怪物は自分の方

お久しぶりです。ふと思い立って筆を執りました。今日もポエミーにつらつらと書いていきます。


自分の境遇を話すと、大体の人は『苦労したんだね』と言います。自分でも環境に恵まれなかった自覚はあります。モラハラセクハラ嵐の父親、ヒステリックで唯一の自分より弱い存在である私をはけ口にしていた母親。そして学校。

私が今苦しんでいる要因は揃っていると思います。私もここ近年はずっと恨んでいました。憎んでいました。

「全部ぜんぶお前らのせいだ」と。

そうなるだけの理由を作ったのは環境であると。


しかし、成人式の記事でも書いたように、同級生たちは偶然町で会うと、何もなかったような顔で対応するのです。私のことをバイ菌扱いして、服を汚して、聞こえるように陰口を叩いて、クスクスと笑っていた男も女も「久しぶり」と気の良い挨拶をするのです。私をハブった人間たちは、私にそれだけのことをする過失があったように、蔑みを含んだ顔で見るのです。

私の脚をベタベタと触り、自尊心を傷つけるような言葉をぶつけてきた父親は私の体を気遣うような言葉をかけるのです。思うように動かなかった私に金属鍋の蓋を投げつけた母親は仕送りをしてくれるのです。

機嫌を窺っていた怪物たちがどんどん人の形になっていく。


私は誰を憎めばいいのでしょうか。

私が絶対悪と心の中で恨み続けてきた奴らは時が経って穏やかになっていく。私に一生消えない傷を残したことを忘れたのか、覚えているのか。私を人間として扱う。

変わらないのは私だけじゃないか。


怪物なのは私の方じゃないか。


私と友人の境遇が入れ替わって、『ゆるすべきなのか』と私が友人から投げ掛けられたら、私は迷わずに「ゆるす必要はない」と答えます。あなたが苦しんでいる要因を作ったと、はっきりと言えます。

でも私は、私に「ゆるす必要はない」と声をかけることが出来ません。


恨み続けても、私がされたことも消えない傷も何も元には戻りません。だから自分が傷つけられただけ、誰かに優しくなりたい。誰かを喜ばせたい。誰かを癒したい。誰かのためになることをしたい。そうしようともがく私の足をいつも掴んでくるのは、黒々とした苦い過去なのです。この膿のような、ヘドロのようなそれらを拭いきることは出来なくて、それを見る度に恨んでしまう。綺麗な足になりたいと思う。


怪物から脱したい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?