んだようだった。


店を出て、北大通を歩く。駅までは直線を20分ほどの道のりだ。

「さっきさ」

と、僕は隣を歩く亜希子に話しかける。

「なに?」

「水彩画みたい、って言ってたじゃん」

「ああ、蓮の葉氷ね」

「そうかもしれない。ここは水彩画みたいなマチなんだ」

亜希子は一瞬僕に目を向けたが、そのまま前を向いて歩いている。

「冬場はよく晴れてさ。青空が高いんだ。その代わり寒いけどね。春は薄緑。夏は・・・夏は薄いグレーだな。小雨が降ったり、霧に包まれたり。とにかく色味が薄くてね。そんなマチでも、君が一緒なら映画の中みたいにドラマチックな人生になるんじゃないかと思ったことがあった」

「ごめんね、私・・・」

「わかってる」

僕は亜希子の言葉を遮る。聞いてしまうと、女々しい僕のことだ、きっと泣いてしまうだろう。

「君にはきっと、油絵の街が似合う。濃淡が強く、立体的なマチ。アグレッシブで、クリエイティブなマチ。俺は君を応援する。そして・・・」

亜希子は足を止め、僕を見た。一歩先に進んだ僕は、振り向いて言った。

「・・・ありがとう。楽しかったよ」

このマチでずっと君を待っている、とは言えなかった。言わなかった。最後の最後に呪いをかける、なんて卑怯すぎるだろう。

「・・・あ、バス!けっこうギリギリかもしれない。走らなきゃ!」

亜希子はそういうと、いきなり走り出した。そんなはずはないのに。

追いかけて駅の隣にあるバスセンターにつくと、予定していたものより一本早いバスに、ギリギリ間に合ってしまったようだった。

「じゃ、私このバスで行くよ。・・・元気でね」

バスの乗降口のそばでそう言うと、亜希子は人目をはばからずに僕に抱き着き、キスをした。僕も夢中で亜希子を抱き寄せ、濃厚なキスを返す。

「ありがとう、私、壮太と出会えて幸せだったよ。あはは、言えてよかった。これを言うためにここに来たんだから」

亜希子はトン、と僕を突き放し、バスのステップを駆け上がる。それを待っていたかのようにバスのドアは閉まり、亜希子が窓際の座席につくと同時に動き出した。

窓越しに小さく手を振る亜希子がチラリと見えたかと思うと、バスはあっという間に遠ざかっていく。

映画ならもっと時間をかけて紡ぐ大事なシーンだろうが、現実はこんなものだ。ぼくはそんなことを思いながら、バカみたいに立ち尽くす。


この先僕は、何度、彼女のことを思うのだろう。

この先彼女は、何度、僕のことを思うのだろう。

好きという思いも、後悔も。

理不尽への怒りも、憂鬱も。

いつか変わるのだろう。思い出に。

いつか許すのだろう。若い日を。

その日が何年先に来るのか、僕は知らない。

それでも僕は生きていく。遠く、君を思いながら。

このマチで。水彩画の街で。


<終>



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