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愛だけを集めて生きていこう


この週末、同じ都内に住む大叔母の家に遊びに行っていました。田舎に住んでいた小学生のころは歳の近いはとこと夜行バスに乗って泊まりに行ったり。その度に色んなところに遊びに連れて行ってもらいました。

大人になってからは、同じ東京に住むことになってもなかなか会う機会はなく、会うのは去年の祖父の葬儀以来、一年以上前。なぜか6つ離れた妹が大叔母と仲が良く、子が生まれる前に一緒に遊びに行こうと誘われてせっかくならと便乗することに。

うちの大叔母はめちゃくちゃに癖が強く喜怒哀楽が忙しい(誰かに感謝するときは涙と鼻水をたれ流し、見知らぬ誰かにキレるときは地団駄を踏むような。笑)。でも面倒見がよくて、近所に住む若い学生や出稼ぎに来ているネパール人の女の子など、たくさんの人から頼られ、愛されている。一緒に住む認知症の大叔父の面倒を見ながら、友人との週一のランチやモーニングを楽しみにしている77歳だ。

どこからそんな体力気力が来るのと言わんばかりにおしゃべりが止まらないものだから、そんなにテンションの高くない私からすると、会う前にちょっと気合いが必要なタイプ。でも、今回その大叔母(おばちゃんと呼んでいる)と会って気づいたことがあった。

自分が普段見ているものが、どんなにムダで損をしているかということ。

たった一泊だけど、おばちゃんから私の乏しいボキャブラリーでは言い表せないような何かプライスレスな愛をもらい、普段自分はどんなに悲観的で損をしているんだろうと思った。


毎朝お腹を抱えて電車通勤していると、悲しい気持ちになることが多い。世間が言う正論に従えば妊娠は病気ではないけれど、心ない人があまりにも多い(妊娠をしないと気付けなかったし、自分自身も反省したことや学びも沢山ある)。国が子育て世帯を支援しようと声明を発表するたびに、いやいや子育て世帯に直接的な支援をする前に、こういう心が貧しい人たちを支援してくれと思ってしまう。そんなピンポイントで支援をされたら子育て世代への風当たりが益々強くなってしまうよと。

一部の人たちだけ助けるという行動は、本当に正しい支援なんだろうか?移民問題だって同じだ。

誰がわるいのか、何がわるいのか分からないけど、この国の行く先が心配で、毎日毎日悲観していた。

ニュースもそう。ニュースって大体は良くない話ばっかりじゃない?たくさんの人が死んだり怪我をしたり、物価高や不経済の話だったり。

そんなことにばかり気持ちを囚われて過ごしていたから、いつのまにか自分は不幸せな世界、悲しい時代に生きていると勝手に被害者のような意識を持ってしまっていた。疲れ切っていたし、他人の目ばかり気にしていたし、出来ることならずっと家にこもって他人と接することなく傷つくことなく生きていきたいと思っていた。


不思議なことに、ネガティブに引っ張られると悪いことが続く。Xやスレッズなんかが分かりやすくて、ネガティブなコンテンツを見てると、自分のフィードがそういう嫌な投稿で溢れていくよね。ありがた迷惑!!笑


だけど、おばちゃんは教えてくれた。イヤな物は自分の視界から徹底的に排除する強さ、楽しみを見つけて幸せを探し続ける日々の積み重ね、他人に愛を与えることで自分も幸せになれるということ。


この世の中で自分を守れるのは自分だけだ。
自分の世界を作るのは自分だ。見るものは自分で選ぶことができる。頭の中に残すことも自分の中で選ぶことができる。大抵のことは。

そういうマインドセットでいることで、きっと毎日の色が変わってくる。そうするかしないかも自分自身。だから、私は小さな小さな一歩としてやってみようと思うのです。自分の世界をつくるために、愛だけを集めて生きていこうと。生きていれば悲しい事件や悪い人に出くわすこともあるだろうけど、そんなことで自分の頭を満たすことは損なだけであって、あくまでも自分や大事な人たちを守っていくための情報として「知っておく」だけに留めること。人生には限りがある。


何となくふとした愛に触れるだけで、こんなに大きなことに気づかされるなんて。


大事な人のために思いっきり泣いて、思いっきり笑って、怒って、バカみたいに楽しんで。自分の時間や生命を、自分の大事なものにだけ注ぐというシンプルな生き方。それが自然と周りを幸せにする。

愛ある人からもらうパワーは偉大だ。私もいつかそのバトンを受け継いで、誰かの愛あるおばちゃんになれるように自分自身を愛だけで満たしていきたい。


この学びを、この気持ちを忘れないように。帰りの電車で綴るのでした。

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