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きらり

文章を書くことは、砂浜で砂を掬うような作業に思える。

あなたが砂浜に立っていて、遠くの方で煌めくのを見つける。近づいてみると、煌めきはいつの間にか消えそこには砂があるばかりだったりする。

しかし、たまに近づいても煌めきが消えないことがある。近づけば近づくほどその発見に対する興奮と実は何でもないのではないかという不安が高まる。

その煌めきを足元まできたとき、私たちはそれを丁寧に掬い砂の外に、出そうとする。
まだ見たことのないものを。

それは丁寧に掬わないと、指の間からいとも容易く逃げてしまう。それは決して固体ではない。

ただ煌めきが砂に埋もれていたままでは、何も見えない。
丁寧に、慎重に無駄なものを少しずつ落としていく。
そうしているうちに手の中の砂はどんどん減り先ほど煌めいたものの姿が次第に見えてくる。はず。

その中から、砂利を少しずつ落とし乾かして、自分の内にあるものから自分なりの装飾を加え、形を整える。

そうして誰にでも胸を張って見せられる自分の作品を作る。

この過程には個人差がある。この作業の腕は慣れであったり才能であったりする。

砂浜で皆が見つけられないような煌めきを見つけるのが上手い人もいる。誰でも入れるところの誰でも手に入れられるような煌めきを、磨く技術が高いために、そのものの煌めきを惜しげもなく最大限出せる人もいる。

この煌めきを固体にする作業をしているうちに、ふと気がつくとただの鈍く、重い粘土になっていることがある。

ある晩、輝いて見えていたものは、
ある朝、ただ不透明になる。

 その事に気づいたのち、私たちはまた砂浜に出かけ、煌めきを掬ったはずのところに戻り先ほど指からこぼれ落ちたであろうものをもう一度掬おうと何度も砂の中に手を入れる。


2021.9.7

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